第183話 いつか、想いを結んで。
翌日。
「おはようございます! 一ノ瀬先輩!」
「お、おはよう。今日もよろしく」
「はいっ! よろしくお願いします!」
昨夜のマスターとの話し合いを
「…………」
「…………」
どうしよう! やっぱ無理かも!
昨夜の意気込みはどこへやら。挨拶を交わし終えたところで、そこからどう踏み込めばいいのか分からず、結果気まずい空気にしてしまった。
「(そもそも先輩は女が苦手なんだから、話しかけられるのすら嫌なのでは⁉)」
一ノ瀬先輩と接する上で避けられない要素。それをうまく刺激せずに会話できる器用さが私にあるのかと言われたら、そんなの決まってる。答えはNOだ。
自分でも分かってるんだ。自分が不器用な側だということに。
そんな自分が嫌だから、変わりたいと思ったからここに来たはずなのに、なのに結局同じ所で
「(ダメだダメだ。卑屈退散!)」
ぶんぶんと頭を振って、ネガティブ思考に流されていく思考を強引に切り替える。
とりあえず、何でもいい。先輩と距離を縮められる話題を探さないと。
「いやぁ、今日も暑いですよねー!」
「うん。そうだね」
「…………」
はい会話終了ー。先輩から無駄話に付き合う気はないオーラがビンビン伝わって来る。
たしかにこれはカリン先輩の言う通り塩対応だ。それも超塩対応。……カリン先輩。こんな人によくぐいぐい話にいけるな。ほんとに尊敬する。
私の中でまた一つ憧れの先輩に対する尊敬値が上がったのとほぼ同時。「はぁ」、と眼前からため息が聞こえた。
「いいよ。べつに無理しなくて」
「――ぇ」
呆れたような、諦観しているような冷たい視線を向けられてビクッと肩を震わせる。そんな私に一ノ瀬先輩が問いかけてきた。
「昨日。マスター……伯父さんから色々と聞いたんでしょ?」
「……はい」
静かに、こくりと小さく頷けば、一ノ瀬先輩はまた小さくため息を落とした。
「僕も伯父さんが清水さんを送っていったあとに話を聞いた。伯父さんが僕との関係を清水さんに明かしたこと」
「家族だったんですね。マスターと」
「うん。僕と秋斗伯父さんは家族だよ。そして、今は訳あって僕は実家を離れて、秋斗伯父さんと一緒に暮らしてる」
「それもマスターから聞きました。一ノ瀬先輩がここが地元じゃないって」
「はぁ。伯父さんは一体どこまで話たんだか」
「詳細は教えてもらってないです! ただ、昔色々とあって、先輩がこっちに引っ越してきたって」
「それを聞いて僕の体質のことを分かっていれば、あとは何があったのかは大体見当がつくとは思うけどね」
「っ」
追及するような一ノ瀬先輩の視線に思わず息を飲んで、反射的に視線を逸らしてしまった。
先輩の指摘通りだ。マスターから聞かされたのが抽象的であれど、先輩の体質を知っていれば原因は分からずとも少なからずそれと関連があることは分かる。
けれど、それもあくまで私の推論に過ぎない。事実を知っているのは当事者本人だけ。
そして、今の私に一ノ瀬先輩の過去を知る資格がないことは理解してる。
私と一ノ瀬先輩はまだ、知り合ったばかりの赤の他人。バイト先の先輩と後輩なのだから。
「……先輩の過去は、正直に言えばすごく気になります」
「言っておくけど、キミに教えるつもりはないよ」
「分かってます。私に先輩の過去を知る資格なんてありませんから」
でも、
「でも、先輩と仲良くなりたいって想いは私の本音です」
「――――」
「これは、マスターから依頼されたものでも、他の誰からもお願いされたことじゃないです。私は、嫌いな自分を変える為に
先輩の気持ちは痛いほど理解できる。だって、私も先輩と同じだから。
「私も、いつまでも乗り越えられない過去を抱えてるんです。思い出す度に、今でも胸が苦しくなります」
今はもう決して掴めない、掴むことができなくなってしまった彼の背中。彼の笑顔と声が脳裏に過る度にこの胸は悲鳴を上げて、絶え間なく後悔が襲い掛かって来る。
この気持ちが少しも軽くなったことなんてない。いつまで経っても、この痛みが安らぐことも、癒されることもない。
失恋が残した傷跡は私が思っているよりも重くて、そして、想像以上に私の心を
「先輩が抱えている悩みなんかに比べたら、私の悩みなんかちっぽけなのかもしれません。でも、過去を乗り越えられない苦しみはよく解ります」
「自分も過去に躓いて苦しんでるのに、それなのに他人の事情に首を突っ込む余裕があるの?」
「あはは。痛いとこ突いてきますね」
一ノ瀬先輩の的を
「先輩の言う通りかもしれません。他人のことを気遣う余裕があるなら、まずは自分の過去とケリを着けて前に進んだ方が遥かに自分の為になると思います」
「だったら……」
「でも、無視はしたくないんです」
それまではどこか気まずくて、上手く先輩と目を合わせられなかった。
けど、今ははっきりと、真っ直ぐに先輩の目を見て、伝える。ううん。伝えたい。私の想いを。
「自分を優先にして、それですぐ傍にいる人の苦悩を見なかったことはしたくないんです」
「どうして?」
「理由なんてないです。ただ、放っておけないです。一ノ瀬先輩のこと」
それが余計なお世話だと、お
でも、それでもだ。
私はどうしてか、先輩のことを放っておけない。
「余計なお世話だよ。僕が女嫌いだって知って、それでも関わろうとしてくるのなんて、嫌がらせと思われても仕方がないよ?」
「たしかにそうですね。私、先輩に心底嫌われるかもしれません。それはちょっと……いやすごく傷つきますけどっ……でも、それで少しでも一ノ瀬先輩が抱える苦しみ少しでも良くなるなら、私は嫌われても構いません」
「――っ。……カリン先輩と同じことを」
「カリン先輩?」
不意に一ノ瀬先輩の口から
それから先輩はどっと深い吐息を落として、
「……清水さんの意思はよく解った。どうやら伯父さんの言う通り、本当に僕を教育係から外す気はないみたいだね」
「はい。これからも先輩に教わりたいです」
覚悟、というよりは決意だ。私は
それを
ジッと、眼前の青年を見つめる。揺るがぬ視線で見つめ続けると、やがて呆れたようなため息が聞こえて。
「分かったよ。これまで通り……いや、改めてよろしく。清水さん」
「――っ! はい! よろしくお願いします!」
きっと、私の意見が翻ることのないと悟ったのだろう。どこか諦観の見える微苦笑を浮かべる一ノ瀬先輩に、私は大きく目を見開くと、胸に湧き上がる喜びを噛みしめながら深く頭を下げた。
「言っておくけど、握手はしないからね。というか、ごめんできない」
「分かりました。でも、いつか、先輩の病気が治ったら、その時は先輩の後輩として握手して欲しいです」
「くすっ。先の長い約束になりそうだよ?」
「構いません。それまでに、先輩にとって頼れる後輩になりますから」
「――分かった。約束するよ。僕の病気が治ったら、それと清水さんが僕にとって頼れる後輩になったら、その時はキミと握手する」
「はいっ。約束ですよ」
今はまだ、先輩は触れることもあまり目を合わせてくれもしない。けれど、約束は結べた。今はそれで満足だ。
「(少しずつ、少しずつでいい。歩み寄ることの大切さは、私が一番よく知ってる)」
――こうして、私と一ノ瀬先輩の、本格的な先輩と後輩という関係が動き始めたのだった。
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