第7話
なんだか無性に昔の仲間に会いたくなり、佐々木は高校のサークルメンバーに電話を掛けていた。市川は、学生当時から一番気安い友人だ。しかし、倉田の死を告げた時、その反応は佐々木の予想とは少し違っていた。
「あー、聞いてるよ。くらちゃん、死んじゃったんでしょ。かわいそうにね〜」
「知ってたのか」
我知らず、少し声が荒くなる。知っていたのなら、教えてくれても良かっただろうと。
「誰から聞いたんだ」
「井尻ちゃんから。今井も一緒に葬式に出たはずだけど、ゆうちゃんとこには連絡なかったの?」
屈託のない市川の声。佐々木は意識して、声のトーンを平静に戻そうとする。
「来てないぞ」
「あれぇ。おっかしーな。連絡するって言ってたけど」
ここで不機嫌になっても意味はない。そうは分かっていても、モヤモヤした感情が残った。しばらく雑談をしていると察した市川の側が提案をしてくる。
「良かったらさ、ひさびさに会って飲む? くらちゃんを偲ぶ会」
ああ、それもいいなと佐々木は答えた。
「じゃあ、いつも通り今井の店にしようか。こっちで調整するから、また連絡するね」
通話が切れたとき、ふと気付く。
そういえば、友人と音声通話をするのはいつぶりになるのだろうと。
―――――
「だからぁ、俺は連絡したよ!」
なんで連絡をしてくれなかったのか。そう尋ねられた井尻は憤慨した口調で言った。小柄な体つきだが、相変わらずエネルギッシュな印象を振りまいている。
「確認してよ、メール」
メールだって? 佐々木は慌ててスマートフォンを取り出して検索をかける。
「済まない、あった」
「でしょ。裕司さんが返信くれなかっただけじゃん」
最近はSNSばかり使うため、個人用のメールチェックがすっかり疎かになっていた。
そういえば、と思い出す。佐々木は自衛官という仕事柄、頻繁にスマートフォンのチェックをすることが出来ない。どうせ同じことだから、メールで連絡をするように言ったことがあった。
もう忘れるほど前の会話。井尻は律儀にそれを守り続けていただけだった。
「お前らさ、来るのがいっつも急なんだよ。臨時休業の損失分、カネ払えよな」
目の細い、筋肉質の男がテーブルに料理を置きながら言った。
今井は、札幌の繁華街から少し外れた居酒屋を切り盛りしている。週末、この人数で貸し切りにしてしまうのは割に合わないだろうに、人の良さは相変わらずだ。
「今度また肉持ってくるから、それで許してよ~」
市川は普段SEの仕事をしながら、時折、猟銃を持って山に入るという妙な趣味がある。得物を仕留めたときは、今井の店に持ち込むこともあり、それが店のちょっとした名物になっていた。
「ああ、そういや前の鹿肉が凍ってたな。後で焼くよ」
それを聞いた井尻が嫌な顔をする。
「野生の鹿って寄生虫だらけだぜ。良くあんなもの食うよな」
「井尻、それは理屈がおかしいぞ。鮭だって烏賊だって、下ごしらえしてれば寄生虫だらけだって分かる。きちんと冷凍するか、焼けば安全。寄生虫ぐらい、普段から皆喰ってるぜ」
「そうは言ってもさー、気分ってあるじゃん」
井尻は今井の言葉に納得せず、言葉を左右に濁す。
「鹿が駄目なら、今度、市川に熊肉持ってきてもらおうか」
「いや、だからぁ。熊はヤバいんだって~ あれはシャレなんねーのよ」
市川は以前、ヒグマに遭遇して難を逃れたことがある。
「ホントにいきなり出てくんの。だけど込めてたのが鳥撃ち用の散弾でさ、敵う訳ないじゃん。なのに気づいたら、熊がもう目の前。あれはもう死ぬかと思ったね」
身振り手振りを交えながら、本来は生死に関わるシリアスな話を、市川は愉快な童話のように語る。
「威嚇のつもりなんか、グワーッと立ち上がんの。んで、こっちも反射的に熊の顔面を撃ったんだけどさぁ」
それは市川の一つ話だった。
「全然効かないね。つか、逆にそれが良かったのか、熊ちゃん、びっくりして呆然としてるのよ。もうホント、ぽかーんって感じで。慌てて後ずさりして距離を取ってさ。そっからはもう、全速力で逃げよ」
なまじ中途半端な傷をつけていたら、怒り狂って襲い掛かってきただろう。威力のない散弾だったから、逆に助かった。それが市川の言い分だった。
「面白いことに、殺意が消えたの分かるんだよね。やっぱ生き物ってなんか通じる部分があるんだと思う」
どこか懐かしい、いつもの雰囲気。気の置けない仲間との会話。今井は少し料理の腕を上げたようだった。酒と料理が入り、全員の口が軽くなる。
「そういえば田口は?」
「離婚して大阪に戻ったってさ」
「なんだよ。あいつ二回目だろ。大丈夫か」
「そういえば、この人数で集まれたのって何年振りだ?」
「ん~と、三年。それとも四年かな」
そんなに経っていたのかと、佐々木は驚く。そう言えば先日、今井のところにも子供が生まれたらしい。市川の子供は、保育園の年齢だったろうか。
話題はやがて、倉田のことへと移っていった。
