第5話
札幌駅に近づくにつれて、道は混んでいった。車の数が増えただけではない。そこかしこで街宣車が停められ、スピーカーを握った男女がそれぞれの主張をがなり立てている。
「北方領土は我が国固有の領土である。にもかかわらず、カネを払ってロシアに返還を求めるとはなんたる弱腰か。今こそ歴史的なロシアの犯罪を糾弾し、正当な権利としてその返還を要求するべきである!」
通り過ぎたと思った途端、二台目の街宣車が現れた。
「北海道の治安悪化はもはや危機的なレベルにある。政府のロシア融和主義と、無制限の難民受け入れをこれ以上許すことは出来ない。東京の金持ちが人道的観点から難民を受け入れろと言うならば、彼ら自身がそれをすればいいのだ。道内のロシア人に対して新幹線のチケットを配り、お気楽な都民が自らの手で高邁な理想を実現する機会を提供しようではないか。人口と経済力に応じた公平な難民受け入れ負担、全てはそこから始まる。彼らがそれを極右の考えと呼ぶなら、我々は喜んで極右政党になるだろう!」
三番目の車の上に立っていた男は、お立ち台の上を小刻みに動いて位置を変えながら、通り過ぎる人々に語り掛けていた。
「このような時代だからこそ、武力による紛争の解決を否定する憲法九条の理念はその価値を増しています。安易な対外排斥や差別主義に陥ることなく、国際協調を進めなければなりません。軍事に抑制的であったことにより日本が享受してきた利点の大きさを、もう一度思い出すべきなのです」
実のところ、道を行く人の数はまばらだ。しかし彼らの主な目的はSNSで演説の映像を流すことであるため、まるで視界を埋める大群衆の前でもあるかのように熱心に声を張り上げていた。佐々木にしてみれば、自宅でバーチャルな背景を映して編集しても同じだとしか思えないのだが、彼等は『札幌の人々に直接語り掛けた』というアリバイを重視する、設定に拘るクリエイターなのだろう。
「賑やかなことだ。政治的な主張が先鋭化し、その声が大きくなるのは、人々の生活が脅かされている証拠だな」
雨宮の指摘は正しかった。日本にとっての幸せな時代。文句を言いながらも素直に現状を受け入れることのできた環境は、既に失われて久しい。
そしてその時、社会は必ず右傾化し、他者への許容度を低下させていく。
私を救えと叫ぶ声は常に、私以外の誰かを切り捨てろと要求するのだから。
「にしても、未だに九条論者とはね。一体誰が支持しているのやら」
小馬鹿にしたような雨宮の声に、佐々木はついムキになった。
「オレ達は支持してますよ。後先考えずに声を張り上げる奴らや、政治家の気まぐれで戦地に送られるのなんて真っ平です」
「そうかね。貴重な現場からの意見として承ろう」
先日国会で可決された、台湾海峡危機に出動した隊員への特別支給手当は、平均すれば一日7,500円でしかなかった。命を賭けるには安すぎる額だと佐々木は思う。軍事力などというものは、簡単に使えないようにした方が良いに決まっている。
駅近くの信号が赤になったところで、佐々木は申し出た。
「ここまでで大丈夫です。あとは歩きますので」
「そうか」
雨宮はハザードを出して路肩に車を停める。降り際に佐々木は訊ねた。
「領収書は必要ですか?」
「こちらも公務員なのでね。用意して貰えると助かるよ」
―――――
倉田の実家は札幌駅から北に向かった先、むしろ石狩と言った方が良い位置にある。
量販紳士服店で買ったばかりの黒服に身を包み、佐々木はバスを降りた。隊絡みの葬儀では制服を着ていたため、喪服の持ち合わせがなかったのだ。雨宮からは経費で落ちると聞いているため、自分が購入するであろう服よりもワンランク上を選んでいる。
街中から少し離れただけなのに、放棄された農地、使われなくなった納屋や倉庫。そして空き家と思しき建物が目につく。人口減少と過疎化による影響だった。こういった物件に無許可で外国人が棲みつき、犯罪の温床になるケースは最早珍しくもない。
そう言えば、倉田の実家も農地を持っていた筈だった。傍らに農機具と収穫した作物を入れるための倉庫があり、昔そこに集まってバーベキューをご馳走になった記憶がある。
高校時代に数度訪れただけの家の場所など、定かに覚えてはいない。佐々木はスマホを片手に、雨宮に教えられた住所へ向かって進んだ。
十数年ぶりに見たその家は、イメージよりも随分と小さく、古びて見えた。
インターホンを鳴らし、年老いた倉田の母親に訪問を告げる。
「ああ、佐々木さん。高校生の時以来ね。覚えてるわ」
