第187話  いつかの約束

 昼食は柚葉のご要望通り和食になり、神楽が勧めてくれたお店に赴いた俺たち。


「柚葉は僕の隣でいいよね」

「うん。座れるならどこでもいいよ」

『さらりと気を遣ってくれるな』


 先ほどの会話――いや、それ以前からか。俺と柚葉の微妙な距離感に気付いていた神楽がファインプレーをみせてくれた。


 口パクで神楽に『サンキュ』と伝えると、それを見た神楽がにこっと笑った。やはり内心を見透かされていたようで、俺は感謝と同時に申し訳なさが募る。


 そんな男同士の何の益体もないアイコンタクトを取り合っていると店員さんが冷や水が入った容器とコップが置かれたトレーを運んできてくれた。小さく会釈して店員さんからトレーを受け取ったあと、俺は三人分のお冷をコップに注いだ。


「ほい。水」

「ありがと」「ありがと~」


 俺と神楽はこの猛暑の中で乾いた喉を潤すためにコップに注いだ冷や水を飲み、柚葉は片手でコップを持ちながらもう片方の手でペラペラとメニュー表を捲っていた。


「うーん。どれも美味しそうだなぁ」


 当初はお蕎麦を食べたいと言っていた柚葉だが、目を惹くメニューに心揺れている様子。


 その隣で神楽が柚葉に合せてメニューを選んでいる。俺は立て掛けられたいたもう一つのメニューを取ってそれから選ぶことにした。


「ほんとどれも美味しそうだな」


 メニュー名の上に乗せられた写真はどれも目を惹く料理ばかりで、柚葉がもどかしそうにしている理由が分かった。


 俺たちはしばしメニュー表と睨めっこし、


「決めた。俺はセットメニューAにする」

「僕はざるそばで」

「私はセットのBにしよ!」


 三人メニューも決まり、呼出ブザーを鳴らすとほどなくして店員さんがテーブルにやって来てた。


 それぞれ食べたい料理を注文し終えればあとは料理が運ばれるのは待つだけ。


 その間はまた待ち時間のように雑談を――と口を開こうとしたところで突然、ポケットに仕舞っていたスマホが震えた。


 

