第153話  宝物たち

「へぇ! それじゃあ柊真は将来獣医になるんだ!」

「本人はそれを目指すために頑張ってるみたいだよ」


 二階で遊んでいる子どもたちの騒ぎ声が微かに居間に届く中で、俺は義弟である一真と妹の朱音と雑談を交わしていた。


「去年まで「高校生になったところで俺の人生は何にも変わんねぇから」ってしゃに構えてたひねくれ者がまさか獣医になりたいんなんてねぇ。でも、しゅうは昔から生き物好きだったし詳しかったから、納得言えば納得の将来だな~」


 人は変わるもんだ、と梨を頬張りながら朱音が感慨深げに呟く。


 朱音の感想は柊真の父親である俺も同感だった。


「しゅうは藍李さんと付き合い始めてから性格が真逆になったくらい変化したよ。たった数ヵ月で、しゅうは見違えるほど立派になった」

「惚れた女のために変わったわけだ」

「変わらざるを得なかったんだよ。一真もその気持ちはよく分かるんじゃない?」

「えぇ。男は大変ですよ全く」

「だよねぇ」

「?」


 俺と一真の会話に、一人朱音だけが無理解を示すように小首を傾げる。


 これは高嶺たかねの花に手を伸ばした男――もとい、凡人たちの宿命だ。誰もが崇め、羨望するような女性を口説き落とすには、それこそそれまでの自分を捨てでも変わらなければならない。


 それは芋虫がさなぎへ、そして蝶へと神秘的な昇華を遂げるような、人としての大きな成長と進化。



 僕が梨乃に一目惚れして垢抜けたように。


 一真が朱音に惚れて人生を捧げることを誓った時のように。


 しゅうは過去の弱い自分を乗り越えて、惚れてくれた女の為に変わった。


 そのどれもが、まるで運命を分かつ決断のような変化で。


 その変化を遂げられたからこそ、俺たちは今、こうして愛する人と共に人生を送れている。


 決断の全ては尊く。変化の全ては己に矜持をもたらす。それを俺は、心の底から愛しく思う。


「しゅうもこの先もずっと藍李さんを想い続けてくれると嬉しいんだけどねぇ」

「いやあれは心配する必要ないでしょ。目に見て分かるゾッコンっぷりじゃん」

「あははっ。それな。あの二人の睦まじさは見ていて胃もたれしそうなくらいだ。久遠義兄にいさんと李乃さんに匹敵するんじゃないかな?」

「いやいや。さすがに俺と李乃にはまだ敵わないよ」

「「……堂々と言い切った」」 


 たしかにしゅうと藍李さんが微笑ましい関係性なのは認めてる。けれど、それでも踏んできた場数と想いの強さは明瞭めいりょうに差がある。しゅう本人もそれを自覚しているだろうし、そしてどうやら俺たちを理想としてくれているようでそこは親としてむず痒いが嬉しく思う。


「俺は李乃のことを世界で一番愛しているからね。この想いは何年経っても変わらないし、変えるつもりはない。一生を彼女と共に添い遂げる。ま、李乃が俺のことを嫌いになったら話は別になっちゃうんだけどね」


 人の想いは不変ではない。だからこそ、彼女へ抱くこの恋慕と無償の愛情は常に更新し続けて、誓いとして胸に刻み続けている。


 不変ではないからこそ、これまでも、これからも、俺は李乃を魅了し続ける男で在り続ける存在でいたい。


「一真も、朱音を泣かせるような真似はするなよ。朱音もね」

「もちろん! 俺はいつまでも変わらず朱音一筋ですから!」

「ん。肝に銘じておくよ」


 柊真同様。まだ僕と李乃には及ばない夫婦に向かって、俺は微笑みを浮かべながらそう忠告したのだった。



 ***



 引き続き居間で雑談していると、唐突に李乃からこんなメールが送られてきた。


『二階に来て』

「?」


 口頭や直接呼びに来ないことに怪訝けげんに思いながらも李乃から送られてきたメッセージに従うことにした。


 居間を出て玄関から二階へと通じる階段を上がっていくと、登り切った先でとある部屋を覗き込んでいる李乃と母さんの姿を捉えた。


 何をやっているんだと小首を傾げると、丁度そのタイミングで李乃も俺の存在に気付いて「こっちこっち」と急かすように手招きをしてくる。


「どうしたの?」

「しー。見てちょうだい」

「?」


 声を抑えろと李乃に睨まれて混迷はさらに深まっていく――けれど、促す李乃の背後からその光景を覗き込んだ瞬間だった。李乃が俺を呼んだ理由が分かった。


「……ふふ。なるほどね」

「ね。すごく微笑ましいでしょ」


 俺たちの眼前に広がる光景。それは、部屋で川の字になってお昼寝をしている、子どもたちの姿だった。


「皆、遊び疲れて眠っちゃったのかな」

「くすっ。そうね。昨日からずっと遊びっぱなしだったもの。でも、あんな風に皆一斉に熟睡しているのは初めてじゃないかしら」

「あぁ。初めてだ」


 しゅうの両脇で眠っている翔と真織は嬉しそうに口許を緩めていて、真雪は「くぅかぁ」といびきをかきながら気持ちよさそうに眠っている。


 藍李さんはそんな真雪を抱き枕にして眠っていて、しゅうは少しだけ暑苦しそうだった。


 皆、ちょっとやそっと動かした程度では起きないくらいには熟睡している。


「帰省を満喫しているようで何よりだねぇ」

「――あぁ」


 母さんの小さく呟いた声に、俺も息子たちを起こさないよう静かに頷く。


「李乃、写真は撮った?」

「えぇ。義母かあさんももう撮ってあるわ」

「そっか。それじゃあ俺も早速一枚……これは待ち受けにしようかな」

「いいわね。私も待ち受けにしましょ」

「あとで下にいる朱音と一真も呼ばないと。二人も絶対この光景は残しておきたいだろうし」

「そうね。こんな光景滅多にみれないものね」

「あはは。もしかしたら最初で最後かもしれないよ」


 完全に油断して寝顔を晒す子どもたちを見つめて、親たちはその頬を自然と緩ませる――どれだけ成長しても、やっぱりまだ、しゅうも真雪も俺たちの子どもなんだと、その無防備な寝顔に実感させられて。


「二人とも、元気に育ってくれてありがとう」

「ふふ。ありがとう二人とも」


 微笑みをこぼす父親と母親は、そう自分たちの宝物に万感の感謝を込めながら愛しげに双眸を細めるのだった。




【あとがき】

流石はしゅうのお父さんだ。そしてしゅうはそんな父親の遺伝子を立派に継いでいる。


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