第177話  この蕾を芽吹かせて

「…………」


 ……やば。


『やっちまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』


 一夜明け。深い眠りから目覚めたと同時、昨夜自分がとんでもない過ちを犯してしまったことを思い出して胸中で絶叫していた。


『バカか私⁉ なんで雰囲気に流されて親友と一線超えちゃったんだ⁉ 冷静になってみたら私の戦犯ぶりヤバいんですけど⁉』


 顔を両手で隠して、襲ってくる後悔と自分に対する嫌悪感に髪をぶんぶん振り乱す。


 ぜぇぜぇ、と荒い息遣いを繰り返して指の隙間からちらっと隣を覗けば、静かな寝息を立てて心寧が穏やかな顔で眠っている。


 そんな心寧を見ながら、私は少しだけ冷静になって昨夜の出来事を回想する。


『私も同性とするの初めてだったけど、あんなに気持ちいいとは思わなかった』


 親友を襲ってしまった後悔こそあれど、行為の感想としては『至福』の一言に尽きた。


 元カレとは一度も味わえなかった高揚感。相手の感じている顔を見る時の充足感と征服感。異性とでは味わえない、禁断の行為から来る背徳感。


 これが同性とだからか。あるいは相手が心寧だったからか。おそらく、後者だろう。大好きな心寧と心とカラダで繋がれた感覚は、私に新しい世界の扉ともう後には戻れない快感を与えてしまった。


「……あんな満たされたの。初めてだったな」


 藍李が言っていた『心が満たされていく』感覚というものはきっとこういうことなんだろう。――胸の奥から燃えるような欲情に煽られ、それを相手と共に満たしていく。


 その多幸感は計り知れず、眠りを経て今なお、余燼よじんとしてこの胸に残り続けていた。


「なんにせよどうしよう。私のバカに心寧を巻き込んじゃった」


 また冷や汗を額から滝のように流して、口をガクブルと震わせる。


「言い訳できるか……いや、それじゃあ誠意がない。つか、心寧が覚えてるかも怪しい。いっそ昨日の事は夢だったと言い聞かせれば心寧ならワンチャン……」

「んぅ……?」

「――っ!」


 一時の感情に任せてやらかしてしまった後始末を隠蔽するか正直に認めて首を差し出すか足りない頭で必死になって考えている最中だった。


 隣で眠っている心寧が横の騒がしさに不快感を覚えたように声を上げて、気怠そうに瞼を開けた。


「……んぅぅ。さぶ。あれ、なんで私裸なんだ?」

「…………」


 どうやら目覚めたばかりでまだ意識が完全に覚醒していない心寧は、瞼を擦りながら少しずつ状況確認を取っていた。


 不思議そうに小首を傾げている心寧――ふと、そんな全裸の彼女と目が合ってしまった。


「お、おはよー。……こ、心寧」

「あれ? 鈴蘭? なんで私のベッドに…………」


 頬を引きつらせて目覚めた心寧に手を振れば、どうやら昨日の記憶がない心寧が私が同じベッドにいることに目を瞬かせる。


 フリーズする心寧は自分と同じく全裸の私を見つめる。


 ここで心寧に思考する時間を与えてしまったのが失態だった。


 数秒回想に耽る彼女は、視界に捉える様々な痕跡を辿りながら徐々に昨夜の一件を思い出していって。


 お互いに全裸。ベッドのシーツはシワだらけ。何やら焦っている親友。汗やら唾液なんかでベトベトになっている自分の身体――それら全ての痕跡が一つに結び着いた瞬間。心寧の顔がぼっと火を噴いたように真っ赤に染まった。


