第175話 ――試してみようよ

 ひたすら騒いで笑って、心にぽっかりと空いた穴がその温もりで満たされていく感覚を味わったまま、私と心寧は一人だけの夢の世界に入ろうとしていた。


「やっぱ心寧といる時間が一番楽しいわ」

「あはは。それな。私も鈴蘭と一緒にいる時間がちょー楽しい」


 薄暗くなった天上を見上げながら独り言のように胸の内を吐露すれば、それに心寧が小さく笑った。


 胸にじんわりと広がる安堵感を覚える中で、こんな後悔も一緒に湧き上がって来て。


「はぁ。カレシとの思い出作るよりも、心寧といっぱい遊んで思い出作るべきだったな。今年の夏最大の後悔はこれで決まりだ」

「私もぉ。もっとたくさん鈴蘭と夏の思い出作ればよかったぁ」


 カレシと心寧を天秤に掛けて、前者を選んだ過去の自分をぶん殴ってやりたい気分だった。


 とはいっても過去に戻れるわけじゃない。時間の針は巻き戻しも停滞もしてくれない。現実の時間は進むばかりで私たちはそれに逆らうことはできない。


 なら、反省や後悔よりも、未来を向こう。そのほうが、人生はずっと楽しくなるから。


「今からでも二人で夏の思い出たくさん作れると思いますか。心寧さん」

「それは鈴蘭さん次第じゃないでしょーか」


 わざとらしく訊ねてみれば、にまにまと笑いながら心寧が問い返してきた。

 乗って来た親友に思わず拭いてしまいながら、私も彼女と同じ態度でまた親友に応じた。


「こべな私でもぉ、一緒にいでくれますがぁ」

「ぷはは! なにその泣き真似。ちょーウケる」


 ちょっと悪ふざけが過ぎたかもしれない。でも、それが私たち。ちょっと照れくさい本音は、こうやって悪ふざけの中にそっと隠し込んで伝えるのがセオリー。


 それはまるでカレーにりんごを入れるみたいに。隠し味のように、キミに伝えたい本音を、照れ隠しを誤魔化しながら伝える。


 遠回しでごめん。でも、私らは親友だから、それでも十分伝わるって信じてる。


「まだ夏は終わってないよ。ズッ友。二人でたっくさん遊んで思い出作ろっ」

「――ふっ。ありがと」

「二人で失恋を吹き飛ばすくらいの最高な夏にしようぜ!」


 ほらね。


 ちゃんと伝わってくれた。


 存外恋人との距離を縮めるよりも、親友と他愛のないこんなやり取りを交わしている時間の方が貴重なのかもしれないと、心寧の笑顔をみてそう思った。


 私にとっては太陽のような笑顔。――大好きな、たった一人の、私の太陽。


『あぁ。ダメだ』


 募る。

 募っていく。

 ――募って、しまう。


「……ねぇ、心寧。一緒に寝ていい?」

「? もう一緒に寝てるじゃん」


 ぽつりと、投げかけるように懇願すると、心寧は何を言っているのかと不思議そうに小首を傾げた。


 薄暗い部屋の中。けれど相手の表情はよく見える。この瞳に、キミが鮮明に映っている。


 些細な変化すらも見逃さないほどに。


「そういう意味じゃなくて。心寧のベッドで一緒に寝ていい、ってこと」

「……………」


 視線が泳いだ。


「もしかして人肌恋しくなったとか?」

「――――」


 一瞬狼狽ろうばいして、けれどすぐに心寧は揶揄うように訊ねてきた。そんな心寧の動揺を隠した問いかけに、私はふざけることもなく、真剣な表情でこくり、と首肯した。


「うん。今日は、心寧と一緒に寝たい」

「――っ」


 私のその率直な返答は予想外だったのか。心寧が息を詰めた。


「そっち行っちゃだめ?」

「~~~~っ⁉ す、鈴蘭。その問いかけは反則だよ。胸キュンものです‼」

「答えて」


 心寧は声にもならない悲鳴を上げながら、真っ赤にした顔を枕に隠した。


 どんな顔で言ったのかな。心寧にしか見えない私の表情。でも、胸の奥が熱くて、自分の頬が熱くなってるのは自分でもよく分かった。


 このドキドキが何なのかは分からない。


 緊張なのか。高揚なのか。期待なのか――あるいは、もっと別の何かなのか。


 そんな、自分で自分の感情に振り回されている間にも、心寧は枕から潤む左目だけを私に向けて、


「――いいよ。来て。ちょうど私も、人肌恋しいなぁ、って思ってたし」

「へへ。奇遇じゃん」

「さっきの鈴蘭の言い方がずるだったんだよ。あれに応じない方が無理だから」


 心寧からの首肯を受けて、私は掛布団を捲って身体を起こした。


 のそのそと、なんだか夜這いしているような気分と妙な焦燥感に煽られながら、

私は心寧がいるベッドにお邪魔した――その瞬間。


「「――ぁ」」


 顔を真っ赤にしている心寧と目が合った。そして、それは心寧も同じで。


 顔を真っ赤にしている私を見て、心寧は揺れる瞳を大きく見開かせる。


 薄暗い部屋の中。窮屈になったベッドは、相手の顔と表情をより鮮明に捉えさせ、吐息と熱をより近く感じさせた。


