第12話

 街の灯が遠くなり、闇が深まっていく。過去の記憶と直近のそれを照らし合わせながら、佐々木はバイクを進めた。

「あれだ」

 あの日通った道。放棄された農地の片隅にある建物。なぜかそこには、明かりがついていた。

 気取られぬよう、距離を取ってバイクを停め、ライトを消す。

 佐々木は雨宮からバッグを受け取り、手早く準備を終えた。

「失礼ですが、こういった経験は」

 佐々木は拳銃を差し出す。雨宮は首を横に振ってそれを断った。

「古典的なスパイ映画とは違って、私達自身が荒事に手を染めることは無いよ。君が持っていた方がマシだろう」

 それでも独りであるよりは余程心強かった。少なくとも、相手への牽制にはなる。何かあった際、隊に応援を依頼することも容易だ。

 メットからインカムを剥ぎ取り、二人はそれを即席の無線機代わりにした。

「自分が先導します」

 暗闇に目が慣れてから、佐々木は駆けだした。

 頼むから、暗視装置付きのライフルなぞは持っていてくれるなよ。そう祈りながら建物に接近していく。

 拳銃を持っていたことが彼等に災いしたように、余計な武器の入手は却って計画の全体を危険に晒す。おそらくさしたる武装は無いという、雨宮の分析が合っていることに賭けるしかなかった。


 程なくして、倉庫の明りが消えた。接近を察知されたようだ。

 佐々木は周囲を見渡した。遮蔽物になりそうなものと言えば、畑のそこかしこに積み上げられた除雪残りの雪山程度。もっとも事実上は氷の塊であるため、厚みによっては一定の防弾効果は期待できる。

