第101話  全部あげるから。全部ちょうだい


「ねぇ、そろそろしゅうくんも服脱ごうよ」

「っとそうですね。このままだと不公平な気がしますし。でも、藍李さんの綺麗な肌と違って、俺の裸は特に見栄えなんてものはないですけど……」

「いいからさっさと脱ぎなさい」

「……うぃっす」


 ベッドの上でイチャイチャすること早10分以上が経過した頃、荒い吐息を繰り返す彼女がそう催促してきた。


 ちょっと揶揄い過ぎたか、潤んだ眼で睨んでくる藍李さんに、俺は頬を引きつらせて促さられるままにシャツを脱いだ。


 そして上裸になった俺を見て、藍李さんは「ほぉ」と、艶やかな吐息をこぼした。


「なんだ。全然いい身体つきしてるよ」

「まぁ、中学は陸上やってたんで、それなりに筋肉は付いてると思います」

「触っていい?」

「興味あるんですか?」

「うん。しゅうくんの身体触りたい」


 なんとも可愛らしくおねだりされて、思わず呻いてしまいながら首肯した。


「藍李さんの身体めちゃくちゃ堪能させてもらいましたし、藍李さんが好きなだけ触っていいですよ」

「それじゃあ遠慮なく触るね」

「うぅ、ちょっと緊張するなぁ」

「少しは私の気持ちが分かってくれたかな?」


 ころころと鳴る笑い声を聞いて、俺は返す言葉もなく苦笑いを浮かべた。


 果たしてこの美ボディでもなければシックスパックだって割れてない、どこにでもいる高校生男子の身体に需要があるのかは分からないが、それでもカノジョが触りたいと求めるなら頷くのがカレシの務めだ。


 心地よい緊張感の中、ゆっくりと伸びる細くしなやかな指先が窺うように肌に触れた。瞬間。俺は思わず変な声が洩れてしまって、一方の触れてきた女性は熱い吐息をこぼした。


「こうして触れてみると、やっぱりしゅうくんも逞しい男の人なんだって思わされるな」

「……こんな風に藍李さんに触られるなら、もっと真面目に部活やっておくべきだったなぁ」

「中学はおさぼりさんだったの?」

「藍李さんに出会うまでは、俺は何もかもに無気力なガキでしたよ」


 藍李さんに出会う前の俺は、自分に自信がなくていつも悲観的で、心の底から何かを望んだことが一度もない臆病者だった。


 アナタに出会ってから、俺の全ては変わったんだ。


 髪型も変えて、オシャレを意識して、勉強だって真面目に取り組み始めた。それまで自分にすら興味がなかった自分が、こうして己を磨くようになった。


 臆病者という殻を突き破って、前に進む強さを手に入れて、心の底から望むものを――世界にたった一人しかいない緋奈藍李アナタの傍にいることを言えるようになった。


「全部。藍李さんが変えてくれたんです。俺を、アナタの隣に並ぶのに相応しい男にしてくれた」

「大袈裟なしゅうくん。私はどんなキミでも大好きなのに」

「藍李さんに甘えるの大好きだけど、それじゃあ男として格好がつかないから。一緒に幸せになるためには、片方に甘えてばかりじゃ天秤は吊り合わないでしょ」


 藍李さんが俺を甘やかすように、俺だって藍李さんを甘やかしたい。つか、もっと甘えてきて欲しい。もっと頼って欲しい。


 今はまだ、アナタは俺の事をお世話し甲斐のある年下のカレシだと思っているだろうけど、いつかきっと、頼り甲斐のある年下の恋人カレシになってみせる。


「本当にしゅうくんは真面目だね。それに純粋で真っ直ぐ」

「子どもっぽくて引いた?」

 

