第187話 看板猫・コタロウさん

 初日とはまた違う緊張感に包まれながらメモリアに着くと、私は店内に入ってすぐにきょろきょろと周囲を見渡した。


「にゃー」

「あ、おはようコタロウさん」


 店内の様子をうかがっていると足元に可愛らしい鳴き声が聞こえて、視線を下げるとこの喫茶店の看板猫のコタロウさんが私の元にやってきていた。


 どうやらお店を巡回中だったらしく、入口の呼び鈴の音を聞いてこっちまで戻って来たコタロウさん。習慣なのか、コタロウさんはお店のどこに居ても呼び鈴が鳴ると真っ先に出入口に向かってくる。猫なのに従業員よりも早くお客さんに挨拶しにくる姿勢に見習いつつ、私はしゃがむと魅惑みわくの黒い毛並みを撫でた。


「くあぁぁぁ。ほんと、コタロウさんは触り心地いいなぁ」

「んにゃ~」


 最初の緊張感はどこへやら。コタロウさんの癒し力で瞬く間に頬がゆるんでいく私。

 そうしてしばらくコタロウさんの毛並みを堪能していると、


「ふふ。おはよう。清水さん」

「あっ、マスター。おはようございます」


 この黒猫の飼い主であり喫茶メモリアのマスターが微笑ましい光景でも観るかのように微笑を浮かべながら私とコタロウさんの元にやって来た。


 私はマスターへの挨拶を返したあと、ハッと思い出したように周囲を見渡して、


「あの、今日一ノ瀬先輩は?」

「煉なら今日は休みだよ」

「そ、そうですか」


 マスターの答えに思わずほっと安堵あんどの息を吐いてしまって、ハッと我に返ると私は慌てて首を横に振った。


「あいやっ、これは違くて! べつに一ノ瀬先輩に教わりたくなくて安心したとか、先輩と一緒に仕事するのが嫌だとかは決してなくてですねっ……」

「大丈夫。清水さんが言いたいことは分かってるから」


 必死に弁明しようとして段々と錯乱していく私をマスターがなだめて、息を整えるよう促してくる。


 何度か深呼吸して落ち着きを取り戻すと、私はマスターにぺこりと頭を下げた。


「すいません。なんか勝手に取り乱しちゃって」

「気にしてないよ。だからそんなに落ち込まないで」

「あの、本当に一ノ瀬先輩に教わるのが嫌とかじゃないんです。ただ……」

「ただ、煉とどうやって関わればいいのか、それが分からないんだよね?」

「――っ」


 言いよどむ私の思考を読み取ったようにマスターがその先を答えて、私は思わず目を瞠った。


「お客さんの様子的に余裕はありそうだけど、できればこの話は時間をもってしたい。清水さん、申し訳ないが、仕事が終わったあと少し時間をもらえないだろうか」

「……分かりました。私も、マスターに聞きたいことがいくつかあります」

「清水さんには厄介ごとを押し付けてしまったからね。聞きたい質問には全部答えよ」


 私の言葉をまるであらかじめ予測していたかのような微笑みにわずかに怖気を覚えながらこくりと頷くと、


「それじゃあ、話は仕事が終わってから。あ、ちなみに今日清水さんに教えるのはベテランパートさんの米女さんだから、着替えたら彼女に挨拶してね」

「はい」


 ひらひらと振ってキッチンへ戻っていくマスター。その後ろ姿を眺める私の足元には、黒猫が不穏を告げるかのように「ゴロゴロ」と唸っていた。




あとがき

ワイの作品、猫出る率多くね? 




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