「ん? 母さんから電話だ」


 ポケットからスマホを取り出して電話の差出人を確認すると、相手は我が家の女帝こと母親からだった。


「ごめん。ちょっと電話出てきてもいい?」

「うん」

「気にしないで話してきて」

「料理運ばれたら先に食べてていいから」

「「りょーかい」」


 二人に詫びを入れつつ電話に出る許可をもらうと、神楽と柚葉は特に気にする様子もなく快諾してくれた。


 敬礼する二人に見送られながら、俺は一旦席から離れることとなった。


 ***


「いってら~」


 家族からの電話ということで一度離席したしゅうの背中を見届けたあと、


「ぶっはぁ~~~~」


 それまでの笑みが剥がれ落ちたかのように私はどっと深い吐息を落とした。


 緊張が解けてテーブルに項垂れる私を、隣では神楽がくすくすと愉快そうに笑って見ていた。


 そんな神楽をジィ、と睨むも、彼は全くに意に返さずこう問いかけてきた。


「どうだい? 今の柊真は?」

「うむぅ」


 やっぱり神楽には見透かされていたようで、私は悔しさに唇を歪める。


 それから私は諦念を悟ったように嘆息を吐いてから白状した。


「……ずるい」

「ふふ」


 一言。


 私の口から零れ落ちた感想に神楽が同情するように笑った。


 そして、そんな小さな感想を引き金に、それまで内心に留めていた感情に歯止めが効かなくなって濁流の如く本音が口から溢れ出した。


「何なの本当⁉ ちょっと見ない間にあいつカッコよくなりすぎだよ⁉ しゅうってあんなに女子に気遣いできる男だったっけ⁉」

「他はともかく柚葉には昔からあんな感じだよ。まぁ、緋奈先輩と付き合い始めてから露骨に〝女慣れ〟して、対応力が上がったね」

「だよねえ⁉ しゅうって前はもっと、言っちゃあれだけど女子といる時はおどおどしてなかった⁉」

「今じゃ歴戦の猛者のような振る舞いだもんねぇ」


 それね! 今日のしゅうは明らかに〝女慣れ〟して〝デート慣れ〟してる男の動きだった。


「しれっと私が危なくないように位置変わってくれたり、階段上る時は転ばないか常に注意を払ってくれたり、私の食べたいものとか行きたい場所優先してくれたり……なんか今日はしゅうのカノジョになった気分だった⁉」

「配慮の化身だったねぇ」


 緋奈先輩はいつもしゅうにこんな対応されてるのか。そりゃ惚れる……惚れないわけがないし、しゅうを逃がすはずがない。


 あの人がしゅうを耽溺たんできする理由、その片鱗を味わった私は、感情が爆発して赤く染まる顔を両手で覆って悶絶する。


「……あれはダメなやつでしょ」

「しゅうと長い時間一緒にいた柚葉がノックダウンなら僕らのクラスの女子はどうなっちゃうんだろうねぇ」


 コイツ楽しんでるな。乙女心が揺さぶられているのを楽しんでるとか、ひょっとして邪悪か何か?


 くつくつと笑う神楽をキッと睨みながら、私ははぁ、と吐息を落とす。


「本人にとってあれくらいは普通と思ってるのが余計に質悪いのよ」

高嶺たかねの花の隣に立つにはそれに相応しい存在にならば、って思いながら行動してきた男だよ。それまで意識的にやってきたことが、もう無意識でもできように習慣化されちゃったんでしょ。この夏休みの同棲で」

「しゅうのくせに生意気だぁ」


 どうやら緋奈先輩はとんでもない化け物を創り上げてしまったみたいだ。


 自分にその気はない。そう分かっていても、あれは無意識に乙女心を揺さぶって来る。しゅうの立ち振る舞いを間近で当てられて平常心を保てる女子がどれくらいいるか。


「例えるならそう、超イケメン俳優にエスコートされて喜ばない女はいないでしょ。あれと全く同じなの」

「イケメンになってしまいましたなぁ、僕らのしゅうくんは」


 あの頃の陰キャ根暗皮肉屋が懐かしいよ、と半年前のしゅうを思い出して双眸そうぼうを細めてる神楽。……やっぱりコイツ楽しんでるな。


 にまにまと意地の悪い笑みを浮かべる神楽にそろそろお灸を据えようと頬を抓みつつ、


「はぁ。せっかくしゅうのこと吹っ切れそうだったのに」

「しゅうに惚れ直しちゃ……あだだ⁉」

「軽口が過ぎるよ」


 それ以上は言わせまいと抓む頬に爪を深く食い込ませれば、神楽は喚きながら「ごめん!」と謝った。


 本気の忠告にこれ以上の軽口はマズイと悟ったのかうすら笑いを引っ込めた神楽を横目で捉えて、私はため息とともに彼の頬を抓む指を引っ込めた。


 それから神楽は空気を切り替えるようにふぅ、と吐息を吐いて――息を整えた直後。それまでの飄々とした雰囲気が神楽から消えた。


「やっぱりまだしゅうの親友を演じるのは大変?」

「――――」


 バレてる。

 

 ううん。というより最初から、あの時からずっと気付かれてる。


 さっきまでの神楽の態度は演技だ。私に気を遣って――しゅうを一人の男性としてして見てしまっている私の意識を『親友』として認識させるためにわざと大仰な態度を取っていた。


 神楽もまた、しゅうと同じくらい異性への配慮ができる男子だということを、この空気の変化で実感して。


「……うん」

「だよね」


 私の〝失恋〟の痛みを知っている親友は、静かな声音で応じてくれた。


「こればかりはそう簡単に乗り越えられるものじゃないんだから仕方ないよ。それだけ柚葉がしゅうに本気だったってことだし、僕はそれを誰よりも近くで見てきて応援してきた。そんな柚葉がまだしゅうの〝親友〟でいたいって願う覚悟も、そのために頑張ってるのも僕は知ってる」


