第11話

 今後のことを詰めるための話し合いが続き、いつしか時計は19時を回っていた。

 佐々木はふと、気になっていたことを尋ねる。

「結局、倉田が殺された理由は何だったんでしょう」

「常識的に考えて、潜入者は何の意図も無く親密な関係になろうとはしないものだ。やはり彼女は、なんらかの情報を得ようとして彼に近づいた可能性が高い。欲した情報が何であったのかは、まだ分からんが」

 雨宮は途中で買い入れた缶コーヒーを飲んだ。

「そして何かのミスを契機に、倉田君に身分を察知されてしまった。それで殺害に及んだのだろう」

「倉田が、どうやってテロリストの身元を割り出したんです?」

「余談に属するが伝えておこう。我々より先に、彼女のパスポート記載内容を調べた者がいたようだ」

 驚く佐々木に、雨宮は再び種を明かした。

「倉田君はロシア人の友人が多かったのだろう? ロシアでは賄賂が強力だ。伝手とカネさえあれば、それぐらいのことは簡単に出来る」

 あの野郎。佐々木は倉田の顔を思い出す。妙なところで小知恵が回りやがって。おとなしく騙されていれば、助かったかも知れないってのに。


 しかし、倉田から得ようとしていた情報ってのは何だ? 佐々木はそれに対して思考を巡らせた。

 倉田はどうということのない仕事をしていた公務員だ。特別な情報を持っているような立場ではなかった。雨宮は言っていた。手当の申請方法やその必要書類に関する知識が、不慣れな者にとって死活的に重要な情報になり得るように。倉田にとってではなく、相手にとって必要な何かがあったのではないか。


「話のついでに伺いたいのですが」

「なんだね」

「今回、テロのターゲットとして想定されているのは」

「当然、平和条約の調停記念式典だ。ロシアからの賓客が狙う可能性が最も高いと想定している」

「ですが式典当日は警備も厳重です。それ以外のソフトターゲットを狙うことも考えられるのでは」

 倉田が式典に関する情報を持っていたとは思えない。だとすれば、それ以外の目標があったのではないか。

「その場合、範囲は一気に広がるな。己の不満を示すためのテロ行為というものは機会主義的になる。過去の例を見ても、単に狙うことが可能だった、というだけの理由でターゲットを選定していることは多い。テルアビブ空港もツインタワーも、あえてその場所である必要などなかった。強いて言えば、確実に多くの被害が出るという程度だ。そうなれば、当然予測は難しくなる」

 佐々木の頭の中で、思考が形になりかけた。まさか。


 その瞬間、スマートフォンの着信が鳴った。

 しまった。佐々木は少々ばつの悪い思いをしながら雨宮を見る。帰り支度をしていたところだったのでうっかり私物のスマホを持ってきてしまっていた。

 構わないと態度で示した雨宮に目礼し、佐々木は着信に応じる。


「もしもし、ゆうちゃん?いきなりゴメン。急ぎだったから、鳴らしちゃった」

 市川の慌てた声が聞こえてくる。

「いや、いい。何かあったのか?」

「大変なんだよ。今井から連絡があってさ。井尻ちゃんが撃たれたって」

 佐々木は思わず息を呑んだ。

「なんでだ。何があった!」

「あのさ。この間の二次会で井尻ちゃんがヒートアップしちゃってさ。結局、本当のところどうだったのか確かめに行くとか言い出して。今日、今井を引き連れて店に突撃しちゃったらしいのよ」

 佐々木の顔から血の気が引く。オレは馬鹿か。なぜそのことを予測しなかった。あの夜のメンバー全員に警告すべきだったのに。

「んで、店の前で前に井尻が言ってた男と、例の女が一緒だったのを見たらしいのね。やっぱり結婚詐欺じゃないかって井尻ちゃんが騒いで揉めて。警察呼ぶぞって言い出したら、最後に相手が拳銃出してきて」

