第181話  一夜を越えて

「それじゃあ二人とも。いつも言っているが仲良くやるんだよ」

「はい。お仕事頑張ってください」

「うん。お父さんも身体気を付けて」


 翌日。出勤と家を出る海星さんを玄関先で見送り、ぱたん、と静かに扉が開かれるのを合図にまた二人切りの同棲生活が再会された。


「「…………」」


 お互い口数少なくリビングに戻って、藍李さんはリビングで休息を。俺は食器を洗いにキッチンに足を運ぶ。


 カチャカチャと、金属音を立てる食器と蛇口から流れる水の音が今日はやけに鮮明に聞こえて。


 洗い終えた食器をラックに掛けて、タオルで手の水を拭き取る。食器を洗い終えてリビングでテレビを見てくつろいでる藍李さんの下に向かえば、そのまま彼女の隣に腰を下ろして、お互い何を言うこともなく指を絡めた。


「――お父さん。もうエントランスまで降りたかな」

「だと思います。もしかしたら忘れ物して獲りに帰ってくるかもしれないけど」

「大丈夫、だと思うよ。もしそうだったとしても玄関の開く音は聞こえると思うし」

「どうですかね。ワンチャン聞こえなくてそのまま親に見つかるパターンって漫画じゃよくありますよ」


 お互いに視線はテレビに向けたまま、けれど、意識はずっと相手に向いている。


「……見つかったら、流石にマズいよねぇ」

「うん。バレたら、絶対に注意されちゃいます。まぁ、海星さんなら「すまないお取込み中に」って逆に謝ってきそうですけど」

「ふふ。なんとなくその光景想像できる」


 ぽつぽつと静かに言葉を織り重ねながら、俺たちはこの逸る心臓の居場所を求めて会話を続ける。


 その会話の行きつく先なんて、もう分かっているというのに。


「……お父さん。忘れ物あってももう戻ってこないと思うな」

「大事な資料とか部屋に置き忘れてなければじゃないですか」

「大丈夫。そういうのはちゃんと鞄に仕舞っておく性格な人だから」

「マメですね」

「うん。すごく几帳面。だから忘れ物なんてしない」

「そっか。それなら、余計な心配する必要は、ないですかね」


 あぁ。そろそろ限界かも。


 絡め合う指と相手の吐息に焦燥を感じ取って、それと同時にただ時間稼ぎに続いていた会話が途切れる。


 ちらっと横を見れば藍李さんが頬を朱に染めながら俺を見つめていて――


「ならさ、もういいよね?」

「うん。もう大丈夫だと思う」


 きっと藍李さんも俺と同じだろう。これ以上は、これ以上は身体が限界だ。


 お互いに身体の限界を悟り、藍李さんの問いかけを俺が首肯したのを皮切りにぐっと顔を近づけた。


「――しゅうくん。昨日の続き、しよ?」

「うん。しよっか」

「んっ」


 はぁはぁ、と荒く熱い吐息を繰り返す藍李さんにこの先を促され、俺はこの焦燥に駆られるがまま食らいつくように彼女の唇を奪った。


 昨夜から数時間後。昨日の熱を残したまま交わされた口づけは、どうにか平静を装っていた俺たちを瞬く間に落剝らくはくさせた。


「ちゅぅ……しゅ、うくん……れろ、ちゅぱぁ」

「ごめんらひゃい、おさえられらい」

「「んんんぅ」」


 昨夜の相手の唇の柔らかさを堪能するキスとは違って、興奮と熱をありのまま乗せた情熱的なキスが交わされる。


『――やっぱ、昨日の消化不良の反動が今に来てる』 


 胸裏で述懐を浮かべながら、積極的に舌を絡めにきてくれる恋人に応えるように舌を伸ばす。


 熱い咥内で唾液をたっぷりと含んだ舌と舌が何度もぶつかり、絡まり、押し付け合うようにうごめく。


 とろける顔をうっすらと開けた視界から捉えながら、お気に入りのぬいぐるみを抱いて離さない子どものように俺を抱きしめてくる藍李さんを俺も強く抱きしめる。


「――らめら。カラダ……ねつ、おさまんらい」


 疼いて仕方がないのだろう。息が苦しくなっても藍李さんは俺と重ねる唇を離す気配は微塵もなく、さらには二人の間にあるわずかな隙間さえ失くそうと顔を密着させてきた。


 強請るように、甘えるように、求めるように、一心不乱に俺と舌を絡ませてくる藍李さんが愛おしくて仕方がない。


 だから、俺も歯止めが効かない。


「きのう……ぜんぜん寝れませんでした」

「わたひも」


 そりゃそうだろう、と胸裏で苦笑する。


 ある意味では禁欲中に、互いのフラストレーションが刺激されるようなことをしたのだから。


 絶対に今朝反動が来ると思った。確信していた。それでも欲望には抗えずお互いに触れてしまったのだから、これはその罰だ。


 もっともこの罰は贖罪しょくざいすることもなければ、清算する必要性もなく、自分たちをより深い快楽へ堕とす促進剤になってしまっているのだが。


「ぷはあっ! ……しゅうくんのヨダレ。残さずちょーらい」

「ん」


 さすがに息も限界で勢いよく唇が離れた。長く、激しい口づけの余韻は互いの口唇から糸を引く唾液となって現れるが、それすら欲したい彼女は淫靡な笑みを浮かべながら吸い取った。


