第132話  二人だけのペアリング:前編

 夏休み前に購入した例の品がようやく完成したとのことで、日差しが弱まり始める夕方ごろに俺と藍李さんはそれを受け取りに向かった。


 お店に着くと椎名さんが俺たちに気付いてくれて、短い挨拶を交わしたのちに席に案内された。


 そこで諸々の手続きを済ませ、それが包まれた紙袋を落とさないようしっかり手に持って帰宅。


 途中、藍李さんにどこか寄って行こうかと提案したが、今日はすぐに家に帰ろうと首を横に振られた。


 藍李さんからほんのわずかに焦燥を感じて、俺はそわそわと落ち着かない様子の恋人に思わず失笑してしまった。こういう所乙女なんだよなぁ、と胸中で感慨に浸りつつ、俺はそんな可愛い彼女と手を繋いで夕景に染まる街をゆっくりと歩きながら帰路に就く。


 合わせる歩幅と弾む会話に心地よさに浸りながら、俺たちは『家』に着ついた。


「ただいまー」

「…………」

「? どうかしました?」

「ううん。なんでもない」


 驚いたように目を見開く藍李さんに俺は怪訝に感じて訊ねるも、彼女は何かをはぐらかすように笑いながら首を横に振った。


 少し様子が変な彼女を不思議に思いながらも、俺は追求することはなく靴を抜いだ。


〝この場所をもう自分の『家』だと認識〟していることに気付かぬまま、俺は少し先を行く恋人の背中を追って洗面所へ。そこで手を荒いうがいを済ませてリビングに戻ると、まずは大事なものが入っている紙袋をテーブルに置いて冷蔵庫へと足を進める。


「日が傾いてもやっぱり熱いですねー」

「そうだね。すぐ帰ってくるし飲み物は持たなくても平気だと思ってたけど、ちょっと浅薄せんぱくだったかな」

「水筒くらい持参しておけばよかったぁ」

「喉がカラカラな分、冷えた飲み物が余計に美味しく感じるねぇ」


 今年も猛暑の夏。八月に入ってさらに上昇を続ける気温は、軽く外に出ただけでも額に汗がにじむ。


 完全に猛暑をあなどったとお互いに反省しつつ、乾き切った喉に冷えたウーロン茶を流し込む。


「「ぷはぁ。おいしいぃ」」


 お互いにぐびぐびと喉音を鳴らして豪快にウーロン茶を飲み干す。少しずつ、同じ時間を共有していく中で仕草が似ていく、その事にはまだ気づかないまま、


「どうする? 汗かいたし、夕飯の前に先にお風呂に入っちゃう?」

「それも全然アリですけどね――でも」

「――だよね」


 藍李さんの問いかけに明確な返事は出さず、代りに視線をテーブルに置いた『それ』に向けた。俺が言いたいこと、それを瞬時に察した藍李さんは、短くも力強い相槌を打った。


 それからは、お互い緊張からか、口数が少なかった。


 互いに手に持っているコップをカウンターに置いて、静謐せいひつ空間リビングにスリッパの音を反響させながらテーブルに向かう。


 中には俺と藍李さんが時間を掛けて真剣に選んだ『アレ』が入っている紙袋を再び手に持つと、心臓の鼓動が一段早くなったような感覚を覚えた。


 緊張に震える足取りでカーペットに向かい、そして座る。


 夕日の差し込むリビング。俺と藍李さんがいつも甘い時間を送っているこの場所で、俺たちは大切な儀式を始める。


「そ、それじゃあ、取り出しますね」

「あはは。しゅうくん緊張しすぎだよ」

「だ、だってこういうの初めてだから!」

「私もだよ。でも、しゅうくんほどじゃないけどね」

「うぅ。恥ずかしい」

「羞恥心に悶えてるしゅうくんの可愛さは格別だねぇ」


 頬の強張っている俺を見て、藍李さんは耐え切れなかったのかお腹を抱えて笑った。心底可笑しそうにお腹を抱えて笑うカノジョに俺は恥を上塗りした気分に陥って、羞恥心に目を潤ませて顔も真っ赤に染める。あの晴天を茜色に染め上げる、夕日のように。

 

