第6話

「ほう、上手く行ったのか」

 まったくもって失礼なことに、佐々木からスマートフォンを渡された雨宮はひどく意外そうな顔をした。

「君にはスパイの才能があるのかも知れないな」

 からかい気味に言う雨宮に、佐々木はムッとする。

「ド素人にこんなことをさせるより良い方法があったんじゃないですか。そもそも通信記録ぐらい、あなた自分で調べられるでしょう」

「可能は可能だが、残念ながら我が国は法治国家でね。十分な証拠がなければ、そういった許可は取れない」

「だったらさっさと、必要な証拠を集めれば良かったのでは?」

「君は妙なことを言うのだな」

 雨宮は手にしたスマホを振って見せた。

「そのために、これの回収を依頼したのではないか」

 佐々木は不機嫌そうに黙り込んだ。

「いや、実際に助かったよ。通信会社の記録より、実機の方が得られるデータはずっと多い」

 遺体が見つかった時、倉田はなぜかスマホを所持していなかった。道警が事故と判断したこともあり、これまで現物を調べる機会は失われていたという。

「もちろん、ただの偶然という事もあり得る。しかしひょっとしたら、身の危険を感じ、相手に情報を渡さないために敢えて自宅に置いた、ということも考えられる」

「倉田はただの公務員ですよ。大した情報なんて持っていない」

「言っただろう。予断は良くない。攻撃者側が何を意図しているかによって、情報の価値は変わって来る。こちらにとってはありふれた、当たり前の情報であっても、それが不足している側にとっては決定的に重要ということは珍しくないのだよ」


 攻撃者。仮にそんなものがいたとすれば、何者だろうか。

 今回の平和条約締結と、それに伴う北方領土交渉に反対する勢力は多い。

 まずはロシア国内だ。自国の領土を譲り渡す今回の決定は好意的に評価されてはいない。国内で政治的な混乱が続く中、反対勢力が現政権の施策を妨害することは当然にあり得る。

 次に中国。戦略原潜以外はその価値を失ってしまったロシア海軍にとって、太平洋への出口を確保することに最早意味は無い。しかし、拡大中の中国海軍にとっては話が違う。北方ルートを日本に押さえられる影響は無視できないだろう。条約締結の妨害をする価値は十分にある。

 アメリカにもまた、若干の警戒を抱いている立場だ。なんと言っても、ロシアは未だに最大の仮想敵国の一つ。日本が必要以上に接近することはアメリカの国益にそぐわないとの判断がある。さらに言えば共同統治中の北方領土に日本、あるいはアメリカの基地を置くことは出来ないため、日本の政界内にはこれを機に日米安保条約における基地設置条項、日本のいかなる場所にも基地を設置できるという協定の見直しを図る動きがある。

 日本国内においても、反対する勢力には不足はない。ロシアとの友好推進、金銭による領土問題の解決という方針自体が、国民的な合意を得ているとは言い難いのだ。

 そして勿論、最も疑わしいのは___


 駄目だ、容疑者が多すぎると佐々木は思考を止めた。

 そう考えると、この北方領土の回復という方針にどれだけの意味があるのだろうかと思わざるを得ない。三十年後。この国どころか、世界が滅びていてもおかしくはないのに。

「大丈夫なんですかね。周辺国が軒並み反対しそうな条約を締結するのは。それに、土地を獲った獲られたって恨みは、後を引きます。十年、百年.それどころか、数千年前の話を持ち出す奴らまでいる。今回の決定が、後の禍根になりかねないと思いますが」

「我々は政治を批判する立場にない。そして、その禍根を生じないよう努力するのが仕事だ。しかし、そうだな」

 雨宮は皮肉に笑った。

「我々に神のご加護があるとは期待していないよ」

 鼻白む佐々木に、雨宮は澄ました顔のままで語る。

「私は君が持ち帰ってくれた貴重な情報源の分析をしなければならない。明日は視察の案内は不要だ。折角の週末でもあるし、君の上官には休みを取れるようお願いしておく」

「ご配慮、ありがとうございます」

 佐々木はぞんざいに礼を言った。ちなみに、自衛官は労働基準法の適用対象外とされている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る