第4話
佐々木が指定された会議室に入ると、そこには眼鏡をかけた男がいた。痩せて、神経質そうに見える外見。
胡散臭い奴だ。まあ、そういう仕事をしているのだから当然か。偏見混じりに佐々木はそう思った。
「君が佐々木君か。視察中はよろしく頼む」
男はそう言い、日本的なビジネスマナーに則って名刺を差し出した。
「そちらの仕事にも、名刺なんてあるんですね」
皮肉というより、純粋な驚きだった。なんと名刺には子猫の写真まで印刷されている。
受け取ったそれをしげしげとそれを眺める佐々木に、雨宮は笑いもせずに言う。
「悪用されると困るだろう。そのため、名刺の図案は毎回ランダムに作り直している。念のために教えておくが、どこかに出せば足がつくぞ」
なるほどね。佐々木はもう一度名刺を眺めた。記された名は、雨宮 悟。
「ご忠告どうも。視察中はなんとお呼びすれば?」
「肩書はいらん。ただの雨宮でいい。こちらもそうするから、気楽にやってくれ」
佐々木はぞんざいに名刺を胸ポケットに収めた。
「了解しました。雨宮さん」
「忠告ついでに伝えておくが、私は猫など飼っていない。むしろ嫌いだ。話題を振らないでいてくれると助かるよ」
風変わりなアイスブレイクが終わると、雨宮と名乗る男は本題に入った。
「この人物に見覚えがあるかね」
写真の顔は、以前と少しだけ印象は変わっていた。それでも佐々木にとってそれは見知った顔であり、見間違えることはない。
「倉田だ。高校の同級生ですよ」
「名簿を確認したが、同じクラスだったそうだね」
「ええ。サークルも一緒でした。卒業してからも、何度か飲み会で顔を合わせてます」
非公式のサークル活動に関する記録は、雨宮も持っていなかったらしい。満足げに頷く。
「なるほど。それは嬉しい誤算だ。ちなみに現在、彼がどうしているか知っているかね」
なんだか自分が尋問されているみたいだ。そう思いながら佐々木は答える。
「確か、市役所に勤めてると聞いてますが」
「死んだよ。二週間ほど前に」
驚いて言葉を失う佐々木に、雨宮は再び頷いた。
「そのことは、知らなかったようだね」
「倉田とは、そこまで親しくありません。知り合い、といった程度です」
精神的な圧を感じた佐々木が、少し口調を荒げる。反射的な防衛反応だ。一切気にすることもなく、雨宮は畳みかけた。
「それでもご自宅を訪問して両親に話を伺うのに不自然さはない。その程度には親しいということだろう」
にこやかに言い放つ雨宮を見て、佐々木はこの男を嫌いになることに決めた。
「残念だが私にはそれが出来ない。だから君の協力を得たいと考えているのだよ」
――――
車は北に向かった。もう道に雪は残っていない。除雪の為、地面の上に積み上げられた雪の小山が所々に残っているだけだ。
駐屯地から札幌方向に向かう助手席に佐々木はいた。倉田の死因は、凍死だったという。酒に酔って、道端の暗がりで眠り込んだ。この地では珍しくも無い理由。
「警察は事件性は無いと判断した。しかしね、その少し前に彼から警察へ通報があった記録が残っている」
「どんな内容なんです」
「自分の知っているロシア人、具体的には付き合っている女性が、身元を詐称しているのではないかという内容だった」
「そんな、くだらない」
戦争後、札幌に住むロシア人は急増している。当然だが、その中にはマフィアなどの裏社会に通じる者や、売春などで生計を立てる女たちが大量に含まれていた。身元の怪しい者など、掃いて捨てるほどにいる。
「そうだな。珍しくもない話だ。馬鹿馬鹿しいと思い、担当も聞き流すだけでお終いにした」
元々ロシアの書類は信頼性が低い上に、戦争によって大量の死亡者が出ている。他人の身分を偽るのは簡単で、必要ならば誰もがそうしていた。北海道では常識だ。
「しかしね。倉田君は市役所で国際交流担当の仕事に就いていた」
「あいつがですが。危険な部署ですね」
「ああ。殉職率は、君たち自衛官よりも高い」
国際交流担当とは、要するに難民への支援を主な業務とする部署だ。数年前まではもう少し文化的で穏やかな響きを持っていた部署なのだが、今はそれがメインの仕事と認識されている。
