また…
パチパチパチ。
キーボードを叩く音とお経のような教授の声が眠気を誘う午後。帰りてぇと隣で呟く拓也を横目にスマートフォンで時刻を確認する。授業終了までの時間はまだまだある。
私は軽くあくびをすると教授の様子を伺いつつ右耳だけにイヤホンを挿した。ここは大教室の端、前で授業をしている中年教授から右耳は見えない。
めらちゃんの動画を観ながら時間を潰そう。そう考えていると画面の上部から通知が表示される。誰からかメッセージが来たようだ。
『今日飲まないか?』
単なるお誘いであるのに私は動揺していた。そのわけは送信主にあった。そこに書いてあった名前は
私は複雑な感情に襲われた。懐かしいが腹が立ち、嬉しいが恐ろしくもある。どう返事をするか考えていると、時はいつの間にか過ぎ去っていて、拓也に声をかけられるまで授業が終わったことにすら気が付かなかった。
「ぼーっとしてどうした?早くしないと次の講義で席無くなるぞ。」
「あ、ああ…」
慌てて白紙のノートを鞄に突っ込み、次項のある棟へと向かう。
あの春のことを、まだ私は鮮明に覚えている。いつもの教室、いつもの顔ぶれ、いつもの日々が当たり前のように続くと思っていたあの時。彼の一言で、私の日常は崩れ去った。
「俺、引っ越すことになってん。」
唐突に放たれた言葉は、旋風の様に思考を乱した。私は理解が遅れて何も言えなかった。
「…いつ?」
「来月…親の転勤で」
先程まで他愛の無い雑談で笑っていたのが嘘の様な静けさが教室を包んだ。グラウンドから運動部の子の掛け声が聴こえてくる。私は現実から目を逸らす様にその声に聴き入った。目の前の風景が浮かび、俯瞰する幽霊になろうとした。しかし、彼の言葉が阻止する。
「だから俺…抜けるわ。バンド。」
あの時の私は信じられなかった。彼の口からそんな言葉が出るなんて。だから反抗した。口では勿論、手まで上げてしまった。その日以来、彼とは口をきいていない。
電車に揺られながら車窓から懐かしい景色を眺める。待ち合わせは高校の最寄り駅。いつもの柱の前。
重い足取りで電車を降りる。やはり、三年間前通っていると身体が自然と分かった動きをする。スムーズに駅のホームから出ると改札が見えてくる。心音が耳の奥で鳴っているのを感じる。もし拓也に背中を押されなかったら私は此処には来なかっただろう。
「昔の気まずい友達から会おうって連絡来たんだけどどうすればいいと思う?」
「あ?気まずいなら尚更会ってスッキリした方がいいだろ」
彼奴のそういう所が昔の自分に似ていて嫌いじゃない。あの夢を追いかけていた私なら同じ事を言うだろう。いや、言って欲しいという願望である。
そうこうしていると目的地が見えてくる。そして、自然と彼の顔も見えてくる。茶色くパーマを掛けていた髪は黒いパッツンになっており、毎日のように着ていたお気に入りのバンド服は、落ち着いたベージュのワイシャツに変わっていた。
どう声を掛けようか悩んでいると彼が私に気が付く。
「ほな、行こか」
彼は親指を立てて道を指した。私は黙って頷き、彼の横を歩く。少しの沈黙が長く感じる。道中、進学したのか、どこの大学に行ったのか、妹は元気にしてるのか、まだ楽器には触っているのか、とか色々話をしたがハッキリと覚えていない。彼が予約を入れていた店に着き、席に座ると早速、彼は生ビールを大ジョッキで頼んだ。
一分ほどで運ばれてきたソレは綺麗な黄金色をしていた。彼は、乾杯!と言うとゴクゴクと喉を鳴らして胃へと流した。そして、間を置いた後、此方を真っ直ぐ見て言った。
「またバンドやらへんか?」
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