葬式は数日前に終わったとのことだった。中に招かれた佐々木は訪問が遅れたことを詫び、香典を差し出した。いえいえそんな。日本人らしい儀礼的なやりとりが行われる。
なんとか受け取ってもらい、佐々木は安堵した。これだけは、自分の財布から出したカネだった。
「月日が経つのは早いわねぇ。あの頃は、みんな学校の制服を着ていたのに」
線香を上げた後、応接間で佐々木は倉田の両親の昔話に付き合わされることになった。役所の公務員という仕事柄なのか、弔問客は多いようだ。子を失った親にとって、葬儀が大変であるという事実は、僅かな慰めになるのかも知れない。わざわざ来てくれてとても嬉しいと彼らは語った。
「まったく、なんでお酒なんて飲んで。気を付けなさいっていつも言っていたのに」
時折、涙ぐみながら話す老婆の背を、倉田の父親がゆっくりとさすった。
二人にとって倉田は優しくて優秀な、自慢の息子であったらしい。適当に相槌を打ちながら、佐々木はどうしようもない居心地の悪さを感じていた。自分の持つイメージと倉田の両親の持つイメージのギャップ。そのせいだろうか。
いや。違う。やがて佐々木は、自身の心の動きに気付く。
あいつとは、友人と呼ぶほど親しくはなかった。それでも同じ学生時代を過ごし、その後も酒を飲んで語る程度の付き合いはあった。亡くなったことを悲しむ気持ちは確かにある。それを素直に伝えたかった。
しかし今の自分は、あの雨宮という男の依頼を果たすため、言わば仕事としてここに居る。騙しているようなものだった。息子の思い出話を語り続ける二人を前に、軽い自己嫌悪に陥りかけた。
佐々木は、これは任務なのだと無理に自分を納得させる。北部方面隊の視察に対する協力。それが上官からの命令なのだから。自分はそれを遂行しなければならない。
「不躾なのですが。倉田君にはお付き合いされている方がいたと伺っています」
不器用に話を切り出す。
「今度、高校時代の友人でお祝いをする予定でした」
こんなくだらない嘘で上手く行くのか。そう思いながら佐々木は話し続ける。
「こんなことになってしまったのですが、倉田君に頼まれたものがあるので、相手の方にお渡しだけはしたいと考えています。しかし、私達は彼女の連絡先を知らなくて」
もしご存知ならば、連枠先を教えて貰いたいと佐々木は話を結んだ。倉田の両親が顔を見合わせる。
「付き合いをしていた女の人って、あの外国の人よね」
隠し切れない不快感を示しながら、倉田の母は言った。
「私は反対だったのよ。ロシア人なんてねぇ。考え方も分からないし。あの子、騙されていたんじゃないかってずっと思っていたの」
佐々木は余計な口を挟まず、黙ってその話を聞いた。
「本人も、何かおかしいと思っていたみたいなのよ。最近、悩んでいた様子もあって」
年配の人によくある見られる外国人への忌避と、母から息子に対するある種の湿った執着の混じった愚痴が脈絡を欠いて続いた。
単なる繰り言。そう切り捨てることは容易い。しかしその裏にある深い悲しみを、佐々木は感じずにいられなかった。
「どうもね、ロシアに旦那さんや子供がいるなんて噂もあるらしくて。そりゃあ、戦争で困って逃げて来た人で、かわいそうなところもあるんでしょうけど、なにもうちの息子がね、わざわざその人を助けなくたって」
「まあまあ、母さん」
倉田の父が、長すぎる話を止めた。
「すまないね、佐々木君。実は私たちは、その女性の連絡先を聞いてはいないんだ。だから、電話番号なんかを教えることもできない」
「もし差し支えなければ、ですが」
佐々木は躊躇いつつ言った。くそ。これはまるっきり詐欺師の手口だ。
「倉田君のスマホをお借り出来ないでしょうか。それがあれば、こちらで調べられるので」
普通ならば、怒られても仕方のない申し出。しかし倉田の両親は日本の高齢者にしばしばみられる、セキュリティという概念が欠如した集団の一人であるようだった。
「ああ、スマートフォンか。ちょっと待っていてくれるかな」
倉田の父は疑いもせずに二階に上がった。しばらくしてから戻って来た彼は、手にしたスマートフォンを気軽に佐々木に渡した。
「まだ契約は解除していないから使えると思う。調べ終わったら、返してくれればいいから」
佐々木は深く頭を下げた。
「申し訳ありません。ご迷惑はおかけしないようにします」
その言葉に、嘘はなかった。
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