「――まだしゅうくんの唇に残ってる。ぺろ」


 一滴だって許さない藍李さんは、舌をぺろりと舐めず去ると俺の口唇の隙間から垂れていたヨダレを舌を這わせて絡み取った。


「藍李さん。朝からエロすぎ」

「しゅうくんこそ朝からフルスロットルじゃん」

「当たり前でしょ。昨日からずっと興奮状態だったんだから」

「ふふ。誰のせい?」

「藍李さんのせい」


 半目で睨みながら言えば、藍李さんは嬉しそうにはにかんだ。


「そうだね。私のせいでしゅうくんをカラダを朝からこんなに元気にさせちゃった。これなら午後までぶっ通しでできるかな?」

「はぁ。世の中の会社員は必死に働いているというのに。俺たちはこんな朝っぱらから盛っているとか、ちょっと罪悪感覚えます」

「そう言うわりに、カラダは素直だよ?」


 ぎゅっと俺のことを抱きしめる小悪魔は、朝から大変元気な俺を見て心底嬉しそうに口許を歪めた。


「これだけ激しいキスして反応しない方が無理ですよ」

「だよね。私も、自分でも分かるくらい、もうカラダが凄いことになってる気がする」

「たしかめていい?」

「指で? それともしゅうくんので?」

「藍李さんはどっちがいい?」

 

 全ては藍李さん次第だ。

 

 このままリハーサルを続けるか、それとも本番に移るか。


 俺はどっちでもいい。俺は、どっちでも藍李さんを満足させる自身があるから。

 

 だから、この先は彼女の判断に委ねる。


 数秒ほど、抱きしめたまま沈黙が続く。やがて、耳元で藍李さんが熱い吐息をこぼして――


「私は、もう我慢できない。今すぐ、一秒でも早くしゅうくんのが欲しいです」

「そっか」

「うん。しゅうくんの熱で、この疼くカラダの熱を鎮めて?」

「もちろん」


 答えは出た。


 はぁはぁ、と熱にうなされるように苦しそうな吐息を繰り返す彼女に、俺は柔和な微笑みを湛えて頷く。


「俺も、藍李さんに昨日から猛り続けるこのカラダの熱を鎮めてほしい」

「いいよ。一緒に、いっぱい満たし合って、貯めた欲望全部吐き出してすっきりしよ」


 このカラダが、心が、欲望が、昨日から猛り続けている熱の発散場所を求めて悲鳴を上げている。


 この熱を鎮めるには彼女を利用するしかない。


 そしてそれは、彼女も同じで。


「どうする? ベッド行く?」

「もうこれ以上お預けは無理。一秒だって惜しい。しゅうくんが欲しすぎてカラダの震えが止まらないの。だからリビングここでしよ。しちゃおうよ」

「本当に無理そう」

「早くしゅうくんの熱を私にください」


 身体の限界か全身をもじもじさせる藍李さんに苦笑をこぼしながら、俺はこくりと小さく頷いた。


「分かった。俺も、正直今すぐ藍李さんが欲しい。もう、カラダが爆発寸前です」

「じゃあ、私を使ってその溜まった欲望全部吐き出して」

「受け止めきれる?」

「キミは誰に向かって言ってるのかな?」

「ふ。ですね」


 相手はカレシの欲望を全て受け入れる愛情深い女性だ。それは決して寛容なのではなく、年下カレシを堕としたいという強欲さからくる歪んだ愛情で。


 そんな歪んだ愛情だからこそ、俺は彼女に永遠に夢中でいられて。


「――それじゃ、お互いのカラダ使って、満足するまでしよっか」

「うんっ」


 まだ朝の九時半。きっと学生以外の人のほとんどは起きたり、もう仕事をしていたり、それぞれの作業と日課に追われているのだろう。


 それなのに、俺たちはこんな朝っぱらから、相手を求めて止まらなくて。


「そづだ。お昼はどうしよっか」

「んー。とりあえず終わってから考えようよ。今は余計なこと考えないで、気持ちいいことに集中しよ」

「あはは。そうだね。まずは藍李さんのことを満足させてあげなきゃ」

「えへへ。それなら私は、しゅうくんのこと満足せてあげなきゃだね」


 このカラダはアナタを求める。

 このココロはキミを求める。


 目の前の垂涎滴るご馳走にお預けを喰らった昨夜。堪え続けて、耐え続けて、そしてようやく訪れたご褒美タイムに一際強く胸を弾ませる。


前哨戦リハーサルは要らないんだよね」

「うん。いきなり激しくしても大丈夫。キミ専用のご馳走はもうとっくに出来上がってるよ。どうぞ召し上がれ」

「それじゃあ遠慮なく――いただきます」


 ――すいません海星さん。節操無しで。


 嫣然とした微笑みを浮かべる婚約者に思考を放棄させられる直前、脳裏で眼下に映す女性を男手一つで育ててくれた男性に謝罪した。一瞬だけ困った風にはにかんだ彼の顔を思い浮かべるも、けれどそれはすぐに黒瞳に映す女性の放蕩ほうとうとした顔に塗り替えられてしまって。


「さ、おいでしゅうくん。私と一緒に、快楽の海に溺れよ」

「――うん。一生アナタについて行くよ」





【あとがき】

こういう回はあとがきで下手なこと書くと主審からイエローカードもらうから迂闊に書けん。まぁキスでその先は『見せられないよ‼』だから絶対にセーフだろうけど。


逆キスだけでイエローカードもらったらそれはそれで自分がそっち方面の話書く素質あると判断できるからどっちにしろ利点しかないっ! フンス!


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