過去話7  元気づけてあげたくて


「お、おはよう柚葉」

「……おはよう」


 部活開始前。ぞくぞくと集まって来る部員たちの中から柚葉を見つけた。


 ややぎこちない笑みを浮かべて挨拶する俺に、柚葉は若干気色悪いとでも言いたげな顔をしながら挨拶を返してくる。


「そ、その……足の調子はどうだ?」

「足? ……あぁ。うん。大分良くなったよ」


 ただもうしばらくは様子見で別メニューだけどね、と苦笑しながら言った柚葉。


「そ、そうか」

「う、うん」


 会話終了。


 どことなくぎこちない空気が流れて、俺は周囲の女子から警戒される始末。


 一応同じ部員なはずなんだけど、俺の扱いは部活でも教室でも大差ない。過半数の部員からはやる気のない部員として認知されているので、後輩(それも女子)からは不気味な先輩と認知されている。一方の柚葉は後輩たちからの信頼がとても厚い。しっかり者で努力家。優等生でその上走りも速い実力者でおまけに可愛い彼女がこんなモブ野郎と何故仲が良いのか不思議でならないのだろう。多方向から警戒と嫌悪の視線がぶっ刺さってくる。


 流石にここで神楽から出された命令を遂行したら色々とマズイ気がする。なので、ここはひとまず戦略的撤退をすることにした。


「な、なんかあったら言えよ」

「あ、ありがとう」

「……あと女子にもう少し、ほんとに少しでいいから、俺に優しい視線を向けるように柚葉先輩から言っておいてくれない?」

「あはは。うん。分かったよ」


 なおも背中越しから刺々しい視線を感じながら柚葉にこそっと嘆願すれば、彼女はいたたまれない友人に微苦笑を浮かべた。

 

 それから早々に女子の領域から退散すると、そんな尻尾を撒いて逃げる憐れな俺の姿を安全圏(男子ベンチ)から一人の青年、皆瀬が腹を抱えながら見ていて。


「くくくっ。相変わらず、清水以外の女子からは敬遠されてますなぁ。しゅう先輩」

「うるせっ!」

 

 そう小馬鹿にしてくる種目仲間で数少ない友人でもある皆瀬の下にガニ股で近づくと、実に不愉快な笑い声を黙らせるべく頬を抓んだ。


 けっこうな力で頬を抓んでいるというのに邪悪な笑い声を引っ込めるどころか更にボリュームを上げる皆瀬。そんな友人を睨む、その最中にちらっと横目で柚葉を見た。


 一瞬。横目で捉えた柚葉は、笑みを浮かべながら後輩や友達と楽しそうに喋っていて。


 けれど、

『――やっぱ、元気ねぇな』


 その浮かび上がっている笑みが必死に取り繕われたものだと、それに気付けたのはきっと極僅かでしかなくて。


 はたして、何もない俺に彼女を元気づけてあげられるのだろうか――。



 ***



「――――」

「おい。なに堂々とサボって女子のこと見てんだ」

「あてっ」


 走り幅跳び用ピットにて。遠くからストレッチに励む柚葉を眺めていると不意に頭上からゲンコツが降りてきた。


 大して痛くもないが反射的に苦鳴をこぼすと、皆瀬が呆れた風に嘆息を吐いていた。


「今日は監督がいないからってサボりに拍車を掛けるなよ」

「べつにサボってるわけじゃない」

「清水のことじぃ~っと見てたくせによく言うよ」

「べつに柚葉のこと見てたわけじゃな……」

「はいはい。そういうのいいから」


 皆瀬の言葉に抗議しようとするもそれは一方的に遮られてしまった。


「ま、仲いい子が怪我して心配だって気持ちは分かるけどさ。だからといって雅日にできることは何もないだろ?」

「それはそうだけど……」

「歯切れ悪。どんだけ清水のこと気になってんだよ」

「友達なんだ。心配して当然だろ」

思慮しりょ深い子ですねぇ雅日くんは。本当にそれだけ?」

「? どういう意味?」


 皆瀬の質問の意図が理解できずに小首を傾げれば、そんな俺を見て皆瀬は心底呆れたように肩を落とした。


「無自覚っすか」

「だから何が」

「気付いてないならそういうことで。でも、早く自分の気持ちに気付かないと後悔するかもよ?」

「さっきから何言ってんのお前。とんち?」


 やけに引っ掛かる皆瀬の物言いにわずかな苛立ちが込み上がる。俺は剣呑な空気を放つもしかし皆瀬は全く意に返さずむしろ落胆するばかりだった。


「まぁ、友情と恋愛それが必ずしも結び付くってわけでもないしな。俺の勘違いなだけで本当に二人は何もない……いや。それはないな」


 独り言ちる水瀬はそのまま大仰に吐息を吐くと、手を二回ほど叩いて幅跳びを専攻している部員たちを集めた。


 水瀬は集めた俺たちを一人ずつ見たあと、


「今日は監督がいないから、今から自由時間にする。各々好きな練習メニューに取り掛かってくれて構わない」

「――ぇ」


 唐突に練習メニューを変更した皆瀬に、俺は驚愕きょうがくして、一年生三人は嬉々とした顔を浮かべた。


 それから皆瀬は手短に注意点を説明したあと、「解散」ともう一度手を叩いた。


 一年生たちは先輩を気にせずにピットを使えることにはしゃぎながら戻っていっ

て、俺はというと呆気取られたように皆瀬を見つめていた。


 そんな俺に、皆瀬はまた心底呆れたような苦笑を向けて、


「今回はお前のサボりも見逃してやる。だから、明日から暫くは本気で練習やってくれよ?」

「――はっ。お気遣いどうも」


 俺よりも思慮深く、サボり魔も見逃してくれる寛大な心をお持ちの幅跳びのエース様のお慈悲に、俺は思わず失笑をこぼしてしまいながら平服したのだった。


 


