過去話10  向日葵の笑顔

「ふぉぉぉ!」

「…………」


 初店内牛丼を食べてご満悦気な柚葉と引き続き買い物中。ショッピングモールへと移動した俺たちは現在、とあるお店の前で立ち止まっていた。


 それをキラキラとした目で見つめる純真無垢な少年の姿に、半ば強制的に付き合わされている女友達は何か言いたそうな顔をしていた。


「見ろ柚葉! ヤドカリだぞ! 売ってるの珍しい~」

「私としてはヤドカリではしゃぐ男子中学生の方が珍しいよ」

「水槽の造りも凝ってる! ……販売個体なのにちゃんとこの子こと考慮した環境づくりをしているとは、ふむこの店は優良店だな」

「何様よアンタ」


 隣から嘆息が聞こえるが、ちこちこと動いているヤドカリにすっかり夢中の俺はそれに構うことなく観察を続けていた。


「てかしゅう、ヤドカリとかも好きなんだ」

「生き物は基本何でも好きだ」

「ふーん。でも一番はカワウソだっけ?」

「おう。そんなことよく覚えてたな」

「〝しゅうが好きなもの忘れるはずない〟でしょ。それに、スマホケースにもカワウソのステッカー張ってるし、レインのアイコンだってカワウソじゃん」


 だから嫌でも覚えた、と言った柚葉に俺は思わず苦笑い。


「柚葉も欲しいならあげるぞ。カワウソステッカー」

「要らないから。ていうかなんでストックがあるのよ」

「前に水族館に言った時に衝動買いしちゃったから」

「どんだけ好きなの」

「めっちゃ好き」

「――――」

「? 柚葉?」


 不意に視線を逸らした柚葉に眉根を寄せる。


「……私のこと見ながら好きとか言うな。勘違いしちゃうじゃん」

「おーい。柚葉さーん」

「うっさいばかしゅう!」

「俺なんか怒られること言った⁉」


 そっぽ向いた柚葉の顔の前で手を振ると、それが逆鱗げきりんに触れたのか不快だったのかは分からないが怒られてしまった。


「人の気も知らないで全くっ!」

「あふぅ。急に頬抓んなぁぁ」

「うるさい。私をもてあそんだ罰だよ」

「弄んだつもりねぇんだけど」


 怒られた挙句頬まで抓まれて、俺は理不尽に嘆くばかり。けれど、このやり取りに不快感というものはなくて。

 

 むにむにと頬を抓んでくる指。それに怒りは感じない。そればかりか別の感情に触れているような気がして。


 これは、何なのだろうか。


 痛みよりも心地よさ。怒りよりも愛おしさ。呆れた顔をしているのに、それなのに、黒瞳に映る少女は柔和な笑みを魅せてくれていて。


「ほんと、鈍感野郎なんだから」

「――――」


 失笑とともに口唇から零れ落ちた言葉が、この時の俺はまだ理解できなくて。



 ***


 自分の知らない感情に振り回されたまま買い物は続き、現在は休憩のために立ち寄ったコーヒーショップにて各々飲み物を注文していた。


「カフェモカのアイス。サイズはトールで」

「じゃあ私はシトラスティーのアイス。サイズはショートを」

「サイドメニューはいいのか?」

「うん。お昼いっぱい食べたし、体重管理はちゃんとしないとだから」

「乙女ですなぁ」

「なーんか馬鹿にされてる気分」

「してないから。牛丼大盛を平らげる女子ってわりといる思うようん」

「やっぱしてるじゃん!」


 店員のお姉さんが俺たちが頼んだメニューを復唱している最中に柚葉とそんな会話を交わす。


 ノンデリ! と半目で睨んでくる女友達に脇腹を小突かれたあと、こちらを微笑ましそうに眺めているお姉さんが金額を伝えてくれた。


「……以上で1040円になります」

「あ、お財布……」

「これでお願いします」

「――ぇ」


 柚葉がポーチから財布を取り出すよりも早く俺はトレーにお札を置いた。


 それに柚葉が驚いたような声を上げて、こちらを目を瞬かせながら見てくる。店員のお姉さんはというと、一瞬困惑しながらもしかしすぐに俺の意図を察して小さな笑みを浮かべると、トレーに乗せたお札を受け取ってくれた。


 お姉さんに「どうも」と短く感謝の念を伝えたあと、俺は呆けている女友達に向かってぽつりと呟いた。


「いつも柚葉にお世話になってるから。……今日は、そのお礼ってやつだ」

「――っ!」

「……だから、ここは俺の奢りってことで」


 その台詞を吐くのが微妙に恥ずかしくて、勝手に頬が熱くなった。


 柚葉と神楽には心の底から感謝してる。その恩をこの程度で返せるとは思ってない。けれど、この機会は日頃の感謝を伝えるには絶好の機会だと思った。


 そんな機会を設けてくれた(もちろん目的は別だ)神楽には感謝しているし、それに、こういう時こそたまには柚葉にいいとこを見せたかった。


 いつも女の子にお世話されてばかりでは流石に男としての面子が立たないからな。

 俺なりの精一杯の見栄と日頃の感謝を伝えたいこの想いは、果たしてキミに届いてくれるだろうか。


「――はぁ。ほんと、しゅうってそういうとこ無自覚だよね」

「だ、ダメだった?」


 深いため息を落とす柚葉に、俺は慣れないことをしたと後悔した――その時だった。


 ため息は落胆ではなく、胸の内に秘めた感情の余熱。そうだと分かったのは、黒瞳がそれを捉えたからだ。

 

 可憐で無邪気で、あの真夏の太陽にも負けない向日葵のような笑みが咲いた瞬間を、俺の瞳は見逃さなかった。


 笑みそれが咲いた一瞬は、あまりにも美して。息を飲まずにはいられなかった。


「何もダメなことなんてないよ。奢ってくれてありがとねっ。しゅう」

「お、おう」


 その、思わず心臓がドキッとしてしまうほどの破壊力を伴った柚葉の笑顔を女慣れしていない俺が直視できるはずもなく。


 反射的に視線を逸らす。けれど、やっぱり咲いた向日葵の笑顔を見たい気持ちは抑えられなくて。


 俺は何度も、何度も、視線を逸らしてはちらっと見るのだった。


「あーあ。でも最初からしゅうが奢ってくれるって分かってたらドーナツとか頼めばよかったなぁ」

「……べつに、今からでも間に合うんじゃねぇの」

「頼んでいいの⁉」

「奢るつったろ。ちゃんと食って早く元気になってくれ」

「? 私は元気だけど?」

「ああもうっ! 細かいことはどうでもいいから! ほら、頼みたいなら早くしろ」

「わーい! それじゃあ何食べよっかなぁ」


 どうやら俺の財布の紐は、女の子の笑顔を見ると緩くなってしまうらしい。


『ま。奢るような相手なんてこれからも柚葉しかいないだろうな』


 彼女と距離が縮まる度に思う。


 ――何もない、臆病者の自分がこんな素敵な子の傍にいてもいいのか、と。




【あとがき】

過去はだいたい1500~2000字にしようと思って書いてるけど、改稿してるとエモくて軽く2000字越えちゃう

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