 シーツと服が擦れる音がいやによく聞こえて、自分の吐息が熱っぽくなていくのを感じる。


 不思議な気分だ。ふわふわとする感覚の中で、私は窺うように心寧に聞いた。


「……元カレとは、こんな風に一緒に寝たことあるの?」

「ない、よ。こうやって一緒に……隣り合って寝るのは、鈴蘭とだけ」

「ふぅん。でも早漏野郎に処女はあげちゃったんでしょ?」

「それ鈴蘭も同じじゃん」

「私は違うよ。相手がセックス下手だったの。だから全然感じなかった」


 きっと本当に好きじゃなかった相手だったんだろうな。ううん。本当・・に好きではなかった。密着するほど抱き合っても、キスしても、この心臓は今みたく弾むことは一度してなかったんだから。


 逆を言えば、心寧とは一緒に寝ているだけ、添い寝してるだけでどうしてこんなにも心臓が騒がしくなるんだろう。


 その理由を追求しちゃいけない。頭では分かっているのに。けど、けど、けど、身体は理性の訴えを聞かずに暴走する。


 ダメだ。

 相手は同性だ。


 それは気付いちゃダメ。

 相手は親友だ。


 それ以上自覚しちゃダメ

 相手は私の大切な子だ。


 それ以上は考えるな。

 相手はそれを拒むかもしれない。


 理性と欲望がせめぎ合う。


 少し手を伸ばせば触れられる親友に、手を伸ばしたいと、触れたいと心が渇望している。


 これは何かの間違いだ。失恋した心が、タイミングよく心に空いた穴を埋められる熱を感じて求めてるだけだ。

 

「心寧。手、繋ぎたい」

「寂しいの?」

「どうだろ。よく分かんない。でも、今すごく心寧に触れたい」

「――いいよ。私も、よく分かんないけど、鈴蘭に触れたい気分だった」


 やめてよ。

 

 受け入れないで。


 受け入れられたら、この感情に歯止めが効かなくなっちゃう。


 ぴと、と手と手が触れた。そして私たちは無言のまま、相手の思考を読み取るかのように、ゆっくりと五指を絡めていく。


 窺うように、少し不安の入り混じった指のか細い震えが、同時にこの胸に安堵を与えて。


「なにこれ、なんか。手繋いでるだけなのに、すごく変な気分」

「……うん。でも、悪くないね」

「――っ」

 

 小悪魔のような笑みを浮かべて言えば、心寧は肯定するのが恥ずかしいのか赤く染まった顔を俯かせた。


『あぁ。その表情。めっちゃ可愛い』


 脳が鳴らす警鐘を心寧の可愛さが上書きした。


 たまらなくそそる表情に、私の心臓の鼓動は高鳴っていくばかり――さっきからずっと、ドキドキが止まらない。


「私だったら、心寧を退屈させたりしないのに」

「なにそれ。寝取る男子が言いそうな言葉ランキング第一位だよ」

「だって事実だもん。私だったら――少なくとも心寧に悲しい顔なんてさせないよ」


 ぎしっ、とベッドが軋んだ。

 片方は手を繋いだまま、もう片方の手は心寧を逃がすまいと彼女を封じ込めるようにベッドに着いた。


 両手を檻にして。気付けば私は心寧を見下ろしていた。


「す、鈴蘭?」

「――――」


 揺れる瞳が私を見つめる――私だけを、映してくれている。


 怯えながらも、戸惑いながらも、私から逃げようとはしない心寧を愛おしく思いながら、


「ずるいなぁ。心寧の処女を奪っておきながら満足させないとか、心寧の元カレはギルティだ」

「そ、それは私が不感症だったせいで……」

「なら試してみようよ」

「――ぇ」


 私の一言に心寧が固まった。


「だからさ。試してみようよ。心寧が本当に不感症なのかどうか」

「ど、どうやって……」

「簡単だよ」


 困惑する心寧に私は熱い吐息をこぼしながら、彼女を閉じ込める檻の片方を持ち上げた。


 ゆったりと伸びる手。それが定めたのは、


「ひゃんっ」

「ほら。ちゃんと感じてるじゃん」 


 パジャマ越しからそっと優しく触れるように心寧の柔らかな胸に手を添えると、直後に可愛い悲鳴が上がった。


「い、いきなり胸触らないでよ」

「ごめんごめん」


 謝りながらも、でも手で包み込みそれを弄ぶのは止めない。


「……す、すずっ……」

「怖がらないで。リラックスだよ、心寧」


 自分でも知りたいという欲求があるのだろう。それが強く身体に作用しているせいで、心寧は私の行為を怖がりながらも必死に受け止めている。


 私は彼女の恐怖心だけを取り除けるように全神経を手に注ぎつつ、


「心寧はさ、本当に自分が不感症だったと思う?」

「そ、それは……分からない」


 問いかければ心寧は気まずそうに視線を逸らした。それだけで答えはもう分かるけど、でも本人の口から聴けたわけじゃないから私は追撃の手を緩める思考を放棄することにした。


