第36話 気を許す

すると、中年の男性が近づいてくる。


少し気弱そうな人だけど、優しそうな人に見えた。


「君が吉野君かな? すみません、今日は松浦さんを借りちゃて……」


「い、いえ、別に俺とはただの友達なので……えっと」


「ご挨拶が遅れて申し訳ない。私、当店の店長を務めている栗原と申します」


「あっ、ご丁寧にありがとうございます……松浦さんの友達の吉野と言います。今回は、席を借りちゃってすみません」


ここは本来なら、学生が来るような場所ではない。

少し落ち着いた雰囲気の店で、そもそも学生自体があまり来ない。

主な客層は主婦の方や、大人の方が多い印象だ。

それ故に勉強するには良い環境かもしれない。


「いえいえ、先に約束をしていたのは貴方ですからお気になさらずに。松浦さん、五時までゆっくりしていってね」


「はい、店長。それじゃ、休憩入りますっ」


「ええ。それでは、私は仕事に戻るね。お客様も、ごゆっくりどうぞ」


そう言い、厨房への扉に入っていく。

その際に覗いてた従業員を注意してくれたので、ようやく人目がなくなった。


「ご、ごめんね、みんな気になったみたいで」


「いや、平気だよ。その人達には、期待外れだったかもしれないけど」


「そんなこという人は、後で叱っておきます。吉野君は、私の大事なお友達だもん」


「……ありがとう。ただ、喧嘩はダメだよ?」


「うん、もちろん。それじゃ、勉強を始めよっか」


そう言い、何故が


「あれ? 向かいの席に座るんじゃ?」


「だって、遠いもん。こっちの方が教え合いできるでしょ?」


「まあ、それは確かに」


ここのテーブルは、対面までの距離が遠い。

角の席だし人も近くにいないので、話しても迷惑にはならないと思うけど。

かなり近いので……俺の精神が落ち着かないです。


「ほらほら、勉強しよっ。もう、明後日なんだし」


「が、頑張りますっ」


「うんっ、私も頑張るっ」


多分、俺と松浦さんの意味は違うと思うけど。

それでも俺は、全精神を持って勉強に集中するのだった。

……たまにちらっと見てしまうことは許してほしい。






そのまま集中していると、突然肩に重みを感じる。


ふと横を見ると、松浦さんが寄りかかっていた。


「ま、松浦さん?」


「すぅ……」


「……寝てる?」


かすかな寝息をたて、俺に寄りかかっている。

透き通るような髪が視線の下にあり、そこから経験のない良い香りがした。

前も思ったけど、女の子ってどうしてこんなに良い香りがするのだろう?


「って、そうじゃなくて……起こした方がいいのかな」


「ん……」


「っ!?」


迷っていたら、その体勢から傾き……俺の膝の上に寝転がる。

つまり、完全に膝枕状態になった。


「むにゃ……」


「参ったな……起こすのが可哀想なくらい穏やかな顔してるや」


俺はしばらく、その可愛い寝顔を眺める。

まつ毛が長いなとか、綺麗な顔をしてるとか思いながら。

そのまま、時間が過ぎて……。


「おや? 寝てしまいましたか?」


「あっ、店長さん」


いつの間にか店長さんがいて、その手にはパンケーキがあった。

時計を見ると、四時前になっている。


「時間が経ったので、そろそろおやつでもと思いましたが……」


「あの、起こした方がいいですかね?」


「いえいえ、疲れてるでしょうし。彼女はいつも、頑張ってくれてますから。優しい子で、私達も助かってますよ」


「はい、優しくて頑張り屋さんなのは知ってます」


親が離婚したり、お兄さんがいなくなったりと辛い思いをしてるのに、学校ではそんな空気は微塵も出さない。

むしろ、いつも明るくてみんなを励ましていた。

多分、ここでも同じようにしているのだろう。


「良かったです。いつもしっかりした子なので、貴方のように気を許せる人がいて」


「気を許せるですか?」


「ええ、そうですよ。彼女がそんな風に無防備になるところは見たことないですから。きっと、貴方も優しい方なのでしょう」


「お、俺はそんなことないですよ。ただ……気を許してくれてるなら嬉しいです」


「とりあえず、これはサービスなので好きに食べてくださいね。それでは、私はこれで失礼します」


「あっ……行っちゃった」


俺は動くわけにもいかないので、そのままの状態で店長さんを見送る。


松浦さんは相変わらずすやすやと眠ったままだ。


俺は固まったまま、起こさないように単語帳を眺める。


……無論、文字が入るわけがなかった。

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