 こくり、神楽はコップの端を口につけて続ける。


「今日だって柚葉は断ろうと思えば断れた。でもそうしなかったのは、しゅうに変な気を遣わせない為だったんでしょ。もう自分はアナタのことを恋愛対象と思っていません。前のような関係ですよ――でも結果は真逆になっちゃったわけだ。しゅうのせいでね」

「それは責任転嫁ってやつじゃない?」

「いいでしょそのくらい。だってアイツは柚葉の気持ちに三年間気付きもしないで他の女に行っちゃったんだから」


 刺がある口調だと思った。でも、それはきっと神楽なりに私の気持ちを慮ってくれたが故に溢れ出してしまった感情なのだろう。


 神楽はどこまでも私の味方をしてくれている。その事実だけで、この心は救われる。


 けど、やっぱりまだ私の気持ちは全然整理がつけられていなくて。


「しゅうとは親友でいたい。でも、この気持ち恋慕はそう簡単に忘れられるものでもない。――今日改めて、自覚しちゃった」

「……当然だと思うよ」


 彼へ想いを寄せていた三年の月日の長さがそう容易く身体から消えるはずもなく、親友として時間を共有するだけでもあの時の感情を思い出してこの身体を高揚させてしまう。


 彼にはもう、大切な存在がいるのに。


 なのにこの身体は、私の意思は、自分の切望に反して彼に惹かれてしまう。


 変わった彼に、この心がどうしようもなく弾む。


 だから、ずるい。


「僕は柚葉の意思を尊重するから、柚葉がこのまま柊真の『親友』でいたいっていうなら何もせず見守るよ」

「……うん。しゅうとは、親友でいたい。ちゃんと、しゅうとは親友として対等でありたい」

「強いね、柚葉は」

「全然強くなんてないよ。強がってるだけ」


 ふるふると首を振ると、神楽は「そんなことはない」と力強く否定した。


「強がってるだけなら今日のキミはここに居ない。柚葉はちゃんとアイツと向き合おうとしてる。それを弱いなんて、キミはおろか誰にも言わせはしない」

「……ふっ。やっぱカッコいいなぁ神楽は。外見だけじゃなくて中身も立派だね」

「どうだろうね。僕は二人が思うほど立派じゃない。僕だって二人との関係が壊れちゃうのは嫌だから、必死こいて仲を取り持ってるに過ぎないんだよ」

「――ありがと」

「そのお礼は本当に柊真と『親友』になってから改めてくれよ」


 微笑を浮かべてそう言った神楽に、私は目を見開いたあと、口許に薄く弧を引いて、


「うん。それじゃあ、その時にまとめてお礼言うね。しゅうと一緒に」

「……ぷっ。あははっ! そうだね。その時は二人で、存分に僕を労ってよ」


 互いに笑顔を弾けさせて、それから拳と拳をぶつけあう。


 指切りげんまんじゃなくて、互いに硬く握った拳をこつん、とぶつけ合う。

 

 それが、私たちの約束の結び方。そして、友情の証でもあって。


「へへ。超期待して待っててね!」

「もちろん。二人なら絶対大丈夫だよ。親友が保証する」


 微笑みを向ける神楽に、私は「情けない姿ばかり見せられない」と少しだけ曲がっていた背筋をピンッ、と伸ばすのだった。


「今ならこの勢いでしゅうの分のご飯まで食べられる気がする!」

「それはさすがに柊真が可哀そうだから止めてあげて」




【あとがき】

柚葉と神楽の距離感も相当近いですが、この二人の間に恋愛感情というものは一切ないです。お互いに良き理解者であり良き友人。それが柚葉と神楽の関係性。そんな関係をしゅうとも築いていかなければなりませんが、まだまだ前途多難なようです。


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