第115話  親として、伝えなきゃならないこと

「藍李さんと同棲っ♪ 藍李さんと同棲っ♪」


 無事、両親から同棲の許可を得られた俺は、分かりやすく上機嫌だった。


 藍李さんを最寄り駅まで送り届けてから自宅に戻ったあと、自習するにも心が浮ついて集中できない俺は、いっそ思いっ切り羽を伸ばそうと思考を切り替えてベッドに寝転がりながらゲームしている最中だった。


 夕飯までは悠々自適にだらけていると、不意に扉をノックする音が聞こえた。


「しゅう。入るよ」

「父さん?」


 扉越しに聞こえてきた声に眉根を寄せながら「はーい」と適当に返事をすれば、間もなく父さんが部屋に入って来た。


 それと同時にベッドから身体を起こすと、父さんは俺を見て苦笑を浮かべた。


「分かりやすく浮かれてるねぇ」

「茶々でも入れにきたの?」


 肩を竦める父に顔をしかめると、穏やかな声音は「そんなつもりじゃないよ」と否定する。


 それから父さんは柔和な笑みを浮かべたままカーペットに腰を下ろした。


 不思議と自分も父にならった方がいい気がして、訝るように眉尻を下げる俺は父さんと対面する形で腰を下ろし、胡坐を組んだ。


「それで何の用?」

「男同士、腹を割った話をしたくてね」

「――――」


 基本的にリビングにいる父さんがわざわざ部屋に来た時点でそれなりに大事な話があることは薄々予感できていたが、どうやらその予感は的中したらしい。


 いつもは穏やかで凪のような声音に今は真剣みが帯びていて、自然と居住まいが正されていく。


「つまり真面目な話があるってことね」

「そういうこと」


 肯定のあとにわずかな沈黙が降りて。


 父さんは、頬を硬くする俺を真っ直ぐに見つめながら言った。


「改めて、しゅうに確認しておきたくてね」

「……なにを?」


 眉根を寄せた俺に、父さんはその先に続く言葉、この部屋に来た理由を告げた。


「婚約者の件ことだよ」

「――――」

「それと同棲の件も含めて、かな」


 声音はいつもと変わらず朗らかなのに、けれど、どことなく只ならぬ圧を感じる。


 慣れない重圧に思わず押し黙った俺に、父さんはなおも凪のように穏やかな表情のまま続けた。


「あの話、父さんはまだどこまで本気で受け取っていいのか迷っていてね」

「……本気も何も、あの時父さんと母さんにも、あと姉ちゃんの前で宣言しただろ。俺たちはずっと一緒にいたくて、世界で誰よりも彼女のことが好きだって。離れるつもりも、離される予定もないよ」

「そういうのを父親に向かって何の恥じらいもなく好意を伝えられるようになったの、ほんと変わったねぇ」

「真面目な話する気あんの?」

「ごめんごめん。しゅうは本気なんだもんね」

「藍李さんもちゃんと本気だからな」

「分かってるよ」


 なんだか小馬鹿にされている感が否めず刺々しい視線で父さんを睨みつるも、それは飄々ひょうひょうと受け流されてしまった。


「べつに、茶化したつもりはないんだけどね。本題に移る前の意思確認のつもりで聞いたけど、こっちが照れるほどの熱量の答えが返って来たから少しびっくりしただけ」

「……悪かったな。親の前で惚気て」


 やっぱり小馬鹿にされている気分が拭えず不貞腐れたように頬を膨らませると、そんな俺の頭を大きな頭が乱暴に撫でた。


「しゅうが藍李さんのことをちゃんと好きだって気持ちは十分伝わった。だから、ここからは責任の話をしよう」

「――――」


 責任、という単語に、身体が反射的に強張こわばった。


 それまでは張り詰めていた空気にもわずかな弛緩を感じていたが、父親の声音が一トーン落ちたのを合図に一気に緊迫した空気に変わったのを直感的に察知した。


 真剣みを帯びた父親の表情に釣られるように、俺も真剣な表情に変わっていく。


「先に言っておくけど、父さんは別に二人の夢を壊したいわけじゃないんだ。ただ、しゅうの覚悟が本物なら、それに応えるのがせめて息子より少しだけ長く生きた年長者の役目だと思ってね」

「結婚が夢ばかりじゃないって言いたいの?」

「分かってるなら話が早い――その通りだよ」


 父さんの言葉からなんとく俺に言いたいことを理解して、それを確かめるように言葉にすれば父さんが厳かに顎を引いた。


「お父さんは二人の覚悟が紛い物じゃなくて本物だと見込んだから、あの時は二人を『婚約者』だと認めたけど、だからといってじゃあ安泰だとは思ってない。大人の立場から言わせてもらえば、しゅうと彼女の約束は所詮、未成年同士の無責任な約束だと思ってる」

「そんな――」

「まだ父さんの話は終わってないよ。聞きなさい」

「――っ」


 父さんの言葉に足が浮いた。父親の意見に、身体が咄嗟に反発したんだ。


 それだけは足らずに食い下がろうとする。が、父さんの剣呑な声音にその勢いが削がれる。


 反抗する意志を封じられ、悔し気に唇を噛みしめる俺が姿勢を戻したのを見届けた父さんは、乱れた空気を整える為に数秒時間を置いてから話を再開させた。


「……何度も言うけどね、しゅう。父さんは二人の覚悟を踏みにじるつもりも、ましてや否定するつもりもないんだ。さっき未成年同士の無責任な約束と言ったのは、しゅうに今一度、改めて自覚して欲しかったからだよ」

