第141話  両親の優しい誘惑

「ただいま……おや。今日はしゅうが帰って来る日だったか」

「おかえりー」


 雅日家の大黒柱が本日の仕事を終えて職場から帰宅してくると、数日ぶりにリビングでくつろいでいる俺を見つけて柔和な笑みを浮かべた。


 ぽちぽちとゲームをやりながら軽く挨拶を交わすと、父さんは早速俺の隣に座ってきた。


「しゅうがいるってことは藍李さんも来てるんだろう?」

「うん。今は姉ちゃんと風呂に入ってる」


 母さんから「女二人が一緒にお風呂に入ると長くなる」と忠告を受けた藍李さんと姉ちゃんは夕食前ではあるがお風呂に入っている。きっと今頃はお互いの背中を洗い合っている頃だろう。


「真雪は藍李さんが泊まりに来ると露骨に上機嫌になるから、その相手をするのは大変だろうねぇ」

「それ分かってるなら父さんからも姉ちゃんに注意してやってよ。藍李さんが帰省に同伴するって分かってから余計に鬱陶うっとうしさが増してるんだからな」

「あはは。それだけ友達のことが大好きってことじゃないか」

「友達の前に俺の恋人なんですけど?」

「でもしゅうが彼女と恋人になる前は、真雪が藍李さんと一番親しかっただろう?」

「うぐ……」


 そう言われるとなんだか姉ちゃんから藍李さんをったみたいで罪悪感が湧く。


 バツが悪そうに顔をしかめると、そんな俺を父さんはカラカラと笑いながら「冗談だよ」と頭を雑に撫でてきた。


「三人の関係性に優劣をつけるつもりはないよ。ただ、両方が大事なしゅうをつい揶揄いたくなっちゃってさ」

「意地が悪いぞ」

「息子とのコミュニケーションはこれくらいが丁度いいのさ」

「……むぅ」


 拗ねた風に口を尖らせる息子に、父さんは愉快げに口許を綻ばせる。


「お父さんも毎日しゅうの顔が見れなくて寂しいのよ。察してあげなさい」


 と、父と息子の会話に割って入ってきたのは、キッチンから戻って来た母さんだった。


 猛暑の中から帰宅した父を労うように用意された氷入りの緑茶を差し出した母さんに、父さんは「ありがとう」と柔和な笑みを浮かべながら受け取ると、


「まぁ、見慣れた息子の顔がいつも居ない状況はたしかに寂しいかな。でも、だからこうして会える日が親にとっては嬉しくもあるんだけどね」

「……そういうのさらっというの恥ずかしくないの?」

「しゅうとは踏んだ場数が違うからね」


 流石は超美人の母を射止めた男なだけはある。息子ながら父の台詞に不覚にもときめいてしまったではないか。


 言われた方が気恥ずかしくなる台詞を飄々ひょうひょうとした顔で言われたもんだから、こっちも反応に困ってしまう。


 そんな息子の態度を心底愉快そうに眺めている両親に深い吐息をこぼしつつ、


「話変えるけど、本当に藍李さんを帰省に連れていっていいんだよな?」

「あぁ。元々提案したのも父さんからだからね」

「私はお父さんの提案にいいんじゃないかって頷いただけ。よかったわね、帰省中も大好きなカノジョと一緒にいられて」

「その大好きな人が現在進行形で姉に寝取られてるけどな」 

「「……あはは」」


 やや強引に話題を切り替えつつ、俺はまた揶揄ってきた両親にカウンターを喰らわせる。


 帰省中は姉が藍李さんにべったりくっ付いて恋人らしい時間は設けられないと思うので、それだけが唯一の不満点だった。まぁ、帰省中に恋人の温もりが恋しい、なんて事態にはならないだけマシだろう。


「そういや、静岡の婆ちゃんと爺ちゃんにはもう報告したんだよな? いきなり俺がカノジョ……婚約者なんて連れてきたら腰抜かすんじゃない?」

「それはもう先に報告したから杞憂だよ。……ただ、実家むこうに着いたらしゅうは覚悟しておいた方がいいかも」

「だよなぁ。絶対はしゃぐだろ、あの二人」


 大好きな孫に恋人ができたことに二人が黙っているはずがない。それもその恋人が婚約者なら猶更。


「あれ? 朱音あかねさんってまだ父さんの実家にいるんだっけ?」

「あぁ。一真かずまと一緒にいるよ」

「うわぁ。もっと行きたくなくってきたぁ」


 朱音さんは俺の叔母で父さんの妹だ。そして、一真とは朱音さんの旦那さんの名前。ちなみに、一真さんは雅日家の婿むことして迎えられている。迎えられた、と言っても本人の希望で婿になったそう。


 そんな二人にも俺や姉ちゃんと同じく二人の子どもがいて、現在その四人は爺ちゃんと婆ちゃんの家で農業を一家で営みながら長閑のどかに暮らしている。


 朱音さんも一真さんも明るい性格で、祖父母もどちらかといえば陽気な方。そんな陽だまりの集合体みたいな場所に婚約者を連れていけば確実に質問攻めやらはやし立てられるのは必至ひっしだろう。


「まぁ、乗り気じゃないのは分かるけどね。でも行けば宴会は確定で開くだろうし、しゅうが好きな獲れたて新鮮な刺身が出てくるかもしれないよ?」

「ふふ。そうね。なんたって孫に『婚約者』ができたんだもの。喜んだお爺ちゃんとお婆ちゃん、しゅうと藍李さんのためにさぞ豪勢な料理を振舞ってくれるでしょうね」

「んぁぁぁぁ! やめろぉぉぉぉ。俺にその光景を想像させないでくれっ!」


 ちくしょぉ。美味しいご飯で息子を釣るのは卑怯だぞっ。


 姉ちゃんと違って食い意地が張ってるわけじゃないけど、ただ静岡の、それもご馳走とあらばそう気軽に堪能できるわけじゃない。


 それに、俺だって鬱陶うっとうしいのは御免だけど、爺ちゃんと婆ちゃんに恋人を紹介したい気持ちはある。


 恋人だけじゃない。変わった――変われた自分も見せてあげたい。


 つもり、だ。


 いくら駄々をねようと、躊躇らおうと、俺が帰省する未来は変わらないというわけだ。


 それを既に理解・・している両親は、ソファーで悶えている息子を微笑ましげに見守っていて。


「……待ってろよ。高級寿司。そして静岡の特産品たち」

「「ま。寿司が出るかは知らないけどね」」

「いや絶対出てくるね!」


 こうして着々と、俺は帰省への準備と覚悟を整えていくのだった。


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