第186話 イケメン先輩の知られざる秘密

「たっはあ――――っ!」

「お疲れ~、ゆずっち」

「お疲れ様ですぅ」

「あははっ。めっちゃ疲れてるじゃん」


 その日の研修と仕事を終えて、どうにか無事に初日を乗り切った私は、今日だけで一週間分の疲労が溜まったようなドッと深い息をこぼした。そんな私の疲労困憊ひろうこんぱいぶりに、一緒に着替えているカリン先輩が面白可笑しそうに笑っていた。


「どう? 初めてのアルバイトは? やっぱ緊張した?」

「めっっちゃ緊張しました!」


 素直に感想を言うと、カリン先輩は「めっちゃ正直」とカラカラと笑った。


「でも初日にしてはばっちり動けたよ!」

「そ、そうですかね?」

「うん! 私なんてバイト初日に皿割ったから! あとお会計も間違えた! だからゆずちん。やらかさなかっただけで自信持っていいよ! キミは期待の新人だ!」

「あはは……ありがとうございます」


 ぐう! と親指を立てながら今日の私の働きぶりをたたえてくれたカリン先輩。どうしてだろう、すごく嬉しい評価のはずなのに、直前に聞かされた先輩の失敗談の衝撃の方が大きせいか素直に喜べない。


 どう反応したものかと困った風に頬をひきつらせていると、


「そういえばどうだった? 煉くんに教わった感想は?」


 ユニフォームのボタンを全部外したタイミングでふとカリン先輩にそんなことを聞かれて、私はやや遅れて先輩に答えた。


「すごく丁寧に教えてもらいました」

「ならよかった。いやぁ。実はちょっとばかし心配だったんだよね。煉くん。ちゃんとゆずちんに仕事教えてあげられてるかどうか」


 カリン先輩はほっと安堵の息を吐いたあと、「ほら」と継いで、


「自己紹介の時に煉くん。ゆずちんの教育係になるの反発してたでしょ」

「はい」


 その光景は今でもよく覚えてる。たしかにあの時、一ノ瀬先輩はマスターからの提案に物凄く躊躇ためらっているように見えた。最終的には根負けして私の教育係になったけれど。


「あの時、ゆずちんにはちょっと嫌な思いさせちゃったよね」

「いえいえっ! 全然気にしてませんから! ……それに、さっきも言いましたけど、仕事中はすごく丁寧に教えてもらいましたし」


 実際、仕事中はあの出来事が嘘だったかのように一ノ瀬先輩は私に優しく指導しどうしてくれた。


 オーダーの取り方やお会計の方法。テーブルの後片付け。不慣れな私でも解りやすいように説明してくれて、新米アルバイトの体調を気遣きづかって適度に息抜きする暇も与えてくれた。その時の一ノ瀬先輩は間違いなく学校でよく見かける王子様みたいだった……けど、やはりどこか普段と違う印象は拭えなくて。


「あの、カリン先輩」

「およ? どした?」

「一ノ瀬先輩のことなんですけど……カリン先輩。私の自己紹介の時に言ってましたよね。一ノ瀬先輩は誰にでも塩対応、みたいなことを」


 仕事中もそれが気掛かりで、それが私に一ノ瀬先輩に抱く疑念を増大させていた。それを聞くのなら今がチャンスだと直感して、私は思い切ってカリン先輩はたずねてみることにした。


「あれって、どういう意味なんですか?」


 私の問いかけに、カリン先輩はぽりぽりと頬を掻くと、複雑そうな表情を浮かべながら答えた。


「どういう意味もなにもないよ。煉くん。大抵どんな人にも素っ気ない対応するから。それで学校でも同じなのかなぁ、って思って聞いてみただけ」

「……素っ気ない」


 あの一ノ瀬先輩が?


 疑念が増々深まっていくばかりの私。そんな私の顔をカリン先輩は視界の端に捉えながら続けた。


「ゆずちんの反応見る限りじゃ、煉くん、学校とバイト先で態度変えてるっぽいね。それならゆずちんが知らないのも無理ないかも」

「ええと、知らないとはつまり?」


 ごくり、と思わず生唾を呑み込んだ。どうしてかは分からないけど心臓がドクンと強く跳ねて、脳が警鐘を鳴らしてくる。


 それがまるでその先に踏み込んではいけないと私に訴えかけているように思えて、慌ててカリン先輩の言葉を止めようにもわずかに遅く。


 カリン先輩はあまりに自然に、この会話の延長線上のように、私に驚愕の事実を告げた。


「あのね。煉くんはね――」


 アルバイト初日。

 その日、私は学校一のイケメンの秘密を知ってしまった。



 ***



「ありがとうございました! またご利用くださいませー!」


 店内に明るい声が響き渡り、心なしか従業員やお客さんたちの表情が朗らかになる。


 彼女――カリン先輩の溌溂はつらつさには振り回されることが多いが、しかしそれ以上に彼女は周囲を笑顔にさせる。まるで春のうららかな日差しのような性格は、つい先日このお店にアルバイトとして入ってきた少女ともすぐに打ち解けてみせた。


