第150話 爺ちゃんと孫

 ……楽しいよりもキツさが勝った宴会も終わり、現在、


「……うぷ。しゅうくんのせいよ」

「げぷ。藍李さんがあそこで笑ったからでしょ」


 どうにか真織に積まれた料理を胃に収めた俺と藍李さんは、今は居間にてぽっこりと膨らんだお腹をさすりながら互いを睨み合っていた。


「藍李。今日はよく食べたねー」

「食べざるを得ない状況だったのよ。あそこで残したら真織ちゃんに悲しい思いをさせることになったでしょ」

「いやそこまで思い詰めなくても真織ならちゃんと限界っていえば納得してくれたよ。融通の利かない子じゃないし、というか後半二人がキツそうな顔しながら食べてたの心配してたくらいだし、無理に食べきらなくてもよかったのに」

「そういう真雪は私以上食べてるのになんで食後のアイスまで食べてるのよ」

「え? あのくらい余裕でしょ」

「李乃さんが真雪を隣に置きたい理由がよく分かったわ」


 けろっとした顔で棒アイスを食べている姉に、俺と藍李さんは揃って頬を引きつらせる。


 底なしの胃袋を持つ姉に驚嘆としていると、姉ちゃんと同じアイスを食べている翔がとことこと俺の下に駆け寄ってきた。


「しゅう兄ちゃん! 約束通りゲームしよ!」

「お前、この状況の俺を目の前にしてよくゲームしようなんて言えるな。ムリムリ。もうちょっと胃に消化活動させてからにして」

「じゃあアイス食えばいいじゃん!」

「満腹の胃に追い打ち掛けてどうすんだ。食後のデザートは別腹理論は今この腹には通用しないんだよ」


 子どもならそろそろ電池切れで大人しくなる頃合いなのだが、やはり久しぶりに従兄が帰って来たのが嬉しいのか今日の翔はまだまだ元気だった。


 瀕死のカエルのようにたたみに仰向けになっている俺を突いてくる翔とそんなやり取りを交わしていると、隣ではもう一匹瀕死のカエルと化している藍李さんに真織が心配そうな表情で寄り添っていた。


「藍李お姉ちゃん大丈夫?」

「だ、大丈夫だよ。ちょっと食べ過ぎて、もう少し休んだら元気になるから」

「真織、お姉ちゃんに無理させちゃった?」

「そんなことないよ! 美味しいご飯たくさん食べさせてくれてありがとう!」

「――っ! えへへ。それじゃあ明日も真織が藍李お姉ちゃんのたくさんご飯取ってあげるね!」

「わ、わぁ。すごーく嬉しいなぁ」


 幼女心を傷つけたない一心で吐いた見栄がまさか自分の首を更に絞めるとは思いもよらなかったのか、無邪気な笑みを浮かべる幼女の恐ろしい宣言に藍李さんの顔が引きっている。


