第3章――5 【夏。キミと彩って】

第143話  いざ、父の実家へ


 藍李さんとの同棲は一旦中断し、お盆休み初日。


「おっはよー! 藍李ー!」

「うわっぷ。おはよう、真雪。朝からパワフルね」

「そりゃ今日から藍李とずっと一緒にいられるんだもん! 楽しみ過ぎて全然寝れなかった!」

「あらあら、嬉しいこと言ってくれちゃってこの親友は」

「えへへ。もっと頭なでなでしてぇ」

「……甘え方が姉弟そっくり」


 予定通り今日から父さんの実家がある静岡へ赴くこととなった我ら雅日家一行ともう一人。


 この雅日家の帰省は同伴者である俺の婚約者の藍李さんを迎えることから始まった。


 そんな藍李さんの同伴に俺以上に浮かれているのが、今彼女を力強く抱きしめている姉ちゃん。たぶん、親友とちょっとした旅行気分を味わえることが嬉しいのだろう。修学旅行もまだ先だしな。


 露骨に浮かれている姉に猛烈に歓迎されて不憫ふびんなカノジョに苦笑を浮かべながら、俺は藍李さんの荷物が詰まっているキャリーケースを掴んだ。


「あ、いいよしゅうくん。自分で持っていくから」

「車に運ぶだけだから気にしないで。藍李さんはそのまま姉ちゃん子犬の相手しててください」

「……朝からカレシがカッコ良すぎて幸せぇ」

「おい貴様。姉をダシに使うとはどういう了見だっ」

「じゃあそのウザ絡み止めろよ」

「それは無理っ」


 注意なんてしても無意味で、姉ちゃんは俺にあっかんべーするとまた藍李さんに頬を擦りつける。甘え方が完全に子犬のそれで、そして姉弟揃って彼女に対する態度が瓜二つだった。


 朝からエンジン全開な姉に呆れつつ、俺はひとまず藍李さんの荷物をトランクへ運ぶ。


「そうだ。李乃さん。久遠さん。今日から五日間、よろしくお願いします」

「「いえいえ。こちらこそ」」


 姉ちゃんに抱きつかれながらお辞儀をした藍李さんに、運転席と助手席にいる両親が「よろしく」と手を振る。


「家族の帰省に付き合わせてしまってすまないね」

「いえいえ! お誘いありがとうございます。久遠さんの実家、すごく楽しみです!」

「それはよかったわ。……それとなんかごめんなさいね。うちの娘が朝からやかましくて」

「……あはは」

「真雪ったら藍李ちゃんと一緒に行けるのが本当に楽しみだったみたいで。早起きなんてできないこの子が今日は四時に起きたのよ。興奮して寝付けなかったのも理由にあるんだろうけども」