「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉」

「ストップ心寧! まず一旦落ち着こう! 色々テンパってると思うけど! まず深呼吸! 深呼吸してほしい!」


 必死に懇願するもテンパってる心寧には届かず、彼女は勢いよく起き上がると薄い掛布団を剥ぎ取り、自分の裸体を隠すように手繰り寄せた。


 とりあえず全力で土下座すべきか。自分の犯した過ちを睨んでくる彼女に潔く認め、謝罪しようと頭を下げようとした時だった。


「す、鈴蘭」

「……なんでしょうか?」


 頭を下げようとした瞬間に心寧に名前を呼ばれて、恐る恐る彼女を見た。


 私との距離を取るように壁際に逃げた心寧。彼女は戸惑いと憂いに双眸を揺らしたあと、やがて何かを確かめるように私に訊ねてきた。


「き、昨日のことだけどさ」

「う、うん」

「……あれはその、本気だったのかな?」

「えっと、それはどういう意味?」

「だから、本気で……その、私のことが本当に好き・・でしてくれたやつなのかなって……それが聞きたくて」


 その問いかけに答えが喉に詰まった。

 訴えるように見つめてくる瞳に、私は固唾を飲み込んで言った。


「心寧は、嫌じゃなかった?」

「嫌……抵抗はあったけど、でも」

「でも?」

「でも、自分が不感症じゃないことは鈴蘭のおかげで知れたし、それとさ。その、正直に白状すると、鈴蘭とするの、自分でもびっくりするくらい、めっちゃ気持ちよかった」

「そ、そっか」


 喜んでいけないとは分かっていながらも、それでも心寧からの素直な感想は論理的思考を容易く突破して心を歓喜させた。


 少しだけ、頬が緩むもすぐに引き締めて、私は躊躇っていた心寧からの質問の答えを告げた。


「その、心寧のことを本気で好きでしたかって質問なんだけど、答えても引かないでくれる?」

「だ、大丈夫だと思う」


 まだ少し、受け入れる準備が整っていない様子の心寧。でも、私はこれ以上尻込みすれば答えを間違えてしまいだと直感して、不安そうに見つめてくる彼女に本音を吐露した。


「そういう目で心寧を見てたんじゃない。でも、心寧を好きって気持ちはたぶんだけど、誰にも負けてない。同性にも。異性にも」

「そ、そっか」

「う、うん」


 これが私の答え。嘘偽りなく、自分にも心寧にも、取り繕うことなく出した本音。


 私の告白を聞いた心寧はぎこちない表情で受け止めて、それからしばらく私たちの間が空く。


 心寧の返事をただ静かに待っていると、


「そ、それじゃあさ」

「な、なに」

「私のことは、恋人カノジョとして見れる?」


 この問いかけへの答え次第で、私たちのこれからが決まる。


 心寧のことをそう見ていいのか。そう見られて不快じゃないのか。胸に恐怖が沸いた。でも、私は力強い眦で彼女の問いに答えた。

 

「――うん」


 私の答え。それは肯定だった。


 心寧がこの答えをどう受け取るかは分からない。でも、私にとって心寧はずっと唯一無二の親友で、誰よりも可愛い女の子だと思っているのは確かだった。


 心寧のことを恋人・・そう見えるかなんて、答えは簡単で。


 それが正解なのかは分からない。分からないけど、心寧は「そっか」と何かを受け入れたかのような吐息をこぼして。


「鈴蘭」

「な、なんでしょうか?」


 どんな処罰が下るかは分からない。でも、心寧が下す処罰なら、喜んで全部受け入れる。


 そんな覚悟を決めながら、私は心寧の答えを待った。


「それじゃあさ、その、これからよろしく」

「――ぇ」


 ぽつりと、蚊の鳴くような声で言った心寧に、私は意表を突かれたように喘いだ。

 フリーズする私。そんな私に向かって、恥ずかしそうに顔を真っ赤に染める心寧は、掛布団でその可愛い顔を半分隠しながらもう一度告げた。


「だから、これからよろしくね。その――鈴蘭の恋人カノジョとして」

「え、え? え⁉」


 それはつまり、あれっすか。責任取ってよね的な、お約束のやつ?


 困惑と衝撃に口を戦慄かせる私に、心寧――否、私の恋人カノジョは親愛を灯した双眸を向けてきて。


「だから、付き合おうよ――私たち」


 マジっすか。

 

 ……マジっすか。


 マジで、いいんすか。心寧さん。


 この想いをまさか肯定されるとは思っていなかった私は、しばらく放心状態のまま、


「と、とりま、まゆっちと藍李には内緒にしよっか」

「あはは。そうだね。皆には内緒しなきゃね」


 こうして、私と心寧は禁断の――同性恋愛 百 合 というルートに突入してしまったのだった――。





【あとがき】

というわけで新たな内緒の恋がスタートしました。今後この二人の関係は、番外編で書いていくつもりです。百合が苦手な読者はごめんね。でもこの二人の甘い話も書きたいから書かして。

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