第168話  緋奈藍李のお悩み教室

 突然だが今日は私の家にお客さんがやって来た。


 やや緊張した面持ち……というよりかは神妙な面持ちで正座しているのは、私の大切な友達でもあり、先日一緒にプールで遊んだ子でもある心寧だ。


「どうぞ。飲み物とクッキーです」

「ありがとう。しゅうくん」「ありがと、弟くん」


 少々表情の硬い心寧を部屋に招くと気の利くカレシが女子会用のおやつを用意してくれていて、私たちはそんな気が利いて優しくて頼りになるカレシ――


「いや惚気過ぎだよ!」

「私のモノローグを勝手に読まないでくれるかしら」


 私のしゅうくんを見つめる熱い瞳から惚気ぶりを悟ったのだろう。心寧が煩わしそうに声を荒げてツッコんだ。


 そんな心寧にしゅうくんは苦笑しつつ、


「何かあればリビングにいるので、いつでも呼んでください」

「ありがとう」


 一言。しゅうくんはそう告げて部屋から出て行く。そうして部屋には私と心寧だけが残り、いよいよ女子会が始まる。


 と、その前に、


「順風満帆そうだね」

「うんっ!」

「……ううっ。幸せオーラが滲み出ている⁉ まぶちぃ!」


 心寧の問いかけを満面の笑みで肯定すると、心寧は嫉妬か羨望か、複雑な感情を露にするように頬を引きつらせた。


「……それと、弟くんもあれだね。なんか、もはやカレシというより旦那といった方がしっくりくるよ」

「あ。分かる? そうなの。しゅうくん、付き合う前も後もずっと優しくて紳士で頼り甲斐があってもう非の打ち所がないイケメンカレシだったんだけど、同棲してからはそれがより磨きが掛かったというか、料理もかなりできるし掃除も積極的にしてくれたり朝のゴミ出しなんかもさらっとこなしてくれたり、もう配慮の化身というか、全人類の男性がしゅうくんを見習うべきなんじゃないかって……」

「ストップもういい! 私は今日藍李の惚気話を聞きに来たんじゃない!」

「話題を振ったのはそっちでしょう」


 しゅうくんがいかに素晴らしい恋人……いいえ。私の自慢の婚約者かを饒舌じょうぜつに語っていると、聞くに堪えないと激高した心寧に強引に打ち切られた。


「はぁ。二人の話を聞いてると自分が惨めに思えてくるよ」

「?」


 何故か悔しそうに奥歯を噛んでいる心寧に小首を傾げつつ、


「それで? 今日来た要件は何かしら?」


 乾いた喉をしゅうくんが用意してくれたレモンティーで潤しながら、私は心寧に怪訝な視線を送る。


「折り入って相談したいことがあるってメールで言ってたんだから、それなりに大事な話が私にあるんでしょう?」

「うっす」


 と心寧は緊張した表情で短く首肯。


 こんな緊張している心寧を見るのは珍しく、私も自然と傾聴けいちょうする姿勢に入る。


 指をもじもじさせている心寧をしばらく無言で見つめていると、彼女は一度深呼吸。そのあとにようやく私に相談内容を告げた。


「……実はですね。藍李にその、あれを聞きたくてですね」

「あれ?」

「あれよあれよ」

「あれと言われても分からないわよ。ちゃんと主語をつけて」


 歯切れ悪い心寧に眉根を寄せて催促すれば、心寧はぎゅっと目をつむり、さらに顔を赤くして答えた。


「だから、その……セックスの伝授というか……はぁごめん。紛らわしいよね。ええと、ぶっちゃけると、藍李にどうしたら上手くセックスできるか聞きたいだよね」

「色々ツッコミたい所はあるけど、まず私がセックス上手いという体で話を進めようとするの止めてもらっていい?」


 本当にぶっちゃけた相談内容に頬を引きつらせると、心寧は「だって!」と机を叩いて続けた。


「藍李ってめちゃくちゃセックス上手そうな見た目してるじゃん!」

「大声で偏見を叫ばないで。リビングにいるしゅうくんに聞かれたどうするつもりよ」

「聞かれても問題ないでしょ。だって弟くんじゃない。一番に藍李がセックス上手いかどうか知ってるの」


 そう言われるとたしかにその情報はしゅうくんしか知り得ない。なんなら今すぐしゅうくんに聞きたい所だ。私がセックス上手かどうか。……いや、聞かなくても行為中のしゅうくんの顔を思い出せば答えなんて聞かなくても分かるわね。


