BL短編『ライン上のキッカ』試し読み

※短編BL小説『ライン上のキッカ』の試し読みになります!


◎収録されている同人誌

→『ライン上のキッカ』/A6(文庫)判/600円(通販価格:700円)


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一 篠田疾風の春


 長い脚。しなやかな筋肉。野生動物のような反射神経――自分がほしいものを全部持ってるやつが目の前に現れたら、誰だって胸の内がザワザワしてくるだろう。

 俺だってそうだ。ましてやあいつは、そういう持って生まれた素質を全部かなぐり捨てて、見当違いの畑に飛び込んできた。馬鹿だ。俺は馬鹿が嫌いだ。だってムカつくから。俺がほしいもの、全部持ってるくせに、なんで。なんで――なんで。


「ハヤテ! 一緒に帰ろう!」


 なんで俺の背中には今、馬鹿が抱きついてるんだ?


     *


 浅埜田あさのだ高校男子テニス部は、特別強くはないけれど不真面目なわけでもない。午前中で終わる始業式の後、十三時きっかりから練習を始める程度には熱心に活動している。

「男テニでーす。一時から練習やってまーす」

 始業式を終えて校門を通る一年生に勧誘のビラを配りながら、俺は隙を見つけてはTシャツの襟元をぱたぱたと動かした。四月もまだ初めなのに、ずいぶんと暑い。

 昨日までは雨だった。コートの水捌けを心配したが、この日差しのお陰で使える程度には乾いているそうだ。昼前に部長の三吉先輩が教えてくれた。

 天気がいいのは嬉しい。しかしこうも急に暖かくなられると、体の方がついていかない。舌がぺとぺとと口内に貼りつくのが非常に不快だ。水筒を持ってくればよかった。

「ハヤテー、ありがとうー! コート準備できたよ」

 後ろから軽やかな足音が聞こえてくる。振り返ると、少し息を切らしたわたり先輩が、俺の水筒を右手に持って渡り廊下の方から走ってくるところだった。

「はい。喉乾いてるかなーと思って、勝手に出しちゃった」

「すんません。ありがとうございます」

「いいってことよ」

 渡先輩は白い前歯を惜しみなく見せて、青空のように爽やかに笑った。受け取った水筒を一口飲んでから、二人並んで学校の敷地内へと引き返す。

 俺たちが活動するテニスコートは、校舎の奥にあるグラウンドの、そのまた更に奥だ。スマートフォンで確認すると、歩いて戻ればちょうどいいくらいの時間だった。

「どう? 新入生」

 大きな手で俺の肩をばしばしと叩きながら、渡先輩が言う。「うーん、ビミョーっすね」と正直に伝えると、「えーヤバいじゃん」と相づちが返ってくる。

「勧誘、頑張んないと困るのはハヤテだよ」

「わかってますよ。言われなくても」

 ため息混じりに答えれば、本当に陰鬱な気持ちになった。両手で抱えたビラがずしりと重い。浅埜田高校男子テニス部の部員は、現在四人である。

 三年部長で後衛の三吉幹也(みよしみきや)に、三年前衛の宮川みやかわいとはる。同じく三年でオールラウンダーの渡則わたりのりあきと続き、二年生は俺、篠田しのだ疾風はやてただ一人だ。

 三人いた同期は去年の六月前には皆姿を消した。引退した元三年が一年に異様に厳しいタイプで、入部早々外周ばかりさせ、ラケットなど一つも握らせてくれなかったからだ。

 俺以外の三人は初心者だった。高校生にもなって辛い体力トレーニングからやらされたら、つまらなくて当然だ。面白くなかったらやめる、自立心を持った懸命な判断である。

「一年の頃のハヤテ、よく耐えたよなあ」

 えらいえらい、とからかい気味に頭を撫でられ、顔をしかめてみせた。「テニス好きなんで」と答え、『それにしてもマジであちいな』と若干の恨みを込めて空を見上げる。

 校舎の高いところから吊り下げられた懸垂幕けんすいまくが目に入った。たった一枚の白くて長い布が、春の横風にあおられて激しくはためいていた。


 祝 陸上部 一〇〇M 全国大会出場一名


 見せびらかすような堂々たる筆跡に、とある名前が頭をよぎる。正直あまり好きではない。でもどうしても気にしてしまう。我が校の一等星。学年の華。陸上部のエース。

 その名は。

「そういえばさ、今日からウチの部に来るらしいよ。掛川菊花かけがわきっか

 は? と怪訝な声が反射的にもれた。「すいません」と慌てて謝り、「今、なんて言いました?」ともう一度聞き返す。その名前は、そこにくるべきものではないはずだ。

「ほら、あのすごいやつ。二年の掛川菊花。陸上部やめてウチに来るんだって。さっき三吉が急に言ってきて、俺と宮川もびっくり。三吉が今朝本人に話しかけられたらしいんだけど、アイツ気が利かねーから理由とかなーんにも聞いてこなくてさ。なに、陸上部ってイジメとかあったりするの?」

 おーい、と顔の前で手を振られても、何を言えばいいのかわからなかった。掛川菊花とかいう、どう頑張っても一瞬線香の香りを経由せざるを得ない名前だけが、頭の中を巡る。


「掛川菊花です! 去年まで陸上部にいました。右利き、テニス初心者です。よろしくお願いします」

 男子テニス部の面々――といっても俺含め四人だが――の前で、掛川菊花はハキハキと自己紹介をし、頭を下げた。わずかに茶色がかった硬そうな髪がぴょこんと跳ねる。

 暑くなることを見越して持ってきていたのか、掛川は四月なのに学校指定の短パンを履いていた。準備のよさから妙なやる気を感じた。

「テニスに興味を持ってくれて嬉しいよ。でも陸上はもういいの? 結構その……すごいよね?」

 渡先輩がここぞとばかりに尋ねる。

「俺たちはあんまり強くないけど、結構真剣に練習してる。両立は難しいと思うよ」

「大丈夫です! 今日からテニス一本なんで」

 はあ? なめやがって。

 顔色ひとつ変えずに答える掛川菊花を、俺はたっぷりの敵対心を込めて睨みつけた。足が速い自分ならどんなスポーツでもあっという間に活躍できると思ってやがるんだ。

 新しいことを始めてから楽しめるようになるまでというのは、時間がかかるし困難も多い。もちろんテニスも例外ではない。ラケットの扱いは傍から見るよりずっと難しい。

 そもそもどうして二年からなんだ。ずっと打ち込んできたものを途中で捨てるような根性なしなんて、素振りの後の腕の痛みにビビって辞めるのがオチだ。

 ああそうだ、と俺の頭の中をよぎったのは、去年辞めていった同期の顔だ。こいつも懸命な自立心に従って、ちょこっと齧って気が済んだら、さっさと古巣に戻ってくれればいい。

「希望ポジションは?」

 三吉先輩が淡々と聞いた。「前衛です」という答えを聞けば、『なんて中途半端な、』と怒りが増す。こいつは自分の能力が全くわかっていない。

 全国大会に出るほど足が速いのに、前衛なんて。瞬発力は活かせるだろう。でもその長いストロークには、ネット際という限られた空間はあまりに窮屈だ。

「じゃああれだな、ペアは篠田で決定だ」

 宮川先輩が気だるげな口調でとんでもないことを言った。「ええええっ」という俺の叫びに不思議そうな表情で首を傾げ、手に持ったラケットを弄びながら続ける。

「だって同じ二年だろ。どうせ俺たち三年は夏で終わりなんだから、今のうちからニコイチ組んでおいた方が効率がいい」



(試し読み終わり)

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