「だって藍李と五日間ずっと一緒にいられるんだもーん」

「藍李ちゃんが帰省に同伴するって言ってからずっとこの調子なの」

「藍李さんを連れていく理由はしゅうの婚約者だって紹介するためなんだけどねぇ」


 それな、と両親と藍李さんの会話を聞きながら強く頷く。


「藍李をしゅうの婚約者として紹介するために連れていくのは分かってるよ。でも、だからといって私が藍李と一緒にいちゃいけない理由にはならないでしょ」

「…………」

「よって! 私はしゅうのことなんか気にせず藍李とイチャつく!」


 一理あるようで全くの屁理屈である。


 これはたぶんあれだと、姉ちゃんの態度を見て俺、父さん、母さんが苦笑を浮かべる。


「「――弟に嫉妬することなんて一度もなかったのにねぇ」」

「……ぶぅ」


 両親の指摘に分かりやすく不愉快そうに頬を膨らませる姉ちゃん。


 端的にいえば、自分の大好きな親友の愛情を、自分よりもたくさんもらっている弟が妬ましいのだ。


 これも長女たる所以か。欲しいものは全部欲しいのが姉ちゃんの性格。いつも周囲を明るく照らす日輪のような少女も、蓋を開けてみればどうやら普通の女の子だったようで。


 姉に対しずっと憧憬と嫉妬を抱いていた身としては、この事実がちょっとだけ優越感に浸れた。


「言っておくけど。今更藍李さんを姉ちゃんにも渡すつもりないからな」

「――ぁ」


 カノジョの荷物をトランクに詰め込み終え、肩を竦めながら姉と恋人の下へ戻っていく――その最中で。


 俺は姉ちゃんから恋人を奪還すると、そのままぎゅぅと抱きしめて凶悪な笑みを浮かべて宣戦布告してやった。


「藍李さんは俺のものだ。例え相手が姉ちゃんだろうが何だろうが、俺は絶対に譲らない。この人がくれる愛情はもれなく全部俺のものだ」

「~~~~っ‼」


 藍李さんを独占する気はない。でも、だからといって愛情をお裾分けする気は毛頭ない。それは彼女の親友であっても。自分の姉であっても。


 惚れた女のために格好つけるために変わった男の矜持きょうじと覚悟を舐めないでほしい。この意思はそう簡単に揺らがず、わずかな逆風程度ではビクともしない。


 緋奈藍李というこの世にたった一つとしかない蜜にどっぷり漬かってしまった男はもう、相手が敬愛する姉でも一歩たりとも引かない。


 その俺の凶悪な宣戦布告に、姉ちゃんは花嫁を式直前で寝取られた男が如く悔しそうにハンカチを噛みしていて。


「このクソガキぃ!」

「べーだ」


 姉が俺に嫉妬する顔がこれほどまでに心地よいものだとは露知らず。俺は初めて姉に勝った気分になって文字通り上から姉を見下ろす。


 バチバチと火花を散らす姉弟。その間に挟まる女性は、先程の俺の言葉にまだトキメキの余韻から抜け出せていなくて、今もトリップ中。


 そんな朝から騒々しい子どもたちを、冷房の効いた車内から見守っている両親は揃ってこう呟いたのだった。


「朝から熱いねぇ(わねぇ)」


 今日から始まる五日間の帰省。


 その開幕は、雅日家ではもはや恒例となった姉ちゃんと俺の口喧嘩から始まるのだった――。



 ***



 サービスエリアにて。


「んむっ⁉ この肉まん美味しい! 藍李も一口どーぞ!」

「ありがと。それじゃあ一口もらうね」


 朝の支度に追われていた事と母さんの負担を考慮したことで朝食はサービスエリアで適当に取ることになり、今は休憩を兼ねた朝食を満喫していた。


 美女が美女と食べ物を分け合う構図は絵になるなぁ、とそんな感想を胸中で呟きながら、俺もおにぎりに噛り付く。


「朝から肉まん三つとか……相変わらず化け物胃袋だな」

「真雪はよく食べる子だからね。しゅうも遠慮せずにもっと買えばよかったのに」

「むこうに着いたら爺ちゃんと婆ちゃんがたんまりメシ作ってるんだろ。つか、朝からそんなに食えないし」


 朝からハイテンションだったことも関係があるのだろう。今日の姉ちゃんの食欲はいつにも増して旺盛だった。ただまぁ、あの豪快な一口は見ていて爽快ではある。


 某カー〇ィが如く勢いで肉まんを胃に収めていく姉を茫然と眺めていると、そんな俺の視線に気づいた姉がもごもごと咀嚼しながらこう言ってきた。


「んむんむ……言っておくけどアンタには分けてあげないからね」

「べつに食べたくて見てたわけじゃねぇよ。姉ちゃんの両隣とのギャップ差に引いてるだけ」


 姉ちゃんの右側に座っている藍李さんの朝食はサンドイッチ。そしてその反対側の席に座っている母さんはスムージーのみ。


「お母さんそれで足りる? やっぱり何か買ったほうが……」

「いいえ結構」

「でも……」

「お父さん? 私に恥をかかせる気かしら?」


 対面席に座る両親の会話に俺は堪らず苦笑。そして、そのやり取りを不思議そうに小首を傾げて聞いていた藍李さんに気付いた。


 澄ました顔でスムージーを飲む母さんを横目に、俺は藍李さんに先に繰り広げられていた会話の意味を説明した。


「ええと、今から行く父さんの実家なんですけど、毎年こうやって帰省すると爺ちゃんと婆ちゃんが浮かれて大量にご飯を用意してくれるんです。姉ちゃんは見ての通り大食おおぐらいで、父さんもこの見た目のわりに食べるほうなんですけど、母さんと俺の胃袋はごく一般人の胃袋でして」

「う、うん」

「で、母さんは父さんの実家に気に入られてて、こうやって帰省すると何故か毎年爺ちゃんや婆ちゃんにすげぇご飯を出されるんです。父さんの実家って手前、断ろうにも断れず、結局勧められたもの全部食べるしかないんですよ」

「……おおぅ」


 息子贔屓に見ても客観的に見ても母さんは美人だ。四十代前半とは思えないツヤハリのある白肌。シワやシミも毎日死ぬ気で手入れしているから目立たず、腰まで伸びる黒髪も一本一本が鮮麗で艶やか。たまに姉ちゃんと姉妹と間違われるほどには若さを保っている。


 そんな相手が自分たちの子どもの妻となれば、親としては気に入らないはずがないわけで。


 結果。母さんは父さんの実家に偉く気に入られ、帰省する度に義娘が帰って来た爺ちゃんと婆ちゃんに野菜やら肉やら魚やら大量に勧められてしまう。


 我が家では女帝の母も義両親の前では一人の義娘。迂闊うかつに断ることもできず、目の前の出された料理は例え胃が悲鳴を上げようが限界を迎えようが胃に納めなけれならない。父さんの実家に帰って母さんの満腹の苦痛に歪む顔を何度見たことか。


「……真雪が大食いでよかった。本当に」

「娘に自分が食いきれない分の料理を処理させるのも親としてはどうかと思うけどな」

「そんなこと言うなら私の隣の貴方を置かせるわよ?」

「嫌な脅迫だなっ!」


 姉ちゃんより食えない俺を置いて苦しくなるのはむしろ母さんの方である。


「藍李ちゃんも気を付けてね。アナタもきっとお爺様とお婆様に気に入られる……アナタの胃袋を守れるのはアナタだけよ」

「ごくり……っ」

「俺の婚約者に変なプレッシャー背負わせんな。婆ちゃんと爺ちゃんには俺が言って聞かせるし、もしもの時は俺が防波堤になる」

「ふふ。それじゃあ、その時は頼りにしてるね。私の頼りになる婚約者くん」

「きゅんっ! わん!」

「はいはーい! 私も藍李の防波堤やるー!」

「真雪。アナタはダメよ。私の隣にいなさい 母が病院に運ばれてもいいの?」

「お父さん役立たずでごめんねぇ」


 父さんの実家に着くまで間の小休憩。

 それはこれまでになく和気藹々愛とした中で過ぎていく。


「――はぁ。今年もあの大量のご飯が私を待ち構えているのね」

「この死んだ顔も毎年恒例だな」

「あはは……ごめんね、お母さん」


 ただ一人。母さんだけは数時間後に確実に訪れる地獄を嘆いていて、そんな母さんのため息に俺と父さんは揃って頬を引きつらせるのだった――。




【あとがき】

次話からいよいよしゅう父の実家でのお話になります。数話後にはちっこくて可愛いしゅうと真雪の従姉弟たちが登場っ。

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