 それから、ひとしきり笑い終えた藍李さんが目尻に溜まった涙を指で払う様を見届けたあと、俺はほんのわずかに弛緩した空気の中で一度息を整えた。


瞼を閉じて、ゆっくりと開ける。静謐と心地よさ、緊張が絶妙に溶け合った空間が与える不思議な感覚に背中を押されながら、俺はついにそれを取り出した。


 決して落とさぬよう慎重に。それを掴んでいる手先の震えが、これがどれほど大切なものなのかを如実に物語っている。


 やがて紙袋から露になったのは――あい色の箱だった。もちろん、ただの箱じゃない。この箱の中には、俺と藍李さんを恋人と定義することができるアレが入っている。


「――ふぅ。じゃあ、開けますよ」

「うん。ついにご対面だね」

「ふふ。楽しみですね」


 緊張よりもわくわく感の勝る恋人に先を促され、俺はそんな可愛い恋人に口許を綻ばせながら箱を開けた。


 ゆっくりと、慎重に。それは暗闇に一筋の光が入り込むように世界の輪郭を捉え、少しずつ鮮明に景色を輝きの中に吸収していく。


 閃光。誕生したばかりのそれは、眩いほどに燦然さんぜんと輝きを放ちながら、俺と藍李さんの元へやってきた。


 それは、世界に二つしかない、俺たちだけの、ペアリング。


「――綺麗」

「……うん。そうだね」


 ようやく俺たちの元に届いたペアリングと初対面して、藍李さんはその輝きに魅入られたように陶然とした声音で呟いた。


 お互い、しばらくペアリングの放つ輝きに夢中で浸る。


「ね。しゅうくん。早速私の指に填めてほしいな」

「ん。分かりました」


 夢のような時間は終わらない。


 藍李さんの懇願に強い眦で応えて、俺は箱から一つ、ピンクゴールドの指輪を慎重に取り外す。


 まだもう一つ指輪が残っている箱は一度カーペットに置いて、震える片手で持つ指輪を落とさぬように指先に全神経を注ぐ。


 藍李さんがその瞬間ひとときを求めるように指を伸ばして、その流麗で華奢な指は俺の眼前でぴたりと静止した。


 いよいよ、その時。けどその前に、俺は一度深く深呼吸する。騒がしい心臓の音を少しでも抑えるために、それと、この一瞬を失敗しないために。


 もし、例え失敗しても、藍李さんはきっと笑いながら許してくれるとは思うけど。


 それでもやっぱり、これが、俺たちが二人で歩んでいく『人生』の始まりになるから。


「――好きだよ。藍李さん」

「――――」


 ゆっくりと慎重に。震える手先を進めながら、俺は世界で一番愛してる女性に胸に抱き続ける想いを告白していく。


 何度も、何度も、彼女に寄せる想いを、言の葉に乗せて紡ぐ。


「世界で誰よりも藍李さんのことを愛してる」

「――――」


 俺の憧れの人。


 俺の、恋人になってくれた人。


 俺との将来を誓ってくれた人。


 そんなアナタへ、俺は、覚悟と責任を以てこの指輪を填めよう。



「いつか必ず、藍李さんと結婚する。だからそれまで、この指輪を付けててほしい」「……ふふ」


 燦然と輝く指輪が、俺が世界で一番愛している女性の薬指へと填められた。


 歯に浮く台詞を自分の口で言葉にして顔を真っ赤にする恋人を見て、彼女はくすっと微笑みを浮かべた。それから、藍李さんは自分の薬指に填められたペアリングを心の底から愛しそうに抱きしめながら、


「――うん。いつか必ず、私をしゅうくんのお嫁さんにしてね」

「約束します。俺が、世界で誰よりも藍李さんを幸せにしてみせる」


 見つめ合う黒瞳と紺碧の瞳が熱を帯びて揺れる。交わし合う微笑みは、この瞬間の幸福を共有している何よりの証明で。

 

『――この人だ、この人しかいない。俺の、隣にずっといてほしい人は」


 だから、この人を幸せにすることを俺は何度でも誓おう。その度に俺の心は奮い立って、この胸に刻み込んだ覚悟に炎を灯してくれるのだから。


 最愛の人へ。俺の全てを賭して、必ず幸せにしてみせる。


「大好きだよ。しゅうくん」

「うん。俺も、藍李さんのことが大好きです」


 ほんのりと目を赤くした彼女へ、俺は今日も愛を惜しみなく伝えていく。




【あとがき】

昨日は5名の読者様に☆レビューを付けて頂けました。そしてなんだかんだでひとあま☆1100突破することができました! 最終1500くらいはいきたいな。


次話は結局二人はどのペアリングに決めたのか回です。今話はしゅうくんが藍李さんの左手の薬指にペアリングを填めただけよ。


Ps:ひとあまのストック、遂にほぼ尽きる。そんな時は奥の手、休載だ――!

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