「――何を?」


 問いかけに対し父さんは一拍間を空け、俺を真っ直ぐに見つめて告げた。


「一人の男として、一人の女性に一生寄り添っていく覚悟をさ」

「――っ」


 そう問われて、俺はすぐに言い返せずに拳を硬く握りしめた。そして、それと同時、情けないがようやく理解する。


 父さんが俺に確かめたいことと、『責任』という言葉の意味を。


 自分の中にたしかにあった、決して揺らぐことはない意思。けれどそれは、父親の真剣な問いかけにあっけなく揺らいでしまった。


 後悔、あるいは忸怩に唇を噛む俺に、父さんはどこか安堵した吐息を吐いて続けた。


「父さんが夏休みにおける二人の同棲を認めた理由は二つあってね。一つは二人の将来を見据えて、好きな人と共に暮らす楽しさや難しさを先に経験しておいた方がいいと思ったから」


 父さんは指を一つ立てて理由を告げ、さらにもう一本指を立てて二つ目の理由を告げた。


「そしてもう一つは、その経験を踏まえた上で、これからも二人で変わらず、互いを想い合っていけるかどうかを判断して欲しいかったから」

「――――」

「しゅうが藍李さんのことを一途に想っていることなんて、もう誰の目から見ても分かることだ。父さんはそれを嬉しく思うし、そこに関しては信用している。しゅうは父さんと母さんの息子だから、浮気なんてせず惚れた相手に尽くせる子だと思う」


 でもね、と父さんは朗らかな声音で、俺に言い聞かせるように続けた。


「柊真。この世の中に不変なんてものはないんだよ」

「――――」

「柊真が藍李さんに向けている愛情も、時が経てばしぼんで枯れてしまうかもしれない。それは柊真だけでなく、藍李さんにも言えることだ」


 凪のように穏やかでありながら、しかし父の声音はずっと俺の心に切実に訴えてくる――変わらない愛情。それを維持するのが、どれほど困難なものなのかを。


「父さんと母さんは運がよくてまだ互いを尊重していられているけど、それも不変じゃない。歳を取れば考えも変わって、互いの在り方も変わってくる。だからこそ相手を尊重しなくちゃならない。恋って長続きすればするほど大変になっていくんだよ」


 柊真はまだそれが分からなくて当然だね、と父さんは柔和な笑みを浮かべながら息子である俺の立場をおもんぱかってくれた。


 そういう所に母さんが惚れたと分かるし、こういう人がいつまで経っても愛される人なんだろうと、それが否応なく分かってしまって。


 自分ではもう揺らぐことはないだろうと思っていた『愛情の形』が、父さんとの話で如何に未熟で不完全で、青二才が謳う理想論でしかないのだと思い知らされる。


『それでも』、いつも臆病な俺を支えてくれた言葉が、今は出てこなくて。何も言い返せなかった。


「まだ高校生にこんな責任問題の話をするのもどうかとは思ったんだけどね、でもまさか高校生、それも一年生から『結婚』する気とは父さんも予想外だったから」

「……ごめん」

「謝らない。柊真は本気でこの先も藍李さんと一緒にいることを望んだから、あの時父さんと母さんに自分の意思をぶつけたんだろ」

「――うん」


 たしかにあの時は、藍李さんの傍にずっと居たくて、その覚悟もちゃんとあって父さんたちと相対した。


 けれど、今その覚悟が揺らいでいる。


 理由は判る。――藍李さんの傍にいる。その先に続く未来に、漠然とした恐怖を覚えたんだ。


 父さんに覚悟を問われて、これからも本気で藍李さんのことを想っていけるか、逡巡が生じてしまった。こんなにも簡単に揺らいでしまうとは、想像もしていなかった。

 

 俺に生じた意識の変化。それを、父さんは感じ取ったように吐息をこぼして、

 


「――自分の考えが浅薄だったって、少しは痛感してくれたかな」

「……うん」

「ならよろしい。それが、愛する人と寄り添って生きていくことの大変だよ。言葉だけじゃなく行動で。それと覚悟を以て証明していく必要がある。生半可な覚悟じゃ相手を幸せにできない。惚れた女は幸せにしたいでしょ?」

「あぁ。絶対にしたい」

「その為には時間が必要なんだよ。想いだけじゃあ、絶対にそれは補えない」

 

 とん、と自分の胸に拳が突き立てられる。その拳を追うように俯いていた視線を上げれば、父さんが淡い微笑みを浮かべているのを黒瞳で捉えて。


「柊真には将来がある。藍李さんにもだ。それは子どもも大人も変わらない。けれど子どもだからこそ、猶更将来に目を向けて考えて欲しい。最善じゃなくていい、二人が想う、互いが幸せで居続けられる選択を父さんはして欲しい」

「――――」

「考える時間はたっぷりある。それを設ける機会も与えた」

「――――」

「その答えを出すことが、この夏休みにお父さんから柊真息子に出す課題だよ」


 期待されてる。信じられている。それが、胸に突き立てられた拳と、父さんのいつも通りの穏やかな表情から伝わって。


 だから、


「分かった。ちゃんと、父さんに胸を張って言えるような答えを出すよ」

「ふっ。期待してるよ」


 この夏。どんな課題よりも難しい課題に俺は挑むこととなった。



【あとがき】

息子の背中を押しながらもしっかりと一人の人生を背負う責任を持たせる。親としてちゃんと子に向き合い、そして一人前になれるように導いてあげるとかこのパパ最高かよ。さすが大学の先輩で読者モデルだったしゅうママ口説き落としただけはあるわ。結婚記念日にバラの花束送る男は伊達じゃねえなぁ。


ps:そして次話もパパが活躍してくれます。

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