第36話 気を許す
すると、中年の男性が近づいてくる。
少し気弱そうな人だけど、優しそうな人に見えた。
「君が吉野君かな? すみません、今日は松浦さんを借りちゃて……」
「い、いえ、別に俺とはただの友達なので……えっと」
「ご挨拶が遅れて申し訳ない。私、当店の店長を務めている栗原と申します」
「あっ、ご丁寧にありがとうございます……松浦さんの友達の吉野と言います。今回は、席を借りちゃってすみません」
ここは本来なら、学生が来るような場所ではない。
少し落ち着いた雰囲気の店で、そもそも学生自体があまり来ない。
主な客層は主婦の方や、大人の方が多い印象だ。
それ故に勉強するには良い環境かもしれない。
「いえいえ、先に約束をしていたのは貴方ですからお気になさらずに。松浦さん、五時までゆっくりしていってね」
「はい、店長。それじゃ、休憩入りますっ」
「ええ。それでは、私は仕事に戻るね。お客様も、ごゆっくりどうぞ」
そう言い、厨房への扉に入っていく。
その際に覗いてた従業員を注意してくれたので、ようやく人目がなくなった。
「ご、ごめんね、みんな気になったみたいで」
「いや、平気だよ。その人達には、期待外れだったかもしれないけど」
「そんなこという人は、後で叱っておきます。吉野君は、私の大事なお友達だもん」
「……ありがとう。ただ、喧嘩はダメだよ?」
「うん、もちろん。それじゃ、勉強を始めよっか」
そう言い、何故が隣に座った。
「あれ? 向かいの席に座るんじゃ?」
「だって、遠いもん。こっちの方が教え合いできるでしょ?」
「まあ、それは確かに」
ここのテーブルは、対面までの距離が遠い。
角の席だし人も近くにいないので、話しても迷惑にはならないと思うけど。
かなり近いので……俺の精神が落ち着かないです。
「ほらほら、勉強しよっ。もう、明後日なんだし」
「が、頑張りますっ」
「うんっ、私も頑張るっ」
多分、俺と松浦さんの意味は違うと思うけど。
それでも俺は、全精神を持って勉強に集中するのだった。
……たまにちらっと見てしまうことは許してほしい。
◇
そのまま集中していると、突然肩に重みを感じる。
ふと横を見ると、松浦さんが寄りかかっていた。
「ま、松浦さん?」
「すぅ……」
「……寝てる?」
かすかな寝息をたて、俺に寄りかかっている。
透き通るような髪が視線の下にあり、そこから経験のない良い香りがした。
前も思ったけど、女の子ってどうしてこんなに良い香りがするのだろう?
「って、そうじゃなくて……起こした方がいいのかな」
「ん……」
「っ!?」
迷っていたら、その体勢から傾き……俺の膝の上に寝転がる。
つまり、完全に膝枕状態になった。
「むにゃ……」
「参ったな……起こすのが可哀想なくらい穏やかな顔してるや」
俺はしばらく、その可愛い寝顔を眺める。
まつ毛が長いなとか、綺麗な顔をしてるとか思いながら。
そのまま、時間が過ぎて……。
「おや? 寝てしまいましたか?」
「あっ、店長さん」
いつの間にか店長さんがいて、その手にはパンケーキがあった。
時計を見ると、四時前になっている。
「時間が経ったので、そろそろおやつでもと思いましたが……」
「あの、起こした方がいいですかね?」
「いえいえ、疲れてるでしょうし。彼女はいつも、頑張ってくれてますから。優しい子で、私達も助かってますよ」
「はい、優しくて頑張り屋さんなのは知ってます」
親が離婚したり、お兄さんがいなくなったりと辛い思いをしてるのに、学校ではそんな空気は微塵も出さない。
むしろ、いつも明るくてみんなを励ましていた。
多分、ここでも同じようにしているのだろう。
「良かったです。いつもしっかりした子なので、貴方のように気を許せる人がいて」
「気を許せるですか?」
「ええ、そうですよ。彼女がそんな風に無防備になるところは見たことないですから。きっと、貴方も優しい方なのでしょう」
「お、俺はそんなことないですよ。ただ……気を許してくれてるなら嬉しいです」
「とりあえず、これはサービスなので好きに食べてくださいね。それでは、私はこれで失礼します」
「あっ……行っちゃった」
俺は動くわけにもいかないので、そのままの状態で店長さんを見送る。
松浦さんは相変わらずすやすやと眠ったままだ。
俺は固まったまま、起こさないように単語帳を眺める。
……無論、文字が入るわけがなかった。
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