第127話  我慢も遠慮も望まない

 昨日愛が重たいカノジョに精気をこってり絞られて、翌日。


「「――いただきます」」


 若干の気怠さを残しながらもどうにか八時に起床できた俺は、軽く身支度を整えてから朝食を取っていた。


「んむんむ。……今更ですけど、同棲するにあたって食生活って結構大事ですよね」


 黄金こがね色に焼けたトーストをかじり、しっかり咀嚼し終えてからそんなことを呟けば、藍李さん数度目を瞬かせてから「そうだね」と頷いた。


「私もしゅうくんも朝はパン派だね」

「特別拘りがあるわけじゃないけど、俺んはずっと朝はパンだったので。だから俺も自然と、朝はパンを食べるにようになったんですよね」

「私は結構バラつきあるなー。ヨーグルトの時だけだったり、スムージーの時だけだったり、抜いちゃう日もあったから、こうしてちゃんと朝食を取るようになったのはしゅうくんのおかげかも。そこは感謝しないとだね」

「えへへ。それなら明日は俺が朝食作りますね」


 恋人に感謝されて分かりやすく上機嫌になる俺。そんな俺に、藍李さんは何故か不服気に頬を膨らませていて。


「むぅ。それだと私がしゅうくんをお世話する計画が破綻はたんしちゃう」

「恋人に飼われてばかりではカレシとしての面子が立たないので、そこら辺は譲歩してくれると助かります」

「はーい。ならその代わり、たくさん頭撫でてあげないとね」

「ご褒美としては破格ですね」


 同棲において大事なのは役割分担。カノジョ一人に負担を押し付けては二人で生活する意味がないので、絶妙な言葉遣いで藍李さんの気を紛らわせる。そうでないと、この俺を堕落させたいカノジョは本当に一人で家事を全てこなしてしまいそうなので。


 父さんの忠告をしっかりと胸に刻みながら、俺は本格的に藍李さんとの同棲を始めていくのだった――。



 ***



 午前はリビングとお風呂掃除を済ませて、余った時間は夏休みの課題を進める。


 獣医になるという目標を定めて以降、勉強に邁進まいしんしていたおかげか自分の想定以上に課題をこなせていた。


「しゅうくんは真雪と違ってすらすら問題解いていくねぇ」

「えへへ。去年まではこんな事はなかったんですけどね。でも、高校に入って勉強に力入れたおかげか、このくらいの問題なら難なく解けるようになりました」

「そういえば前に二年生の問題も解いてたもんね?」

「あれはたまたまで。流石に全問解くとなると最初からつまづくと思います」


 俺が解ける範囲はせいぜい一年生で習う箇所まで。この夏休みはできれば授業で習う三ヵ月先は予習しておきたい。


「むぅ。しゅうくんが想像以上にしっかり者で、ちょっと不服です」

「えぇ。そこはカノジョとしては喜ぶべきでは?」


 いきなり頬を膨らませたかと思えば文句を言われて、俺は困惑に頬を引きつらせた。


「もちろんしっかりしてるのはいいことだし、カノジョとしては有難いしそういう所に惚れ直すけど……でも私は面倒な女なのでしゅうくんにはしっかりしないで欲しい!」

「面倒な女ってことはないでしょう。愛が重たいとは思うけど」

「率直に申すとお世話し甲斐がないの!」


 めんどくせぇ。


 年下カレシをお世話したくてたまらないと訴えてくる年上カノジョに、流石の俺も呆れてしまう。しかし、それで放置してはこの問答は平行線を溜まったまま。ぷくぅ、と頬を膨らませながら睨んでくるカノジョのご機嫌を早急に立て直す必要がある。