 彼女の胸を撫でるように触れている右手。その手にさっきよりも力を込めた瞬間。


「……んっ!」


 甲高い嬌声が部屋に響いた。


 そのあまりに可愛い反応に、思わず口許が歪む。


「ね。触っただけで感じてるってことは、心寧は全然不感症なんかじゃないと思うよ」


 むしろ、


「むしろ、心寧って敏感な方なんじゃないの?」

「――っ!」


 心寧は虚を突かれたように大きく瞳を見開くと、さらに耳まで真っ赤にした。


「そ、そんなことないし!」

「ふーん。それじゃあ心寧は不感症なんだ?」

「不感症でもない!」

「どっち?」

「……ぐぬぬ」


 答えるのが恥ずかしい心寧は悔しそうに奥歯を噛みしめている。


 挑発する私を睨む心寧は、やがて自暴自棄にでもなったかと疑ってしまうような提案を投げかけてきた。


「……答えが知りたいなら、試してみれば?」

「いいの?」

「鈴蘭に女同士でもできる度胸があるならね!」


 起死回生の一手を狙って挑発してきた心寧。さすがにそこまではできないだろうと勝ち誇った笑みを数秒堪能したあと、私はにっ、と口端を吊り上げた。


「私は全然構わないよ」

「――っ⁉」

「心寧となら、私はできる」


 相手がまゆっちとか藍李ならできない。断言できる。だって彼女たちは友達で親友で、それ以上はないから。


 でも、心寧は違う。


 私にとって心寧は、世界一好きな女友達で、私の唯一無二の親友で。


 そして、一度だけ『恋愛対象』として見てしまったことがある相手だから。


「――今まで打ち明けられなくてごめん。私、百合でも全然オッケーなんだよね」

「ひょ、ひょうなんすか」


 あはは。めっちゃ動揺してる。ま、そら驚くわな。


 今まで一度だって、心寧にそんな顔見せたことないんだから。


 今日までずっと上手く隠してきた。自分でもこんなバカげた気持ちといい加減別れを告げるつもりだった。


 心寧の傍にいられるなら親友ポジションでいいと思ったけど。


「知ってる? 心寧」

「な、なにを?」

「女の子同士でも気持ちいいセックスってできるんだよ」

「へ、へぇ……そうなんだ」

「試してみたくない?」

「……ごくり」


 あはは。揺れてる。そりゃ揺らぐよ……つぅか、期待するよね。


 だって、元カレと上手くいかなかった直後だもん。


 そして今、初めて『感じた』んだもんね。


 ならそれ以上を体験できるかもって、興味湧くよね。


「私も女の子同士でするのは初めてだけど、するなら初めては心寧とがいい。ううん。心寧以外とはしたいとも思わない」

「そ、そんなに覚悟ガン決めされても困るよ⁉」

「べつに覚悟じゃない。――心寧以外は対象外ってだけ」

「っ! ……それってつまり、鈴蘭にとって、私は『特別』ってこと?」

「――うん。心寧は私の『特別』だよ」


 その言葉に嘘偽りはない。


 心寧は私にとっての太陽。私の、唯一無二の親友。

 

 けど、今の私は、心寧とそれ以上を望んでる。


 頭ではダメだと分かってるけど、でも今更引き返さない。ここまで来て、怖気づくのは私じゃない。


 私はいつだって自分に正直でいたい――私が望む自分を捻じ曲げて他人に合せるなんて、そんなのは二度と御免だ。


 その馬鹿正直者の私が今望んでいるのは、眼前に映す少女との『初体験』で。


 この想いと熱。好奇心と欲求を受け入れて欲しい。


 そんな私の祈りは、果たして少女に届いてくれるのか。


 もし、もしもこの祈りが届いてくれるなら――


「す、鈴蘭」

「なぁに?」

「――ほ、本当に、気持ちいいの?」


 私はキミのその欲望に、私は全身全霊で応えてあげよう。


「女の子同士のエッチ。試してみる?」

「さ、さきっちょだけだよ?」

「あははっ。うん。さきっちょだけね」

「あ、あと優しくしてね⁉」

「うん。心寧のこと、たくさん可愛がってあげる」

「~~~~っ⁉ ……そ、それじゃあ、よろしくおねがいします」


 期待と興奮、不安と躊躇ちゅうちょ――全てが入り混じり揺れる瞳に向かって、私は力強く頷いた。


「元カレとの最悪な思い出なんて、私が塗り替えてあげるよ」




【あとがき】

これこそ真の確・定・演・出ッ・‼

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