第185話  懇願が生む葛藤


「おっ。このハンカチいいなぁ」

「なに。それ買うの?」


 うだるような暑さから逃げるように商業施設へやってきた俺たちは、今は施設内を適当に散策していた。


 途中、柚葉が「あそこ寄りたい!」と指を指したのはアンティーク調の小物や家具が販売されているお店だった。特に拒否する理由もないので、俺と神楽ははしゃぐ柚葉に付き添う形で一緒に商品を眺めていた。


 そして、不意に柚葉の乙女センサーがとある品に反応した。きらん、と瑠璃色の瞳が一際強く輝いて、ついてないはずの耳がピンと立ったように見えた。


 それから、柚葉はラックに重ねられたそれをいくつか物色して、やがて一枚のハンカチと笑顔とともに見せてきた。


「可愛くない?」

「だな。可愛いと思う」


 柚葉が興味を惹かれたそれ、タータンチェック柄にウサギの刺繍が施されたハンカチに、俺も同意と頷く。

 

「柊真って意外とこういうガラのもの好きだよね」

「あ。そうそう。Tシャツもお化けとか動物のロゴ入ったもの好んでるイメージ」

「「見た目に反して」」

「失礼すぎるぞお前ら」


 悪かったな見た目に反して可愛いものがすきで。


 口をへの字に曲げる俺を見てカラカラと笑う二人。柚葉はひとしきり笑い終えたあと、目尻に溜まった涙を拭って「よし」と呟いた。


「これ買お」


 しゅうは? と問いかけられて、俺はふるふると首を横に振る。


「俺はパス。家にまだ予備あるし、そんなにハンカチなんて必要ないしな」

「そっか。じゃあ私これ買ってくるねー」

「気ぃ付けてな」

「並んでないしすぐ買い終わるよ」


 お気に入りのハンカチを見つけてレジまでステップで向かっていく柚葉の背中を見届けていると、


「――流石にお揃いはマズイと思った?」

「っ‼」


 顔は見ないまま。小声で指摘してきた神楽にビクッと肩が震えた。隣で呆れれている気配を感じ取りながら神楽の顔を見れば、親友は辟易とした表情を浮かべていて。


「そこまで気を遣わなくてもいいと思うけど」

「バレたら面倒なことになりかない」

「あはは。まぁ、あの人なら『浮気⁉』って疑うかもねぇ」

「それはない。けど、部屋に監禁させられるから止めたんだ」

「こわ⁉ 緋奈先輩こわ⁉ 浮気した時点で部屋に監禁されるとか警察より怖いじゃん!」

「それが俺のカノジョだ。そこが可愛いけど」

「どこがさ⁉」


 しれっと言った言葉に神楽が戦々恐々とする様を横目に置きつつ、俺は胸裏でコイツの意見を反芻はんすうする。


たしかに神楽の言う通り、柚葉とお揃いのハンカチを持っていたところでそれが誰にも気づかれなければいいだけの話だ。それにいちいち他人のハンカチに注視するような輩も早々いないだろう。藍李さんは愛が重いとはいえ、そこまで俺の日常生活を監視しているわけじゃない。俺が浮気なんてしないことなんて分かっているだろうし、俺自身、浮気なんて微塵も考えてない。


 俺は緋奈藍李と一生を添い遂げる。だからこそ、これは自分の中で決めた境界線ボーダーラインだ。


 柚葉は俺の親友だ。でも、同時に異性でもある。ならば、一定の距離感は保たなければならない。それはお互いに分かっていることだ。――もう、あの頃中学の俺たちの関係性ではいられないことなど、とっくの当に理解している。