「俺が真織の言うことならなんでも聞く理由、少しは分かってくれましたか?」

「……うん。この純真無垢な笑みを魅せられたら、断る方が無理ね」

「でしょ?」


 ただでさえ蝶よ花よと家族に大事に育てられている真織だ。穢れを知らない笑顔はある意味、藍李さんの笑顔よりも人を支配コントロールする強制力があった。


 そして、藍李さんの検診を終えた真織が今度は俺の方へ小さな足を運んでくる。


 些か上機嫌な真織は、その小さな手をぽっこりと膨らんだ俺のお腹をさすりながらこう問いかけてきた。


「しゅうお兄ちゃんも大丈夫?」

「胃が限界突破してるけど大丈夫だよ。心配してくれてありがとな」

「えへへ。お兄ちゃんが元気になるまで、真織が看病してあげるね」

「真織は優しいなぁ」


 俺の胃袋の限界を迎えさせた張本人であることは理解しているが、それでもこの小さく咲いた花のような笑みには敵わない。


 小さな頭を撫でれば真織は嬉しそうにはにかんで、そんな顔を見ると愛護心が刺激されてもっと撫でてやりたくなる。


「しゅうお兄ちゃん。今日は真織のためにいっぱい頑張ってくれたから、そのお礼にたくさんお腹さすってあげる」

「はぁぁ。真織マジ天使。どっかの横暴な姉とは大違い」

「真織ー。しゅうお兄ちゃんアイス食べたいって。取ってきてあげなよ」

「乗るな真織! 兄ちゃんの腹にトドめをさす気か!」


 小さな従妹を愛でる中、姉と睨み合っていつものように姉弟喧嘩を始める。それを見守る従姉弟たちは目尻に涙をたたえながら笑っていて。


 久しぶりの従姉弟との再会。そして会話を楽しむ中でただ一人だけ。


 俺と真織の関係をつまらなそうに見ている女性がいて。


「……むぅ。真織ちゃんずるい」


 可憐に咲く笑みの裏で、そんな嫉妬の蕾が芽吹いていることを、この時の俺は知る由もなかった――。


***


「くっそー! また真雪姉ちゃんの勝ちかよ!」

「ふっふーん。キミたちの姉を舐めるでない。この真雪お姉ちゃんに勝とうなんざ百年早いわ!」

「もう一回! もう一回勝負だ!」

「お兄ちゃんずるい。真織も真雪お姉ちゃんと遊びたい」

「……真雪。相手は子どもなんだから少しは手加減してあげなさい」

「何事も全力で勝負しなきゃ意味じゃん! 相手が子どもだろうがお爺ちゃんだろうが関係ない。私は向かってくるもの全員をなぎ倒す!」


 居間でゲームをして盛り上がっている姉ちゃんたちの姿を縁側から双眸を細めて眺めていると、


「お疲れ、しゅう」

「……爺ちゃん」

「隣座るぞ」

「爺ちゃんの家なんだから好きにしなよ」

「カカカ。それならお言葉通り好きにさせてもらうかの」


 いつの間にか爺ちゃんが俺の隣にやって来て、差し出されたコップを受け取りながら腰を下ろす爺ちゃんを横目に置く。


「今日は翔たちの世話を任せっきりにしてしまってスマンな」

「いーよべつに。たまにしか会えなないんだから、まだ俺のことを兄ちゃんって慕ってくれるうちは二人に付き合うよ」

「かかか。見た目は変わっても中身はなーんにも変わってないなしゅうは。爺ちゃん安心したぞ」


 快活に笑いながら爺ちゃんに頭を撫でられて、俺はむず痒い気持ちを無理矢理紛らわせるようにコップに注がれた緑茶をぐいっと飲んだ。


 それからゆっくりと孫の頭を撫でる手が離れて、そのあとに静かな声音が鼓膜を震わせた。


「お前に急に婚約者ができたって久遠に報告された時はびっくりしたが、こうして直接会って話せばいい人そうで安心したよ」

「結構愛が重い人だからね。俺の事を見限ったり裏切るような真似はしないよ」

「かかか。その口ぶりからして、しゅうも相手に惚れた側の男か」

「ふっ。そうだな。一目惚れだったよ」


 雅日家の男の恋は大抵一目惚れから始まっている。爺ちゃんも、叔父である一真さんも。父さんも母さんに一目惚れして口説き落としている。そして、俺も。


「こうして列挙してみるとほんと雅日家の男って単純というか一途だな。誰も離婚してないし、全員漏れなく嫁の尻に敷かれてる」

「その内お前も嫁の尻に敷かれるんだ。今の内から覚悟しておけ」

「もうその片鱗は味わってるから平気」

「おぉ。子どもながら百戦錬磨の風格! ……何があった?」

「色々な」


 外堀埋められて死ぬほど愛されて懐柔されただけだ。


 いぶかる目を向けてくる爺ちゃんの視線を意図的に無視して、俺はまた一口緑茶を含みながら会話を続けた。


「とにかく、お互い別れるつもりはないってことだよ。俺は間違っても浮気なんてすることはないだろうし、それに何より、俺はこの先も藍李さんにゾッコンだろうから」

「かかか! じゃろうな。お前はワシの孫で久遠の息子じゃ。きっと、しゅうは惚れた女にはとことん尽くす性格なんだろう?」

「普通は尽くすものだろ?」

「それが出来ない男も世の中にはいるってことを忘れるな。皆が皆、お前のように一人の女性を愛して生きていけるわけじゃない。しゅうのような若人なら猶更な。むしろ、お前こそ例外と言える」

「そういう人たちはそういう人たちってことで。俺には縁のない話だよ」

「そういうさっぱりしてる性格は昔から変わっとらんなぁ」


 爺ちゃんは俺の性格を呆れたような、感服したような曖昧な表情を浮かべて受け止めた。


「一人の女性をずっと想い続ける難しさは父さんにお説教と一緒に教えられたよ」

「……ほぉ」

「俺と藍李さんはまだ子どもで、これから先の人生で色々な経験をして考えや価値観が変わって来るだろうって言われた」

「ふん。久遠のやつ。一丁前に言うようになったのぉ」

「あはは。……その時は俺、父さんに何も言い返せなかった。けど、今なら断言できるよ。きっとこの先、俺たちに何があっても、この考えと想いは変わらない」


 俺は藍李さんをいつまで経っても尊敬して、愛し続ける。その自信と矜持きょうじがある。


 彼女の人生を背負う覚悟も、もう殆ど出来上がっている。でも、まだ少しだけ、恐怖心というものは確かにあって。


 それでも、


「俺は、藍李さんから離れない。その意思を貫くために、俺の婚約者として藍李さんを爺ちゃんと婆ちゃんを会わせたんだ」

「――ふっ」


 遠く、彼方に輝く星たち。月が満ちる夜空を見上げながら謳うように爺ちゃんに胸裏を吐露すれば、小さな笑い声が聞こえて。


 そのあとに、ぽふん、とシワだらけの、けれど逞しく優しい手が頭を撫でてきた。


「しゅうはワシの自慢の孫じゃな。爺ちゃんが断言してやる。お前は雅日家一カッコいい男になれる」

「……はは。ありがと、爺ちゃん」


 俺の、この胸に刻み込まれた覚悟と誓い。それを真っ直ぐに受け止めて、受け入れてくれた祖父と、俺は微笑みを交わし合った。



【あとがき】

最後はいい話で纏まったけど、次話必読です。え、なんでって? それは読んでからのお楽しみ!

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