第134話  キミが頼もしくて悔しい

「……悔しい」

「なにはれふか?」


 ある日の夕食。本日の夕食当番は俺ということで、テーブルには俺が作った料理が並べられているのだが、咀嚼そしゃく中に何やら不穏な呟きが聞こえた。


「もぐもぐ……ごく。何か、お気に召さない料理でもありました?」

「その逆。すごく美味しいのが悔しいの」

「うん?」


 ……どういう意味だ?


 言葉の意図が理解できず頭に疑問符を浮かべる俺に、藍李さんは今日の夕食の主役であるカレイの煮つけを睨みながら言った。


「前もしゅうくんが作ったご飯食べた時に思ったけど、しゅうくん自分のこと過小評価してるよね。全然下手じゃないよ」

「いや下手ですよ」

「じゃあなんでこんなに美味しいの!」

「えぇ。そんなキレられても。……藍李さんも知ってるでしょ。俺が料理できるのはあくまで『魚料理』限定で、それ以外はてんでダメだって」

「知ってる。でも全然ダメって言うほどでもないと思うよ。普通に食べられる……まぁ、ちょっとだけ、味が濃いなとは思うけど」

「でしょ」


 そろそろ二週間が経過しようとしている同棲生活だが、最初の頃は藍李さんにばかり負担を掛けさせるわけにはいかないという理由で昼食作りに挑戦してみた。ちなみに作った料理は親子丼だったのが、味付けは塩辛くて溶き卵も硬めという、なんとも微妙な親子丼を藍李さんに食べさせてしまった。


 そしてその結果、俺はむやみやたらに料理当番になるべきではないと悟り、昼食は基本的に藍李さんに任せるべきだという結論に両者合意の下至った。


 一日でも早く普通の料理も作れるようになりたいが、やはり料理というものは一朝一夕では上達しない。百も承知の事実だが、想像以上に難関だった。


「いつかは普通の料理もちゃんとできるようにならないとなぁ」

「……そしたら私がしゅうくんの胃袋を掴める機会が減っちゃうじゃない。何なら私がしゅうくんに胃袋掴まれてる感あるわよ! ……ぱくっ!」


 悔しそうにカレイの煮つけを口に運んで、おいし、と頬を緩めるカノジョに俺は思わず苦笑。


「くぅぅっ。本当に何なのこの煮つけ。身の柔らかさはもちろん、味の染みかたも絶妙で箸が止まらない! 親子丼の味付けより煮つけこっちの方が遥かに難しいはずなのになんで⁉ それにお味噌汁もどんどん上達してる⁉」

「今日は鰹節と昆布から出汁だしを取ってみたんですけど、やっぱり粉末と違って香りとコクが違いますね。お味噌汁は結構自信ありました」

「もはや料亭の味だよ⁉」

「えへへ。そんなに褒めても何もでませんよ」


 カノジョに自信作を称賛されて露骨に浮かれる俺。いつもならお互いに頬を緩めている頃なのだが、


「マズイ。まず非常にマズイわ」


 今日のカノジョは、何かに危機感を覚えているようで。


「しゅうくんがこれ以上料理上手になったら……私の料理が霞む⁉」

「何言ってるんですか。そんなはずないでしょ。藍李さんの料理に敵う相手なんていませんよ」

「目の前にいるのよ! 猛烈な勢いで私の背中に迫って来てる自覚を持って!」

「気のせいですよ~」


 ずずず、と呑気にお味噌汁をすすりながら藍李さんの杞憂を一蹴する。


 俺が藍李さん以上に料理ができる日が来るのなんて夢のまた夢の話だ。


 それにだ。


「たしかに俺は魚料理はできるけど、でもそれ以外は藍李さんには遠く及ばない。それは他でもなく、俺の胃袋がそれを証明してます」

「……しゅうくん」


 少しずつではるけど魚料理以外の腕も上達している自覚はある。けれど、それと藍李さんの料理が絶品だということはまた別の話だ。


 俺には俺にしか出せない味があるように。藍李さんには藍李さんにしか出せない味がある。


「俺は藍李さんのご飯食べられる瞬間がすげぇ幸せだし、至福です。藍李さんの振舞ってくれる料理はどれも、他の誰にも引き出せない、心の底からほっとするような優しい味がします。繊細で心を温めてくれる藍李さんのご飯、俺大好きです」


 味加減も彩りも、栄養バランスも全て考えられていながらそれでいて絶品とか、誰にでもできる芸当じゃない。


 俺は藍李さんには遠く及ばない。それは技術面においても、工夫の凝らし方においても。だからこそ、この人の作るご飯をずっと食べ続けたいわけで。


 藍李さんが作ってるご飯に、雅日柊真の胃袋は鷲掴まれてしまったわけで。


「身も心も胃袋も、全部藍李さん一色に染められてしまったんですから、その責任、ちゃんと取ってくださいね」

「……ちゃ、ちゃんとしゅうくんを私色に染められてる? 嘘じゃない?」

「嘘なんかじゃありませんよ。正真正銘。俺はもう緋奈藍李という唯一無二の色に染め上げられてしまってます」

「ふへ。……ふへへ。そっか。そっかぁ」

「そうです。俺の元気の源は藍李さんが作ってくれる美味しいご飯と、藍李さんの笑顔ですよ」

「えへへぇ。〝私〟がしゅうくんの元気の源なんだ」


 俺の身体は藍李さんからの愛情でできている。そんな錯覚に陥ってしまうほど、既にこの同棲期間で身体に刻み込まれた。彼女がくれる無償の愛情。それが、今の雅日柊真の活動エネルギーだ。


 我ながらによくできたカレイの煮つけを口に運びながら、いつもの声音、いつもの表情、日常会話の延長線上のようにそんなことを言えば、藍李さんは愛慕を宿した双眸を細めて、


「――それじゃあ、しゅうくんを私色に染め上げちゃった責任。私の人生全部使って取ってあげるね」

「末永くよろしくお願いします」


 ありふれた日常も、大切な人いるとそれだけで『幸せ』な日々に変わる。




【あとがき】

今日はあとがきなし! 




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