 俺ははぁ、と大きなため息を落とすと、持っていたシャーペンをノートに置くと、


「はい」

「――ぇ?」


 両手を広げた俺に、藍李さんは無理解を示すように目を瞬かせる。


「俺を甘やかしたいんでしょう? なら、何がしたいのか言ってください」

「――――」

「俺は愛が重たいヤンデレカノジョのカレシですから。それにちゃんと応えてる器用は持ち合わせてるんですよ」

「ふふ。……ふへへぇ。やっぱりしゅうくんは優しいね」

「伊達に藍李さんのカレシ務めてないですから」


 驚く彼女に身を委ねる宣言を吐けば、それまで不機嫌だった面倒な恋人は嬉しそうに双眸を細めて、


「じゃあ私の前に来て」

「はい」


 よ、と腰を上げて、それから数歩ほど歩いて恋人の命令通り目の前に腰を下ろした。すると、間もなくぎゅっと抱きしめられて、優しい手つきで頭を撫でられる。


「これこれ。私はこういうのがしたかったの」

「満足ですか?」

「大満足です」


 俺の頭を撫でる藍李さんはふへへ、と幸せそうに頬をゆるめる。


「もぉ。最初から甘えたいならそう言えばいいのに。俺、藍李さんが望んでくれるなら好きなだけ甘やかしますよ?」

「私が甘えたいんじゃない。私がしゅうくんを甘やかしたいの」

「それが、これ?」

「うん。頭を撫でるのも好きだし、抱きしめるのも好き。自分から甘えてきてくれるともっと嬉しい。しゅうくんは? 私にこうやって子ども扱いみたいなことされて、やっぱり嫌だ?」


 そんなの決まってる。


「これまで藍李さんが俺のためにしてくれたことで、不快だなんて思ったものは一つもありませんよ」

「――――」

「全部、好きです。藍李さんに頭を撫でられるのも、抱きしめられるのも、……こうやって、甘やかされるのも」

「ふへ。……そっか」

「うん。全部、藍李さんがしてくれる全部が、好き」


 藍李さんがくれる愛情は俺を駄目にする。そうならないためにしっかり自制していたというのに、これでは元の子もない。


 一度でも彼女がくれる愛情を受けてしまえば、身体はもうそれを否定できなくて。


「ああくそ。ダメだ。抑えようと思ったのに……くそ。身体が言うこと効かねぇ」


 藍李さんに甘えたい。もっと。もっと。


 ――この人が俺だけにくれる底無しの愛情に、際限なく堕ちたい。


「ふふ。なんだ、さっきのは見栄張ってたんだ?」

「……ノーコメントで」


 恥ずかしくなって答えをはぐらかせば、頭の上からころころと笑い声が聞こえた。


「可愛いしゅうくん。遠慮なんかしないで、もっと私に甘えていいのに」

「それで甘え続けたら、俺この夏は何も手付けられなくなっちゃいます。藍李さんだけを求めて、藍李さん以外は本当にどうでもよくなる。もう既に死ぬほど愛してるのに、これ以上愛されたらそれはもうペットじゃなくて奴隷どれいです」

「私の奴隷か……それはそれで悪くない気もするけど、でも安心して。私もそこまでしゅうくんを堕とそうと思ってないから。あくまで私の虜にしたいだけ」

「それならもうなってる」

「ふふ。知ってる。でも、まだ私に対して少し遠慮してる所はあるよね?」

「――――?」


 藍李さんの問いかけに答えることはないが身体がピクリと反応してしまった。そして、それが言葉のない肯定になって。


「それを、私はこの夏休みで取り払う。身も心も曝け出して欲しい」

「――――」

「ううん。それは懇願だね」


 訂正するね、と藍李さんが微笑む気配がして、


「しゅうくんの欲望も性癖も全部――この同棲で私が曝け出してあげる」


 優しく、甘く、けれど凛々しい声音が、力強い意思を以てそう宣戦布告してきたのだった。


 こうして本格的始まった同棲生活が、少しずつ、俺が奥底に秘めていた感情を引っ張り出していく。



【あとがき】

ここで柚葉とのIFルートを見返したり覚えてたりすると本話での藍李さんの発言と次話以降の内容の意味がより理解できるようになります。


藍李さんもちゃんと、嫉妬を持つ一人の人間です。

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