第151話  幼女だろうが関係ない

 爺ちゃんと孫の心温まる会話のあと、不意に立ち込めた尿意を解放しようとトイレに行ったのだが……、


「んむむむむ! んむむ~~~~っ!」

「こら。静かにしないと皆に気付かれちゃうよ」


 すっきりしてトイレから出た、その直後だった。いつの間にか扉の前に待ち構えていた藍李さんが、そのまま有無を言わさぬ圧で俺を再びトイレへと押し込み、そしてまるで監禁でもするように口を手で押さえてきたのは。


 カチャ、とトイレの鍵が施錠せじょうされる音に俺は恐怖心を煽られ、訳も分からないまま嗜虐的な笑みを浮かべる藍李さんを睨んだ。


「んむむむ! むむむむ!……むむむむ!」

「あはは。しゅうくん。喋られると手がくすぐったいよ」


 だったら今すぐ手枷解いてよ!


 そんな想いを込めて視線で訴えるも、藍李さんはわざとらしく俺の抗議を無視して不穏な笑みを浮かべ続ける。


「今日はあまりイチャイチャできなかったから、今ここでちょっとだけイチャイチャしよ?」

「…………」

「私我慢できなくなっちゃった」


 怪しげに細まる双眸がそんなことを言って、便座に押し倒したカレシのTシャツに手を潜らせてくる。


「(なんで急にヤンデレ化してんの⁉ 俺なにもしてないはずなんだけど⁉)」


 必死になって藍李さんが暴走している理由を探すも、それらしい解答が一つも思い当たらない。


 それもそのはずだ。――だって、俺は知る由もないのだから。


 婚約者に芽生えた小さな嫉妬心。幼女ばかり構って今日は全然自分に振り向いてくれなかったというフラストレーションなんて、俺が気付けるはずがない。


 おそらく周囲に露見すれば引かれるのは必至と悟って巧妙に笑顔で隠していたのだろう。恋人すらも欺くその名演技力には脱帽するけど、こうしてトイレに監禁おしこむするくらいなら素直に言ってくれた方が俺としては助かる。


 ようやく藍李さんが俺をトイレに監禁した理由をそれとなく理解できたのはいいが、さて今度はこの状況をどう打開するべきか。


 俺が逡巡する間にも、幼女への嫉妬心ヤキモチが限界に達している藍李さんの暴挙は止まる気配がない。

 

「真織ちゃんだけじゃなくて、私にもちゃんと構って欲しいなぁ」

「んむむ! (ダメ! 居間にはまだ皆いるから!)」

「知ってる。でも、バレなきゃ問題ないよ」

「んむむむぅ⁉ (バレたらまずいから止めてって言ってるの!)」

「大丈夫。真雪たちはゲームに熱中してるし、久遠さんたちもお話に夢中だから」


 とにかく藍李さんの暴走を止めようと必死になって説得するも、それはことごとく静かな圧を孕んだ声音に拒絶されていく。


 どうやら二人きりでイチャイチャできるタイミングをずっと見計らっていたようで、そして、この瞬間が藍李さん曰く絶好の機会らしい。


 故に、婚約者の暴走は止まらない。


「真織ちゃんにばかり構うしゅうくんはこうしてやる」

「ぷはっ――んっ」


 手枷が解かれて、息を吸った直後だった。手枷と入れ替わるように、柔らかな唇が口唇を塞いできた。


「ん、んんっ!」

「らぁめ。しずかにしらさい」

「んむぅ……はふっ……あ、あい……」

「暴れたら舌かんじゃうよ……ふふ。そぉ。いいほいいほ」

「んむぅっ」


 ちゅぱ、ちゅぱ、と卑らしい音がトイレに木霊する。


 お風呂上がりの、シャンプーの甘い香りが鼻孔をくすぐってくる。脳を犯す熱と甘い香りに徐々に抵抗力を削がれ、脳が警鐘を鳴らすも身体が言う事を効かない。


「あぁ。やっぱりこれ……これだよっ」

「んんっ――ん」


 重なる唇に熱を、絡み合う舌に抑えきれない嫉妬を乗せて、藍李さんが陶然とした声音で興奮を漏らす。


「――ぷはっ」――と唇が離れた刹那だった。


「れろぉ」

「――っ!」


 今度は、首筋に唇を押し付けてきた。


「……藍李さん! キスマークっ、残しちゃだめ!」

「分かってるよそんなこと。明後日皆で海行くんだもんね」


 強く叱ろうにも、ここで大声を出せばこの状況が家族にバレる可能性が脳裏にチラついて懇願こんがんするしかない。そんなこの状況を藍李さんは逆手にとって、俺の首を好き放題堪能していた。