「井尻の容態は」

「病院で緊急手術だって。医者は助かるって言ってるらしいけど」

 市川の語尾に涙声が混じった。

 自分のせいだ。自責の念に駆られながらも佐々木は、心を鬼にして言った。

「済まない、市川。後で折り返す。どうしても今、先にやることがある」

 くそっ。最悪だ。しかし戦場では、最悪の事態こそ真っ先に報告されなければならない。

 通話を切ると、佐々木は雨宮に向き直った。


 ――――


「そうか。迂闊だった」

 顛末を聞いた雨宮は、冷静にそう言った。

「申し訳ありません」

「いや、私のことだ。君はこういった仕事に慣れてはいない、私が明確に指示すべきだったのだ。済まない」

 罵倒された方がマシだとは思ったが、佐々木は強引に思考を切り替えた。体面や面子、起きたことの責任など後で考えるべきことだ。

「意見があります」

「聞こう」

「状況から考えて、彼等は潜入に関して練度が高くない。パニックに陥っているのでしょう」

 本来ならばなんとしても無難に納めなければいけない状況だった筈だ。にも関わらず、軽率に銃を出して撃ってしまった。

「札幌での発砲事件は珍しくもなくなってしまいましたが、それでも警察の捜査から逃げ切るのは簡単ではありません。ロシアンマフィアの後ろ盾が期待できない彼等では尚更です」

「道理だ。結論は」

「直ちに行方を追跡するべきです。彼らのドローンが飛行可能であった場合、それを離陸させるチャンスがあるのは今夜だけです」

「同意する。しかし、手掛かりがないぞ。こちらも監視体制を組むのには間に合わなかった。追跡しようにも、所在が掴めん」

 佐々木は目を瞑った。脳が全開になっているからだろう。前回は思い出せなかった風景が、鮮明に頭に浮かび上がる。

「一つ、心当たりがあります」

 佐々木は説明を始めた。


 ―――――


「無理を言って済まない。市川、よろしく頼む」

 通話を切るのと同じタイミングで、雨宮が建物から出てきた。指揮官職との話し合いは簡単には行かなかったようだ。三十分近くが消費された。いやむしろ、それだけで話がついたことを奇跡と呼ぶべきかも知れない。

「ほう、新型じゃないか。一度乗ってみたいと思っていた」

 佐々木は私物のバイクに跨ったままどうもと礼を言いい、フルフェイスのメットを差し出した。雨宮は手早くそれを被ると、バッグを担いでタンデムシートについた。

 駐屯地ゲートで手続きを終えると、公道に出て加速する。互いのメットについたインカムのおかげで、会話に支障はない。

「緊急事態に備えて、市内数か所に待機してもらうことで話がついた。しかし出動するとなれば、なんらかの証拠が必要だ。それこそ実際に飛行してるドローンでもないことにはな」

 それですら危うい話だった。本来、自衛隊が動くには政府からの命令が必要となる。台湾海峡危機以来、常時発せられている防衛出動準備の拡大解釈。一歩間違えれば、クーデターと言われてもおかしくない行為だ。


「どれぐらいかかる?」

「こいつならば、直ぐです」

 札幌市街を抜けた北。倉田の実家が持つ倉庫が目的地だった。

「言ったとおり、確証があるわけじゃありません」

「いや、十分だ」

 あの倉庫のサイズならば、相当に大きなものを隠すこともできる。倉田から鍵を借りて、荷物を置かせてもらうぐらいのことは簡単だっただろう。持ち主不明の廃倉庫などを使用する可能性もあるが、それでは予想外のタイミングで通報されてしまう危険がある。メリットとデメリットを計算すれば、最初に疑うべきはそこだった。


「街の中心を走ると、却って時間が掛かります。脇道を抜けますよ」

「任せる」

 メインストリートから曲がる寸前、右翼の街宣車とすれ違う。彼らは夜の道を走りながら主張をがなり立てていた。

「北方領土は歴史的に我が国固有の領土であり、その奪還は我々の正当な権利である!」

 くぐもった雨宮の笑い声が聞こえた。

「歴史的に見れば、北方領土はアイヌ人のものだろう。彼らは本当に歴史を理解しているのだろうか」

 インカムから、愉し気とすら言える口調が流れる。

「知っているかね。クリミアはロシアでもウクライナでもなく、タタール人の土地だった。もっともタタール人とは、西方を侵略してその地を奪い取った、モンゴル帝国の末裔のことだそうだが」


 汝の隣人の土地を欲しがってはならない。素晴らしき教えだ。

 だが隣人とは誰で、その土地は誰のものなのか。

 問いかけに、神は何も答えてはくれない。


「どいつもこいつも忠告を聞く耳をもたん。だから我々がその尻拭いを行うことになる。まったくもって、公務員というのは因果な仕事だな」

 急ぎます。それだけ言って、佐々木はバイクのアクセルを開けた。

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