「まったく、酔って凍死なんてらしくないよな」
「でもあいつ、そういう迂闊なところあったぜ。ポカミス多いっていうか。なんか、うっかりやっちまったのかも知れない」
「くらちゃんさ、親切は親切なんだけど、なんかちょっと足りないところあるよね~」
今井と井尻の会話に、市川が加わる。
「子どもを保育園に入れないといけないからさ、くらちゃんに色々聞いたのよ。んでね、確かにこっちが聞いたことは全部詳しく教えてくれて。お迎えもしやすいところに決まってさ。それは感謝してるんだけどね」
市川は不満そうに口を尖らせた。
「入った保育園がもうさ、ロシアの子だらけなの。でも、外国人だらけだと、園の雰囲気って変わるじゃん。言いたくないけど、水商売してる人が圧倒的に多いし」
市川のぼやき声に全員が笑う。
「確かにそれは困るな」
「倉田も言ってくれればいいのに」
「ホームページとかで調べられなかったの?」
「後で聞いたのよ。そしたら、外国人が多いとか水商売の人が、って話は差別に当たるから役所は情報提供できないんだって」
ありそうな話だと佐々木は思った。現実的に必要な対応を表向きの理念で禁じ、結果として被害を増大させてしまう。日本の官僚組織の通弊だった。
「ロシア語を話せる先生が必要になるから、受け入れられる園って限られてるみたいなんだよね。だから集中しちゃうらしい」
市川が自分のスマートフォンを取り出した。
「そうなるとさ、日本人の親には不満が多くなんの。見てよ」
差し出された画面には、SNSの書き込みが示されていた。どうやらその保育園に通う日本人の親が情報交換をするための場であるらしい。
「なんだこれ」
「意味がわかんねーよ」
参加者の年齢層が比較的若いこともあってか、書き込みは内輪のメンバーでしか理解できないような略語に溢れていた。
『なんでTRのせいで私たちが苦労しなきゃなんないの。N最』
『GRGRGRGRGR』
「どういう意味なんだ?」
「ダメだな~みんな。ちゃんと情報入れとかないと」
得意げな顔で市川が解説をする。
「TRは、東京リベラル。都会で好き勝手言ってる奴らのコトね。んで、N最は日本最悪の意味。GRは、Get out Russian!」
最後のフレーズだけ見事な英語で発音し、中指を立てて見せる。一人は爆笑し、残る二人は苦笑した。
ふと思いつき、佐々木は訊いた。
「そういえば倉田、ロシア人と付き合ってたって聞いたが、誰か知っているか?」
「あー、それね」
井尻が手を挙げた。相変わらず酒に弱いのか、もう顔が真っ赤になっている。
「裕司さんも聞いたんだ。うん。俺、会ったよ」
「会ったこと、あるのか」
「ロシアンパブの子でさ。これが外国人ってのもあって結構美人なの。あんなのとヤレるなんて、ちょっと羨ましい」
その手の話題が苦手な今井が、わざとらしく表情を消して視線を逸らす。
「だけどさ、やっぱり倉田は騙されてたと思う。色々とプレゼントとか貢がされていたみたいなんだけど。実は倉田に紹介される前に俺、その子に会ったことあるのよ」
「くらちゃんより先にパブに行ってたってコト?」
「ちげーよ。普通のとこ」
「倉田のご両親に会ったんだが。実はロシアに子供がいるんじゃないか、って話をしてた」
「倉田もね、子供がいるかも知れないってのは覚悟してたみたい。それっぽい話も聞いてたらしいよ。けどさ」
井尻は声を潜めた。
「うちの店に客として来てたんだ。別の、外国人の男連れで」
井尻は中古車の販売店に勤めている。札幌でも割と規模の大きな店だ。
「人違いってことはないのか。外国人の顔なんて、似て見えるだろう」
「この井尻様が見間違えるわけねーじゃん」
よく分からない自信を見せて、井尻は答えた。
「こっちが親切に、冬の北海道だとバッテリーが信頼できないって説明しているのにさ、どうしても中国製のEVにするって聞かなくて。良く覚えてる」
言っているうちに、怒りのスイッチが入ったらしい。
「だからパブで会った時、別れ際に言ってやったの。『お車を購入して頂きありがとうございます』って。ものすげー動揺してた。あれはクロだね」
「おい。それ、倉田には」
「後で教えたよ。騙されてるかも知らねーから注意しろって。あいつがその後どうしたかは知らないけどさ」
ひょっとして、と佐々木は思う。その一言によって、倉田は女を疑うようになったのではないだろうか。そして何かに気付き、警察に通報した。
「女の勤めてる店が分かるか? あと、名前は」
「すすきのだよ。チャイカって店。名前は確か、アンナって言ってたかな。倉田もそう呼んでたから、源氏名じゃないと思う。ああ、あと」
井尻はスマホを取り出した。
「写真もあるよ。三人で撮ったやつ。えっと」
向けられた画面には、こげ茶色の髪をした女が写っていた
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