第147・5話  生き物博士とタガメ


「――しゅう兄ちゃん! これは⁉」

「あぁ、まさかとは思うが、このフォルム、この前脚まえあし、この太さ……どうやらそのまさかのようだ!」


 従姉弟たちと水生生物を観察するべく近くの水辺にやって来たのだが、そこでしばらく網を掬っていると珍しい水生昆虫と邂逅かいこうした。


 はたしてその水生昆虫とは――


「やぁっと出会えたな、タガメ!」

「しゅう兄ちゃんすげー!」


 奇跡的に俺の網に入った、田んぼのハンターこと『タガメ』を前に、感動に打ち震える俺と翔。


「え、タガメってそんなに珍しいの?」


 早速タガメを持参してきた観察ケージの中に入れていると、藍李さんが困惑気味に訊ねてきた。


 俺は「そうです」と力強く肯定して、


「タガメって存在自体は理科の授業でも紹介されるくらい有名な水生昆虫なんですけど、けど、今日本では特定希少種に認定されてるんです」

「そうなんだ!」

「はい。タガメってこんなにイカつい見た目をしてますけど、実はすごく繊細な生き物なんです。作物を害虫から守るために農薬が使われていますが、タガメはその農薬に弱くてほとんど死んでしまうんです。あとは、外灯もですね」

「え、外灯とタガメに何の関係があるの?」


 この道端にもぽつぽつと建てられている、暗闇の中で人を導いてくれる道標。それとタガメを交互に指でさせば、藍李さんははて、と頭に疑問符に浮かべた。


 生き物の生態系に詳しい人間は数少ない。今じゃネットでそれを専門しているチャンネルなんて数多あるが、それはあくまで『専門分野』や『好き』を突き詰めた人の話だ。大半は学校で習ったくらいの知識で、それ以上は知らない。だから藍李さんが分からないことは当然で、それ故にこの機会に知って欲しい。


 そんな願いを込めながら、俺はタガメに夢中な従姉弟たち二人に声を掛けた。


「翔。真織。前に俺がタガメについて話したことは覚えてる?」

「「うん!」」

「それじゃあ、復習がてら藍李さんに教えてあげて」

「「分かったー!」」


 去年もこうして水辺で水生生物を一緒に探した二人にそう促すと、従姉弟たちは元気に返事してくれた。観察ケージで浮いているタガメが気になりながらも二人ははきはきとした声で藍李さんに説明してくれた。


「藍李姉ちゃん! 実はタガメって飛ぶんだぜ!」

「そうなの⁉」

「うん。ほら、ここをよく見ると羽が重ねってるでしょ」

「本当だ。てっきり飾りだと思ってたけど、タガメって飛べるんだね」

「はい。タガメは水中が生息地ですが、歴っきとした昆虫です。トンボやゲンゴロウ、アメンボなんかも水生昆虫に分類されてますね」


 有名どころを挙げつつ、タガメの説明が続いていく。


「タガメって住んでる場所が悪くなると飛んで生息場所を変えるんだぞ!」

「でも、タガメはピカピカしてるものをみると身体が言うことを聞かなくなって突進しちゃうらしいみたいで、そのせいで鳥や他の生き物に食べられちゃうんだって」

「二人ともよくできました。偉いぞ」

「えへへぇ」


 上手に説明できた二人に賞賛を贈ると、翔と真織は白い歯を魅せてピースサインを作った。


 出来の良い従姉弟たちを存分に褒めながら、俺は藍李さんに前述した説明の補足をした。


「タガメは生息地が悪化すると飛ぶんです。けれど、それ以外にももう一つ、さっき真織が説明してくれたように外灯に向かって飛んでしまう・・・・・・習性があるんです」

「走行性だよね。理科の授業で習ったことがあるよ」


 俺の言葉を継ぐようにして答えた藍李さんに、正解と短く相槌を打った。


「夜になるとコンビニの看板とか外灯になんかが飛んでる光景見ますよね。あれは光を頼りにして進んでいる虫たちが、外灯から放射される紫外線の光に引き寄せられた結果見られる光景です。それが『走行性そうこうせい』で、タガメはその走行性が強い昆虫なんです」


 習性とは恐ろしいものだ。身体に、遺伝子に刻み込まれたそれは、理性も自制も効かず本能に従って身体を突き動かしてしまう。


 タガメにとって外灯はその習性を刺激される脅威だった。決して逆らえない習性に身体が引っ張られ、水中から陸上へ上がってしまうタガメは、そのまま鳥や他の自然動物の格好の餌となってしまう。


 水中では逞しく生きられるタガメも、ひとたび陸に出れば小さく非力な生き物と化してしまう。


 人の環境をより良くしていった結果、他の生物が犠牲になった。タガメも、その犠牲者の一生命体なのだ。


「最近では外灯もLEDのものが多く使われ始めて、虫が集まって来る事態も低下してますけど、それでもこういった小さな生き物たちの住処が狭くなっていく事態は歯止めが効きません。だからこそ、一人の一人の環境に対する意識が必要だし、キモイキモイとか言って距離を取ろうとする姉ちゃんにも生き物の尊さを少しでも知ってもらわないといけません」

「――そうだね」


 最後は簡潔にまとめて皆で微笑み合う。それから、俺たちから微妙に距離を取っている姉ちゃんに向かって一斉にジト目を向けた。


「真雪姉ちゃんダメだぞ。生き物をそんな目で見たら!」

「タガメさん、すごくカッコいいよ」

「ほら真雪。引いてないで近くで一緒に観察しよ。しゅうくんの授業受けるの楽しいよ」


 そんな従姉弟たちと親友の優しい手招きに、姉ちゃんは「あはは」と笑いながら、


「いや。無理なもんは無理!」


 直後。真顔になって全力で首を振った。それはもう、存在自体を拒絶する勢いで。


「……まぁ、好みも価値観も人それぞれだからな」


 虫が超絶苦手な姉に肩を落としながら、俺は水中でのんびり浮いているタガメに向かって微笑みを浮かべたのだった。



【あとがき】

いつか自分も野生のタガメ見てみたいな。その前にサワガニとイモリ飼いたい。

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