「俺と柚葉はもう『ただの』親友だよ。それに、藍李さんが疑うような真似はしたくない」

「だから柚葉彼女とは一定の距離を保つって決めたわけだ。その意思は立派だし僕も見習わなきゃいけないな。僕も志穂が傷つくような真似はしたくないから」

「そう言う割には柚葉との距離近い気がするけど?」

志穂・・は知ってるから。僕と柚葉に恋愛感情めいたものは一切ないって」

「よく言い切れるな」

「あれば少しは躊躇うかもね。でも、実際ないものはないんだよ」


 だって、と神楽は一拍継ぎ、俺を横目で睨んで言った。


「柚葉が好きだったのは僕じゃなくて柊真だったから」

「――――」

「それも、柚葉との距離感を保つ理由に含まれてるんだろ」


 鋭い双眸に追求される。俺は無言のまま、ただ遠くにいる、楽しそうに買い物している少女を見つめていた。


 会計を終えて足早に戻って来る少女。その可憐な笑みが愛らしい親友が俺たちの元に戻って来る前に、俺は神楽に言った。


「それが柚葉のためだろ」

「――――」


 これ以上、柚葉を傷つけたくない。


 そのためにはきっと、お互いに『親友』なんて辞めてこの関係ごと白紙にしてしまった方がいいのだろうけど。


 でもそれは嫌だと、二人とは親友のままでいたいと、この心がそれを願っているから。


 けれど、結局意識は気を許せばあの日のことを思い出してしまって、彼女とどう接するのが正解なのか分からなくなって。


「柊真は考えすぎなんだよ。その優しさはたしかに美点なんだろうけど、でも、深く思い込み過ぎ。友達なら、もっと気楽に接すればいいと思うよ」

「――――」

「それができたら苦労しない、って顔だね」


 眉間に皺を寄せる俺を見て、神楽が呆れた風に嘆息をこぼす。


「ま、ゆっくり探っていきなよ。どうせもう。――僕らはあの頃中学のままじゃいられないんだし」

「――――」


 未だに少女との向き合い方に懊悩する俺に、親友が残酷な現実を飄々とした態度で突きつけてくる。


 自分がどうしても真正面から向き合えない現実を。この隣立つ青年はとうに受け入れていて。


「分かってるよ」

「……ならいいけど」


 苦し紛れの、喉元からどうにかして絞り出した言葉を、神楽は複雑な表情で受け止めた。


「おっまたせー! ……あれ、二人ともどうかした?」

「ううん。何でもないよ。さ、買い終わったなら次行こうか」

「だな。柚葉。それ失くさないようにちゃんとポーチに仕舞っとけ」

「むぅ、子ども扱いしないでよね。でもそう言われると急に怖くなってきたから仕舞っておこう」

「結局言うこと聞くのかよ」


 俺の注意に不服そうに頬を膨らませる柚葉。けれど根が素直で真面目な彼女はいそいそと買ったハンカチをポーチに仕舞い込んだ。


 そんな柚葉に微苦笑を浮かべる俺を、神楽は同情するような目で見ていた。


「……ほんと、世話の焼ける親友だよ全く」




【あとがき】

告白をフった、フラれた相手とのその後の関係って普通気まずくなったりそのまま疎遠になったりするものだと思います。

ただ、しゅうと柚葉は良い意味でも悪い意味でも親友以上の絆を築いてしまいました。それこそ、柚葉があと一歩早く踏み出していればしゅうと『恋人関係』になれた

くらいに。自分が過去に上げた柚葉としゅうの『恋人になった世界線』。あれはただの番外編ではなく、実際に在り得た世界として描いていました。


結局柚葉があと一歩を踏み出した時はすでにしゅうの心は藍李一筋になってしまって、その恋心が成就することはありませんでしたが、それでも柚葉の告白後に二人は『親友』として互いの傍にいることを望みました。


 それが、今の状況と問題。しゅうはまだ、ちゃんと柚葉と向き合えないでいます。


 これまではただ仲の良かった異性。でも、あの日以降。柚葉も一人の女性だということに気付いてしまった。だからこそ、今の柊真はずっと柚葉に対してどう接するのが正解なのか迷ってるんです。


 ちなみに、この柊真の柚葉に対する葛藤や態度ですが、実はずっと伏線が張ってあったんです。


 それはしゅうと柚葉が絡む回。その回では柊真が藍李の話題を出すことが少なくなってることです。


 本来なら、もっとあってよかったはずの柊真の恋人との自慢話。けれどそれを告白を振ってしまった相手に言うにはあまりに酷すぎると分かっているから、柊真は柚葉といる時は、柚葉や神楽からその話題を振られるまで自分から言う事はありませんでした。


 そして話題を振られたあとも、できるだけ平常を保ったまま会話を続けています。


 全部、柚葉をこれ以上傷つけないようにと、しゅうなりの精一杯の気遣いでした。


 でも、そんな距離感を窺うような時間もそろそろ限界が訪れ始めます。


 本話ラスト。神楽がそれを仄めかす発言をしていましたね。


 そんな、もう元通りにはならなくなってしまった現実と向き合っていくのがこの3・5章です。


 しゅうと柚葉。この二人が本当の『親友』になれるまで、何卒温かい目で見守っていただけると幸いです。

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