 相変わらず人のふところに入り込むのが上手い先輩だ。と驚嘆する反面、それと同時に致命的な欠点を抱えている人だとひっそりと嘆息を落とす。


 と、先程帰ったお客さんのテーブルを片付けていると、こちらに戻って来るカリン先輩と目が合った。


「おや? どうしたのかな、煉くん。私にそんな熱い視線を送ってきて」

「先輩のこと見てたのは認めますけど、深い意味は特にないですよ」


 僕の視線に気づくや否や早速ウザ絡みしに来るカリン先輩。


「もぉ。またそんな釣れないこと言っちゃってー。たまには先輩のノリに付き合ってくれてもいいんじゃない?」

「今は勤務中ですよ」


 仕事してください、と注意すると、カリン先輩はねた子どものように頬を膨らませた。


「ぶぅ。相変わらず可愛げがない。煉くんの塩対応に慣れてない人だったらあまりの素っ気なさに泣いてるところだよ?」

「僕が淡泊だってことに気付いてそれでもウザがら……積極的に絡んでくるのはカリン先輩だけですよ」

「だって煉くんからかうの面白いんだもん」


 からかわれてる方はただただ鬱陶うっとうしいんだけどな。


 無邪気な笑みを浮かべて僕の頬を突いてくるカリン先輩。僕は深いため息を吐くと、煩わしいその指をぺしっと払いのけて、


「ところでカリン先輩」

「ん? 何かな煉くん」

「清水さんにあのこと言ったでしょ」


 不意を突くつもりではないが彼女から自分の下に来てくれたので丁度いい機会だからと問いただしてみれば、彼女は僕の主語の問いにも関わらず何か思い当たる節があったのか露骨に肩をビクッ、と震わせた。


「っ⁉ ……えっとぉ、それはですねぇ……いやぁ、あはは」

「はぁ」


 そのあまりに分かりやすい反応に僕は先輩からの返答を待たずに「やっぱり」かと納得して肩落とす。

 

 そんな落胆のため息を落とす僕に、カリン先輩は申し訳なさそうにパチンと顔の前で手を合わせると、


「マジごめん! つい話で流れで言っちゃった。まさか煉くんがあのこと隠してるだなんて知らなくてさ」

「怒ってないです。それに、口が軽い先輩をちゃんと口止めしなかった僕側に責任がありますから」

「あ、あれ。なんか申し訳ない気持ちなのに、少しムカッとするなぁ」


 カリン先輩の抗議する視線は意図的に無視しつつ、


「それにここで働いてれば、清水さんが僕の秘密に気づくのは時間の問題だったと思います」

「そっか。ならバレても問題ないね! 遅かれ早かれってやつじゃん!」

「……本当に反省してます?」

「し、してるよ!」


 懐疑的な視線で口の軽いギャルをにらめば、カリン先輩は猛省を示すようにこくこくと何度も頷いた。


「まぁ、カリン先輩が早々に口を滑らせてくれたおかげで、僕もだいぶ動きやすくなりましたけどね」

「あ、もしかしてそれって学校モードの話? 煉くんの学校モード、私気になるなぁ。ねぇねぇ、ちょっと私に見せ……」

「見たいとか言ったらしばらく口聞きませんからね」

「やっぱまた今度にしよーっと」

「先輩には絶対に見せませんよ」

「ええ! 煉くんのケチ~!」


 そう言ってカリン先輩は僕の肩を掴んで上下に振り回す。ケチもクソも、あんな自分でも吐き気を催す態度をなんでわざわざバイト先でもやらなきゃならないんだ。死んでも御免だね。


 しばらくカリン先輩に上半身を振り回されていると、何かを思い出したように「あっ」と声を上げた。それを拍子に揺れが収まり、カリン先輩が僕に言った。


「そうだそうだ。ゆずちん。煉くんの秘密知った時すごく衝撃受けてたよ」

「でしょうね。自分で言うのもあれですけど、学校にいる時とバイトしてる時じゃ二重人格なんじゃないかって? 疑いたくなりますから」

「へぇ。そんなに学校とこことじゃ態度違うんだぁ?」


 興味津々といった顔で見つめてくるカリン先輩に僕は「見せませんからね」と念押しつつ


「やっぱりカリン先輩の方が適任だったかもしれませんね。清水さんの教育係」

「うーん。でも煉くんの伯父さんマスターが決めたことだし、私も所詮、煉くんと同じただの学生アルバイトだからね。でも……」

「でも?」


 カリン先輩は微苦笑をこぼしたあと、こう続けた。


「煉くんの伯父さんの気持ちも理解できちゃったからさ。煉くんの〝病気〟を治したいって気持ちに」

「……それを余計なお世話だって言うんです」


 視線を逸らして小さく、胸に湧く激情を必死に押さえつけながら呟く。

 そんな僕の苦悶の表情に、カリン先輩はいつもの笑顔をどこかへ仕舞って。代りに憐憫れんびんの眼差しを僕に向ける。


「分かってるよ。私もマスターも。だから辛かったらいつでも言ってね。これでも私、煉くんの〝元カノ〟だからさ」

「――。……ありがとうございます」

「ううん。感謝される資格はないよ」


 言下にもう憐憫を向ける眼はなくて。いつもの明るい先輩に戻る。カリン先輩は俯く僕の肩を叩いたあと、お客さんに呼ばれて軽快な足取りで僕から離れていった。


 そうして一人になって、僕はテーブルに置かれた食器を片付けながら消え入りそうなほどに小さな小さな声で、ぼそっと呟く。


「――僕が〝女嫌い〟って知って。それで関わろうとする方がおかしいだろ」


 それが、『一ノ瀬煉』の抱える、学校の誰もが知らない、僕の秘密だった。


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