 わざとらしく問いかければ、藍李さんはおかしそうにくすくすと笑った。


「何言ってるの。私はしゅうくんのそういう一途な所が大好きなんだよ」

「えへへ。藍李さんから大好きいただきました」

「やっぱりわざと言ったんだ」

「ごめんなさい。でも、真面目でも勤勉でも、それで藍李さんを喜ばせられるならなんでもいいと思ってます。アナタを愛してるから、俺はもっと藍李さんに頼られたい」

「私はしゅうくんを堕落させたいんだけど?」

「好きなだけ俺を堕落させにきてください。俺も、同じくらいアナタを虜にしてみせるから」


 応酬する会話に互いを想い合う感情が乗って止まない。


 年下婚約者の、頼り甲斐のある男性だと思われたい意地。それを可愛いと思ったのか、あるいは嬉しかったのか、藍李さんは淡い微笑みを象る。


「そんなの今更だよ。私はもうしゅうくんの虜になってる。キミ以外、何も要らないくらいには、キミを求めてる。キミにメロメロだよ」

「あはは。じゃあ俺と同じだ。俺も、藍李さん以外は何も要らない」

「嬉しいな。そうやってしゅうくんが私を求めてくれるたびに、この胸が満たされていくのを感じる」

「じゃあもっと感じさせてあげる」

「たくさん私を愛してくれる?」

「うん。もっと満たしてあげたい。俺といること、幸せだと思って欲しい」


 この人を幸せにしたい。そのためなら、どんな努力だってしてみせよう。


 彼女を愛している。それを伝えるられるなら、俺は彼女のどんな要求だって応じてみせる。


 きっとそれこそ、今の俺の存在理由だから。


「――藍李さん」

「――しゅうくん」


 互いに最愛の人の名前を呼び合って、そして見つめ合う。肌と肌が触れ合って、隙間なく密着する。


 相手の温もりに心臓が弾むまま、俺たちは惹かれ合うように――、


「「――んぅんっ」」


 自分が何をしたいか。相手が何をして欲しいか。それが言葉なくとも分かって、無言で唇を重ねた。吐息と吐息を一つにするキス。それを頭が茹だるまで続ける。


「ぷはぁ……藍李さん。もう、いいよね?」

「うん。しゅうくんがほぐしてくれたおかげで、準備万端だよ」


 静かに、その瞬間を求める問いかけをした。それに、最愛の人は紺碧の瞳に期待を湛えて微笑みながら頷く。


 その反応を見届けて、名残惜しいが密着する肌を離して身体を起こした。


「ゴム付けるから、少しま――」

「――――」

「藍李さん?」


 ベッドに用意していた0・01ミリのゴムが入った箱。それに手を伸ばそうとした瞬間だった。藍李さんが、その手を掴んで止めたのは。


 どうしたのか、と困惑する俺に、藍李さんは紺碧の双眸を揺らして訴えてきた。


「今日は――しゅうくんとの初めては、それ無しがいい」

「――ぇ」


 一瞬。藍李さんの言葉に呆気取られる。


「無しって、それってつまり……」

「うん。そのまま、しちゃおうよ」


 彼女の懇願を脳が理解・処理するのに数秒掛かって、ハッと我に返った俺はそれは流石にどうなのかと難色を示した。


「それは、まぁ魅力的な提案ではありますけど……でも、もしもの時はどうするんですか?」

「万が一の時は万が一の時で覚悟決めてるよ。その可能性を下げる為にクスリも飲んでる」

「超やる気満々じゃないですか」

「うん。この日の為に念入りに準備してきた」

「それなら……いや、でも……う~ん」


 それでもやはり、生でするということは俺の懸念が現実になる可能性は捨てきれず煮え切らない声を上げる。


 藍李さんがこの日の為に色々と準備してくれたのは分かった。それは嬉しい。けれど、やはりその準備に安全性を足すことの方がずっと憂いは少ない。


 どうにかして藍李さんを説得しようとするも、しかし彼女の瞳はすでにその意思を変える気配は微塵もなく。


「私は嫌だよ。だって、今日は世界で一番愛してる人とやっと結ばれることができる日で、それにいずれ結婚する約束も交わしてる。きっと、今日はお互いにとって忘れられない特別な日になる」

「――――」

「それを、こんな薄皮なんかに邪魔さてたくない」

「あ捨てた」


 どこか拗ねるような口調でそう言い切ると、藍李さんは0.01ミリのゴムが梱包された箱をぽいっと投げ捨てた。ころん、と箱が音を立てながら床に落ちた。


 そんな一幕を唖然とした顔で見届けていた俺は、思わず失笑がこぼれてしまって。


「やっぱり藍李さんはエッチです」

「生を強請ってるくらいだし否定しないよ。……それに、しゅうくんはいいの? 婚約者との初めてをあんな薄皮一枚に邪魔されて、それで心残りはないって断言できる? 私は絶対後悔すると思うなぁ。あの時やっぱり生ですればよかったぁ! って未来で嘆くしゅうが用意に想像できる」

「ふはっ。たしかに。めっちゃ後悔するかも」


 いつか、俺たちが成人して結婚する時、今彼女が言った後悔が本当に起きるような気がした。それならばたしかに、人生で一度しかないこの日をあんな薄っぺらいゴムなんかに邪魔されたくない。