 そんな下らない思考がコンマ数秒ほどあり、私はすぐに心寧に問いかけた。


「そもそもセックスが上手いか下手かなんて何を基準に聞いてるのよ」

「えぇ。そういう聞かれると難しい。何だろ……気持ちいいセックスができるかどうか?」


 どうして疑問形なのかはさておき、


「まぁ、そういう意味ならたしかに私は上手いかもね」

「でしょ!」

「食い気味に相槌を打たないで。なんだか物凄く不愉快だわ」


 私は大仰にため息を落とす。それから、行儀悪くテーブル頬杖をついて、


「それで、どうして急に性の相談なんてしてきたの?」

「おぉ。最後まで付き合ってくれるの?」

「一応真剣な悩みみたいだからね。それに親友の悩みでもあるんだし、最後まで付き合うわよ」

「ありがとぉ心の友よ!」

「謝礼費は一万でいいわよ」

「お金取るの⁉ しかも高い⁉」

「冗談よ」


 真剣な話ばかりでは息が詰まる。こうやって茶化して空気を入れ替えるのも時には重要なことだ。――特に、親友同士の真剣な話し合いにもなれば。


 私は心寧の顔色を窺いながら、やけに乾く喉をもう一度レモンティーで潤す。


 お互いに一度、飲み物を飲んでインターバルを挟み、そして会話が再開される。


「ええと、藍李はもう知ってるよね。私が夏休みちょっと前にカレシできたの」

「うん」

「それで実は私、結構前に初めてを体験しまして」

「あらそうなの。おめでとう」


 拍手すべきか否かで悩んだものの、ここは素直に祝辞を贈ることにした。


 心寧は「ありがとう」とその祝辞を受け取るも、しかし表情は浮かばない様子で。


「でもね。その、前に藍李が言ってたみたいに、初めて一つになれた幸せ? みたいなものは感じなくてさ」

「……それは、まぁ、思いかたは人それぞれだと思うわよ」


 一瞬。嫌な予感が脳裏に過った。けれどそれをぐっと飲み込んでどうにか隔たりのない感想を返せば、心寧は沈鬱とした表情でさらに続けた。


「あと、全然気持ちいいとも思わなかったんだよね」

「――初めては痛いってよく言うでしょ」

「でも藍李は気持ち良かったんでしょ?」


 私を追い詰めている質問にみえて。実際はその逆――心寧の追求が追い詰めているのは、自分自身だ。


 それを本人は分かっているのかいないのか。おそらく、前者だろう。それでも追求する手を止めようとしない心寧に、私はどう答えればいいのか逡巡が生まれる。


「わ、私はほら、自慰行為よくやってたから。多少なりとも慣れがあったのかなぁって」

「私もそれくらいするよ。でも、痛いものは痛かったし、気持ちいいともあまり感じなかった」

「い、一回しただけじゃ身体は慣れないもの……」

「もう三回してる」

「――――」


 間髪入れずに答えた心寧に、私は空いた口が閉じないまま黙った。


 もう誤魔化せない。


 心寧の落胆したような、期待とはかけ離れた失望の色を宿した瞳に、私は遂に二の句が継げなくなってしまった。


「私がセックスするのが下手なのか。それともカレシが下手なのか、どっちも下手っていう可能性もあるけど、でも、藍李と弟くんは最初から満足するセックスができてたんでしょ?」

「まぁ……私たちは身体の相性が良かったことも手伝ってたかもしれないわね」


 付き合うには性格や好みの相性が良いだけでなく、身体の相性がいいことだって重要だ。


 満たし合う行為の幸福さは計り知れず、相手をより好きになる要因にも直結する。


 ある意味では身体の相性は、恋人関係を続ける上で最も重要で、それと同時に最も障害になる壁かもしれない。


 そして、心寧はそんな最大の障害にぶつかってしまったのだ。


「……一つ聞いてもいい?」

「うん」

「相手は心寧として満足してるの?」


 私の質問に心寧は時間を掛けて思案して答えた。


「……してるの、かな。よく分からない。ただ、あんまり長くすることはないし、前戯もあんまりしてくれない」


 つまり早漏でせっかちか。これは心寧に問題があるというより、相手側に問題がある気がする。


「藍李はどうなの?」

「私? 私は答えてもいいけど、そのもしかしたら心寧が辛くなる可能性があるかもしれない」

「いいよ。教えて」


 こんな真面目な顔の心寧は珍しく、それ故に真剣なんだと瞬時に分かって。


 私は躊躇いを覚えながらも、自分としゅうくんが普段どんな風に満たし合っているか心寧に吐露した。


「私たちはけっこう前戯は長い方よ。キスも長いし、しゅうくんは私の身体を準備万端いてからいつもしてくれるから。それとする前に一度気持ちよくさせてくれる」

「ふむふむ」

「行為もお互い……というより私ね。私が一回で満足しないってことが判ってるから一度のセックスで2~3回はするわね」

「二人って普段そんなにしてるの⁉」


 お互い性欲旺盛だからね。特に私。


「一回の回数が短くても、何度してれば感度が上がっていくからね。あ、念の為言っておくけどしゅうくんは早漏じゃないからね」

「いや要らないよその情報。……でも覚えておく」

「あと、やっぱり前戯は女の子側にとってはかなり重要かな。ある程度感度が高まってる状態でできるから、気持ち良くなる頻度が多くなる。まぁ、私は経験相手がしゅうくん一人だけで乏しいから、もっと色々知りたいならやっぱりネットで心寧と同じ悩みを持っている人の相談とそれに答えてくれてる人のものを見るのが一番だと思うわ」

「いや、藍李の意見だけで十分勉強になるよ。……というか、藍李の話聞く限り、弟くんめっちゃセックス上手くない?」

「うーん。上手いというより、私を気持ちよくさせようって頑張ってる感じかな」


 でもそういうのが傍から見れば『上手い』と捉えられる要因なのかもしれない。


「……もし、心寧さえよければ、普段私たちがどんな風にセックスしてるのかもっと詳しく教えてあげてもいいけど、どうする?」

「いいの⁉」

「ただし他言無用よ。誰かに漏らしたりでもしたら明日はないと思いなさい」

「バイオレンス過ぎるよ⁉ ――でも、うん。私も、二人みたいな満たし合うようなセックスがしたい。どうか秘法を私に授けてくださいお師匠!」

「大袈裟よ」


 ようやくいつもの心寧が見れたような気がして、私はほっと安堵の息を吐く。


 けれどそんな笑みの裏で、私は残酷な真実を隠していた。


 ――本当・・に好きじゃない相手とセックスなんかしたって、身体は満たされることができても、心は満たされないと思うよ。




【あとがき】

恋愛って大変だね

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