「ジョギング。付き合ってもいいか」

「……しゅう⁉」


 ストレッチを終えて校内を軽くジョッグ中の柚葉に合流すると、今は競技別メニューをこなしているはずの友人の登場に瞠目どうもくした。


「え、幅跳びの練習は?」

「寛大なエース様のお慈悲により本日は個人練習になりました」


 端的に柚葉の下に来た理由を説明すると、柚葉は苦笑いを浮かべた。


「アンタまたなんか皆瀬くんに迷惑掛けたの?」

「俺がいつも水瀬に迷惑掛けてるみたいに言うなと言いたい所だが、実際いつもアイツには迷惑掛けてるので反論できないな」


 神楽と柚葉ほどではないが、皆瀬もまた無気力かつサボり魔な俺の面倒を見てくれている一人だった。なんだかんだでこの三人とは付き合いが長く、同時にいつもお世話になっているから基本的に頭が上がらない。


 その話は一旦置いておいて、


「とにかく、今日は自主練になったから。ジョギング、付き合っていいだろ」

「それは構わないけど……でも、平気? 私といるとまた揶揄われるんじゃない?」

「もう慣れたもんだよ」


 柚葉とは部活で時間を共にすることが多い。だから、そのことで他の部員からよく「お前らって付き合ってんだろ」と揶揄われたりする。


 それがざっと半年ほど前から続いているので、俺の中でもはや常態化してしまっていた。なので、揶揄われても基本スルーか適当に受け流している。


 男子とはそう言う生き物。女子と一緒に居るだけで恋愛に発展する純粋ピュアな連中だと思えば生温かい目で対応できる。


 しかし、男子と女子でその反応と対応は異なるものだ。


「俺はもう散々揶揄われ続けて慣れたけどさ。でも柚葉の方はどうなんだよ」

「あはは。未だに後輩に言われるよ。なんであんなサボり魔と仲がいいんですかって」

「まぁ、何も知らない一年生からすれば俺たちが一緒に行動してるのは不思議に見えるかぁ」


 優等生とサボり魔というのが俺と柚葉の構図だ。言わずもがな、優等生は柚葉でサボり魔が俺な。


「柚葉先輩は後輩たちに尊敬されてるからなぁ」

「あはは。尊敬されるほど大した器でもないはずなんだけどね」

「過小評価もほどほどにしとけよ。お前が頑張ってるのは俺が一番知ってんだから」

「……ん。ありがと」


 謙遜けんそんする柚葉。それを否定するように強く言い切ると、柚葉はぽっと朱く染めた顔を照れくさそうに隠した。


 その反応に俺も思わず釣られてしまって妙なむず痒さを覚えてしまう。


「…………」

「…………」


 互いの間に流れる微妙な空気。……なんだこれ青春ラブコメかよ。


「そ、そうだ。朝のことなんだけど。私に何か聞こうとしたよね?」

「お、おう。柚葉に聞きたいことあったんだよ」


 このままではぎこちない状況が続くと察したのか、理矢理甘酸っぱい空気を断ち切ってくれた柚葉に俺は内心感謝しつつ、コホン、と咳払いしてから続けた。


「その、さ。明日って暇?」

「明日? なんで?」

「いや、ただなんとなく聞いただけ。明日は部活ないからさ」


 俺のたどたどしい口調に柚葉は眉根を寄せると、軽く弾ませる視線を下げて言った。


「まぁ、暇だよ。足がこの通りだからトレーニングもできないしね。明日は夏休みの課題してると思うよ。やるかはさておき」

「……そっか」

「――?」


 苦笑を浮かべながら答えた柚葉に、俺はつい素っ気ない返事をしてしまった。


 その態度が柚葉的に気に食わなかったのだろう。彼女はむすっとした表情を浮かべると、足を止めて俺を睨んできた。


「しゅう、さっきからすごく怪しいんだけど」

「そ、そうですかな?」

「露骨にテンパってるじゃん」


 視線を泳がせる俺に柚葉は呆れたようなため息を落とした。……ここ数日、仲のいい友達全員に呆れられている気がする。


「何か言いたいことあるなら早く言って。そうじゃないと私、しゅうとは一緒に走らないからね」

「わ、分かってるよ」


 急かされるように促されて、俺は諦念を悟ったように一つ、深い吐息を落とす。

 それから、膨れっ面で見つめてくる柚葉に、俺は照れくさそうに頬を掻きながら告げた。


「その、さ。明日暇なら、俺と買い物行かね?」

「――ひょえ?」


 夏の強い日差しの下、少女の可愛らしい素っ頓狂な声がグランドに木霊にした。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る