 それに何より、彼女がそれを求めている。自分のできる限りの最大限の準備を済ませ、リスクを極限まで減らして、今日という日をずっと待ち望んでいた。


 俺に全身全霊で愛されるために。その覚悟と努力を無駄にすれば、きっと彼女にとって今日という日は心残りになってしまうかもしれない。


 なら、ここで怖気づくわけにはいかない。男なら、腹を括れ。


「初めてがゴムなしとか、ちょっと光栄かもしれないです」

「ふふ。よかったね。初めてする相手がえっちなことするのに余念がないカノジョで」

「ですね。こんなえっちなカノジョさんに感謝しないと」

「私をこんな風にさせたのはしゅうくんなんだからね。その責任、ちゃんと取ってね」

「どうやって取ればいい?」

「私を死ぬほど愛して。それだけでいい」


 わざとらしく問いかけて、藍李さんは心の底からそれを望むような顔で答えた。

 その答えに、俺はふっと笑いながら、


「分かりました。藍李さんのこと、死ぬほど愛してあげます」

「うん。私のココロとカラダを、しゅうくんが満たして」

「うん。俺が藍李さんを満たしてあげる」


 彼女を満たしてあげられるのは俺だけしかいない。慢心じゃない。そう確信できるのは、黒瞳に映す最愛の人の熱い視線がそれを切実に訴えてくるからだ。


 心も、カラダも、魂も――俺の全てを捧げて、彼女藍李さんを満たす。


「今日という日を、ずっと待ってた。しゅうくんに処女を捧げるこの瞬間を」

「藍李さんの処女バージン俺がもらっていいとか、光栄すぎて死ねるな」

「くすくす。だーめ。まだ結ばれてないんだから死なないで」


弾む声音にそう言われて、俺は「はい」と頷きながら小さく笑った。


「私はしゅうくんに処女をあげる。だから代わりにしゅうくんの童貞を私にちょうだい」

童貞こんなもの喜んであげますよ」

「ふふ。それじゃあ、有難く頂きます」

「はい、貰ってください」


 この人に童貞奪ってもらえるとか控えめにいって光栄だ。学校中の童貞野郎どもが藍李さんで卒業することに憧れているだろうが、残念だがその淡い夢は未来永劫叶わない。


 何故なら、俺が藍李さんを手放す気がないからだ。


 そして藍李さんもまた、俺を手放す気がないのはもはや明瞭めいりょう


 つまり、誰にも俺たちに付け入る隙がないということだ。ざまぁみやがれ。この人の処女は俺のもので、この人は一生俺の傍にいてくれる。


 藍李さんの従僕ペットは俺一人で十分だ。同担不要。誰にもこの人は渡さない。


 緋奈藍李の全部。全部俺のものだ。


「藍李さんの全部。俺にください」

「しゅうくんの全部。私にちょうだい」


 愛してる。言葉では伝えきれないほど、アナタキミを愛してる。


 どうやったらそれを伝えられるだろうか――伝えられる方法なんて、すぐ目の前にあって。


「俺の全部。藍李さんにあげます」

「私の全部。しゅうくんにあげる」


 もうすぐ、その時は訪れる。


「……怖い?」

「ううん。怖くないよ。むしろ嬉しい。やっと、キミを私のものにできるから」

「ふはっ。何言ってるんですか。俺は最初からアナタのものですよ」


 仮の恋人関係。それが始まった瞬間から、俺はすでに藍李さんの所有物だった。


 その認識は今も変わらない。俺は、緋奈藍李の恋人で、婚約者で、従僕ペットの雅日柊真。最愛の人の所有物だ。


 大好きな人の所有物であることほど幸せを感じられることはないと思う。


「えへへ。それじゃあ、そんな何でも言う事を聞いてくれるカレシくんにお願い」

「――はい。なんでしょうか」


 求め合う。愛し合う。カラダとカラダが真に一つになる寸前、藍李さんは何かを望むように紺碧の瞳を揺らした。


 それに静かに応じると、最愛の恋人は幸せを象った微笑みを浮かべながら俺に告げた。


「私に、緋奈藍李に刻み込んで。雅日柊真っていう、最高に素敵な恋人の温もりを」

「――っ」

「しゅうくんの愛情。私にたっぷり愛情を注ぎ込んでね」


 その懇願に応ええるのは、もはや彼女の恋人カレシである俺の義務だ。

 故に――、


「分かりました。アナタの身体に刻み込んであげます。俺の、緋奈藍李を世界で誰よりも愛してるっていう恋慕を」

「うん。――来て」


 その掛け合いを合図に――


「んんっ‼ えへへ。……これでやっと、キミは私のものだね」


 遂に一つに結ばれた瞬間。嬌声に含まれた甘い、一際に甘い声音が、自分の処女を奪った年下男子を見つめながら嬉しそうに微笑んだのだった。



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