「キスマークは残さない。けど、代りにしゅうくんの匂いと味、いっぱい感じるの」


 ぺろぺろと首を舐めながらそう言って、藍李さんは熱い吐息をこぼす。朱色に染まっていく頬が愉しそうに歪んで、宣言通りカレシの首を吟味し尽くす。


「あ、藍李さん! マジで……これ以上はダメ!」

「やぁだ。もっといっぱいしゅうくんを味わう。そして、れろぉ……私の匂いを刻み付けるの」


 ヤキモチは止まらない。制止を無視して、唾液をたっぷり含ませた舌で緋奈藍李という女性の色香をマーキングするように舐ってくる。


 キスマークは残さない。その代わりに、蜜を吸う虫のように柔らかな唇が首をついばんでくる。ちゅ、ちゅ、ちゅぅ、と。


「あはっ。しゅうくんのが元気になってるの、私の股越しから感じるよっ」

「はぁ、はぁ……こんな激しいのされて、元気にするなって言う方が無理だから」

「お互い見境ないね」

「藍李さんが俺をこんな状態にさせたんでしょ」

「えへっ。そうだね。私が戦犯だ」


 そのわりには全然反省の色が見えねぇ。


 目尻に涙を湛えて愛しの婚約者を睨むも、そんな糾弾する視線などものともせず藍李さんは嬉しそうに口許を緩める。


「言っておくけど、ここでセックスはしないよ」

「分かってるよ。正直めっちゃ襲いたいけど、たぶん、そろそろタイムリミットだから」

「そうだね。そろそろ皆、私たちがいないことに気付き始めちゃう」


 つまり、だ。お互い不完全燃焼――いや、藍李さんは少しは発散できたか。


 俺は元気になり過ぎて痛いくたいの下半身に奥歯を噛みしめながら、


「――これが藍李さんの家だったら、そのままここでヤッてたからね」

「あはっ。いいこと聞いちゃいましたねぇ」

「……ド痴女め」

「痴女だよ私は」

「認めないでよ」

「えぇ。だってしゅうくんカレシがその事実を一番知ってるはずでしょ? キミのことが大好きで、24時間ずっとキミのことを考えてて、24時間ずっとしゅうくんに襲われることを考えてる――とんだ変態だってこと」

「さすがにそこまでは知らないよ!」


 俺のことを好きなのは嬉しいけど、24時間襲われることを考えてる事実は知りたくなかった。


「はぁ、全く藍李さんは、どうしようもない変態ですね」

「我慢できなくてこうしてトイレでしゅうくん襲っちゃうくらいだからね。真織ちゃんが可愛いのは分かるし、二人の関係性が従姉弟同士でそれ以上は何もなくて、しゅうくんが真織ちゃんに慕われてるだけっていうのは頭では分かってるんだけどね、でも、私は重い女なので、しゅうくんが恋愛対象外の幼女と仲良くしてるだけでも嫉妬しちゃうのです」

「抑えられない?」

「そのうちに見慣れてくるはずだから気にしないで。でも、慣れるまでは――んっ」

「――んっ」


 途中で言葉を区切った藍李さんは、おもむろに唇を押し付けてきた。


 軽く触れあうようなキスを交わしたあと、


「慣れるまでは、こんな風にヤキモチが暴走してしゅうくんに迷惑掛けちゃうかも」

「もういいよべつに。藍李さんが真織にヤキモチ焼いちゃうなら、真織だけじゃなく藍李さんも甘やかせばそうはならなってことでしょ?」

「――っ。……負担掛けちゃってごめんね」

「あはは。今更ですよ。藍李さんが構ってちゃんなのは知ってるし、それに愛が重たい人だってことも知ってるから」


 藍李さんは見た目の割に子どもっぽい――いや、俺が彼女をそうさせたんだ。


 俺のことが好き過ぎるあまり、こんな風に手の掛かる子どもみたくなってしまう。


 だから、彼女をそうさせてしまった責任はちゃんと取らないとだよな。


「家族がいようが、姉ちゃんに観てられようが、従姉弟たちの目の前だろうが構わなくていいですよ。藍李さんが俺に甘えたい時、思いっ切り甘えにきてください」

「――っ」

「俺はちゃんと受け止めてあげるから」


 藍李さんの嫉妬ヤキモチは可愛い。高頻度で暴走するのが玉に瑕だけど、でも、独占欲を剥き出しにしてくれることが嫌いになる男なんていないだはずだ。


 俺は、好きが募る余り暴走してしまうそんな彼女を、心の底から愛おしく思う。


「でも暴走し過ぎは注意ですよ。俺だってたまには呆れるんですからね」

「……うん。分かりました。ちゃんと自制します。でも、耐えたあとはご褒美があると嬉しいな」

「どんなご褒美?」

「エッチなご褒美」


 言うと思った。思わず拭いてしまう。


「なら、家に帰るま頑張って我慢してください」

「うん。我慢するから、だから、お家に帰ったら頂戴ちょうだい。とびきりに甘くて、濃くて、心が満たされるやつ」

「分かった。藍李さんが満足するまで付きあ……やっぱ付き合うとしても三回戦までね!」

「えぇ」


 危うく全肯定して自分の寿命を縮めるところだった。


 頬を膨らませるカノジョに言い聞かせるように「三回戦!」と念押しすれば、藍李さんは渋々といった表情ではあるが納得してくれて。


「うん。それじゃあ、お家に帰ったら、しゅうくんの愛情。たっぷり私に注いでください」

「はは。分かりました。ちゃんと、藍李さんの心も身体も満たしてあげます」

「やった。今からすごく楽しみ」

「……はぁ。とんでもねぇ契約しちまった」


 でも、機嫌を取り戻して無邪気に笑う彼女の顔は見ていて心地よくて。


「藍李さん」

「なに?」

「ここから出る前にもう一回だけ、今度は俺からキスしていい?」

「――。うん。皆に気付かれちゃう前に、もうちょっとだけイチャイチャしようよ」


 俺も暴走しないように。


 そう、細心の注意を払いながら――


「「――んぅん」」


 俺と藍李さんは最後に一度だけ、甘いキスを交わした。




【あとがき】

休載明けにとびきり甘い話を持ってくるとか我策士なり。

読者の皆さん。今週も頑張り過ぎないように乗り切ろー。((´∀`))





 

 

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