 迷っている暇はない。佐々木は道路を外れ、その一つの陰に素早く身を隠した。倉庫までは約30メートル。


 様子を伺っていると、インカムから抑えた声が聞こえた。

「建物から二人出たぞ」

 距離を取った雨宮の位置の方が、全体を見渡せる。遮蔽物が少ない条件は相手も一緒だ。動きは掴みやすい。

 佐々木は人影を確認した。一人は女だった。あの髪は、間違いない。


 銃声が闇夜に鳴り響いた。

 振り向き様に相手が撃った弾は、見当違いの方向に逸れて行った。

 マカロフではない。9ミリだ。おそらくM9。そう当たりをつける。

 相手はこちらと同じように、腰ほどの高さがある雪の塊の後ろに隠れた。

 そのまま睨み合いの時間が続く。


「奴らが見えますか?」

 インカムを使って雨宮に尋ねる。

「直接は視認出来ない。だが、移動した様子は無いな」

 佐々木は困惑した。相手の意図がつかめない。

 一目散に逃げるならば分かる。踏みとどまって戦うのも。

 しかし倉庫という陣地を棄てておきながら、畑の真ん中で立ち往生しているのはどういうわけか。

「倉庫に注意して下さい。人影が見えたら、こちらに警告を」


 こちらが前進したところで、横から不意打ちを狙っているのかも知れない。軽々しく動くのは危険だった。

「降伏しろ!直ぐに包囲されるぞ」

 佐々木は声を張り上げて相手に呼び掛けた。

 過疎地とは言え、周囲に住んでいる人はいる。先ほどの発砲音を聞いて、いずれ警察が来るだろう。いや、雨宮が既に応援を手配しているかも知れない。

 時間を掛ければ有利になる。そう判断しての行動だった。


「黙れ、腐り切った国家の犬め。私たちはお前などに降伏しない!」

 惚れ惚れするほどの滑らかな日本語で、罵倒の言葉が返ってきた。

 佐々木は自分が出来の悪い芝居の中に居るような感覚に囚われる。

 嘘で塗り固められた台本を読むように、叫ぶ。

「こんなことをして何になる。復讐でテロを起こしたところで、死んだ者は喜んだりはしないそ!」

 返答は銃声だった。

「知ったような口を叩くな!お前に殺された者の何が分かる」


 そのまま2発、3発と撃ってくる。

 佐々木は頭を低くした。この距離で拳銃弾が当たるとは思えなかったが、それでも佐々木の命は一つだけだ。万が一を考えれば、遮蔽に隠れるしかない。

 その時、不意にぞっとする感覚が蘇った。こいつは。


「走ったぞ!」

 インカムからの声。

 制圧射撃と突撃の典型的な組み合わせだ。女が牽制して佐々木の目視を妨げ、その隙にもう一人が走って接近戦に持ち込む。

 30メートルの距離など、5秒もあれば簡単に詰められてしまう。雨宮という観測手がいなかったらどうなっていたか分からない。

 しかし警告は適切に行われ、そして佐々木はかつてこの動きを見たことがあった。


 佐々木は官給品の89式自動小銃を構えた。走って来た男と至近距離で向き合う。距離5メートル。あと2秒あれば勝負は分からなかった。しかし、その差が致命的だ。

 佐々木はボディアーマーを着用の上、半身を遮蔽物に隠した万全の状態で待ち構え、一方の男は全身を無防備に晒す格好となる。短く三点射撃の音が響き、男は倒れた。


 中隊長に救われたな、と佐々木は思う。

 自分の立場が悪くなることを覚悟の上で、銃とアーマーを渡してくれた。

 借りを返された、ということになるのかもしれない。


「投降するんだ。もう勝ち目はない」

 もう一度女に呼び掛ける。

 数秒の後、ゆらり、と女性のシルエットが立ち上がった。

 思わず安堵しそうになった佐々木を、雨宮の声が制した。

「油断するな、銃を持っている」

 佐々木からもそれは見えた。女は右手の拳銃を隠そうともせず、ゆっくりと佐々木に向かって歩き出す。


「止まれ!」

 20メートルの距離で佐々木は銃を向け、停止を命じた。これより近くでは、何が起きてもおかしくはない。

 女は素直に立ち止まった。しかし、右手の拳銃を手放そうとはしない。

 仁王立ちのまま、女は佐々木に語り掛けた。


「お前達、先進国と名乗る国の人間はいつもそうだ。物陰に隠れ、自分の身の安全を確保してから、武器とカネで私たちを操ろうとする」

「問答をするつもりはない。武器を棄てろ」

「そうやって、困れば結局は力づくで他者を従わせるくせに、人道やら人権やらという言葉を振りかざして人を見下す。お前たちは貴族と同じだ。他者から富を奪って特権を独り占めしながら、貧しさの中でもがく人々がお綺麗なマナーを知らないことを嘲笑っている。私たちが受けた痛みと怒りを知りもしないくせに」

 悪意と怨嗟に満ちた声が、佐々木に叩きつけられる。

「この嘘吐きが。お前があの人の友人だと? お前などより、私の方がずっとあの人のことを知っているぞ。お前は、死んだ者を都合よく自分のために使っただけだ。いつもと同じように、私達の死体を使ったように!」

 魅入られたかのように動きを止めた佐々木に、再び雨宮からの警告が届いた。

「倉庫だ! 何か出てくる!!」

 視界の端に、倉庫からモーター特有の猛加速で飛び出すEV車が見えた。ルーフの上には、航空機型ドローンのシルエット。


 しまった。

 佐々木は全てを悟る。一連の行動は全て、自分達の意識をガレージから引き剥がすためのものだった。そして今、簡易カタパルトと化したEV車を利用して、ドローンが離陸しようとしている。

 あれを止めなければ。そう意識が働いた瞬間だった。


 スローモーションのように、女が拳銃をこちらに向けるのが見えた。

 佐々木は躊躇なく引き金を絞る。女が弾け飛んだ。

 向き直り、EVの操縦席に向けて一連射。ウインドウが砕ける。だが手ごたえは無い。あれは無人、自動運転だ。そうか、だからあの車を。

 離陸速度に達したドローンがふわりと浮かんだ。それを追う89式の銃口の向こうに、家の灯が重なる。

 倉田の実家。


「なぜ撃たない?」

 雨宮の声が響いた。

「民家に当たります」

 佐々木は銃を下ろした。加速したドローンが有効射程外に飛び去って行く。


 佐々木はこと切れた女の身体を見下ろした。

 酒場で見た時も、雨宮が見せた写真でも。常に影のある女だった。

 晴れやかな顔をしていたのは、沿道で祖国万歳を叫んでいた姿と。

 倉田達と撮った写真だけだった。

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