身元不明の外国人が急増した北海道では、治安の悪化が著しい。街の一部は夜間に出歩くのに危険を感じるほどだ。そんな中、難民認定や生活保護といったカネの受取に直結する業務は、しばしば危険を伴うものになっていた。相手の恨みを買う事も多く、道内では担当者に対する脅迫や死傷事件が多発している。
「慣れていたはずだ。なのにわざわざ、身元詐称を通報した。しかも役所の上司ではなく、警察にね。何か理由があったのかも知れないだろう」
「はあ。何かの陰謀があって、倉田はそれに巻き込まれたと。そうお考えですか?」
佐々木の問いかけを、雨宮は笑って流した。
「予断は良くないな。しかし、平和条約の締結を良く思わない勢力は多いのでね。我々としては、念のために調査せざるを得ないのだよ」
念のため、か。佐々木は心の中で毒づく。
どうせこの男には、オレに伏せている何らかの情報があるのだ。疑うに足りる何かがあるのだ。だがそれをすんなりと受け入れるのも腹立たしい。少しだけ反論したい気分になった。
「国際交流担当は汚職も多いと聞きますよ。そういう絡みの、よくある恨みとかそういう線も有り得るでしょう。どうだったんですかね、倉田の仕事ぶりは」
「この国の公務員に対する、ロシア人の評価を知っているかね?」
雨宮は質問を質問で返した。別にこちらの答えをもとめちゃいない、そう判断した佐々木は、黙って雨宮の次の言葉を待った。
「いきなり現金で賄賂を渡そうとするのは危険で、逆効果になることも多い。ただし、性的サービスの提供による見返りを得ることは容易だからそちらを狙うべき、だそうだ」
佐々木は気弱そうな倉田の顔を思い出した。真面目で、悪事を喜々として行うような奴ではなかった。しかし、若い白人女性が困り果てた顔でしてきた、『お願い』を断ることは出来なかっただろうとも思う。うん、ありそうな話だ。
「もっとも、懲戒免職になるような話ではないがね。見返りと言っても、手続きのやり方を丁寧に説明し、不備があればその解決方法をきちんと指導した、というだけだ。ある意味では公務員として当然の業務を行っただけとも言える。だが、言葉や制度に慣れない外国人にとって、そういった手助けの有無は時として死活的に重要でね。彼に助けられた、そう感じているロシア人は多いようだ」
雨宮は軽く笑いながら続けた。
「必要な書類を入手するために、わざわざ休暇を取って担当外国人に同行することもあったらしい。いささかやり過ぎの感はあるが、それもプライベートの範疇だ。違法性はない」
佐々木は高校時代のことをぼんやりと思い出す。
倉田は、自分のクラスの中でいじめにあっていた。自分たちのサークルに入ってきたのは、それから逃れる場を得るためだった。学校内に友人が多い佐々木やその他の面子に近づけば、他の人間が手を出しづらくなる。そんな計算があったのは間違いない。
だから倉田はサークルの雑用、半ばパシリのような仕事を進んで受け持っていた。強制されてやらされるより、自分から申し出た方がプライドが傷つかない、というのも理由の一つだったのだろう。
自分の居場所を確保しようと必死で、それがどこか卑屈な印象を与えると共に、周囲の人間を利用しようとする計算高さが見え隠れしていた。
そんな性根が分かっていたからこそ、本音の部分で親しくはなれなかったのだ。
「総じていえば、真っ当な公務員だな。熱心に仕事をし、役得も合法内に収めていた。記録の限りではあるが、そんなところだと私は思う」
雨宮の評を聞いた佐々木は思った。
国際交流担当か。倉田はきっと、その仕事を愉しんでいたに違いない。
この国に逃げ込んできた人々にとってある意味、倉田は絶大な権力者だった筈だ。その意向で、運命が変わってしまうほどの。
だからあいつは、全力でロシアの人々を手助けしようとしたのだろう。
人を破滅させることだけが権力の味ではない。みじめだった日々を払拭し、己の価値を感じたいと望むのであれば。
他人を傷つけるよりも救ってしまった方が話は早い。その方がずっと簡単に、他人からの賞賛と感謝に満ちた日々を過ごせるのだから。
そう。あいつはそういう、なんというか実に始末に困る考え方をする奴だった。
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