過去話3  友達

 ――数多あるスポーツ競技の中で陸上は最も競技の多いスポーツだ。


 故に、大会も各種目が平行して行われ、競技が終了する時間もバラバラである。


 ウォーミングアップする時間や自由時間でさえも、陸上競技においては選考した種目によって異なる。


「あ。雅日くん」

「おぉ。清水」


 俺が専攻する走り幅跳びの試合は午後からスタート。開会式直後から開始される種目と違って時間に比較的余裕があったのでウォーミングアップという名目で辺りをぶらぶらしていると、丁度アップ中の清水と遭遇した。


「何してるの?」

「サボってる」

「……試合の日でも通常運転なの凄いね」


 相変わらずマイペースな俺に、清水は呆れたような、感心したような吐息を落とした。


「清水はこれからすぐ試合?」

「ううん。もう少し時間あるよ。ただ、少しだけ身体を温めておこうと思ってウォーミングアップしてたの」

「清水は偉いなぁ」


 さすがは部員内でも真面目ちゃんと評価される清水だ。不真面目な俺とは正反対もいいところである。


 そんな彼女の生真面目な姿勢に脱帽だつぼうして、自分の場違い感に劣等感を覚える。


「それじゃあ俺はこれで――」

「――ぇ」


 結果を残そうとする優秀な者の邪魔をしてはならないと早々に立ち去ろうとしたその時だった。


 不意に瑠璃色るりいろの瞳に寂寥の念が過った気がして、先行こうとする足が反射的に止まった。


 足がコンクリートにくっついたかのような感覚を味わう最中、見つめる少女は俺に向かってこう言った。


「あ、あの! よかったら一緒にアップ……しない?」

「――――」


 窺うような、怯えるような、懇願こんがんするように瑠璃色の瞳が揺れていた。


 彼女と言葉を交わした時間は決して多くない。けれど、その中でも少しだけこの子について分かったことがある。


 彼女は積極的な子ではない。消極的でもないが、とにかく何かを始める時に必ず一度逡巡する癖があるのだ。


 勢いで飛び出してみたものの途中で自信を失い、狼狽する。それでも性根が真っ直ぐだから半端を嫌って最後までやり遂げようとする。


 今だってそうだ。勢いよく俺を誘ってみたものの、途中で様々な思惑が絡んで語勢が落ちてしまった。


 それでも一度誘ってしまったから途中で放棄することもできず、こうして俺に一心に視線を注いでくる。


 そんな眼力で見つめられてしまっては、断ろうにも断れないというのに。


「俺なんかに清水のアップ相手が務まるかな?」

「っ!」


 と冗談めかした口調で言えば、清水は不安げな表情から一転、ぱぁと顔を明るくさせた。


「だ、大丈夫! ジョギングペースだから! 絶対に雅日くんの負担にならないようにする!」

「俺もそこまで体力ないわけじゃないから安心してくれ――了解。じゃ、あそこの運動場で軽くアップしますかぁ」

「やった!」


 俺が首肯したのを見届けた清水は、心底嬉しそうな顔をして、ガッツポーズまでした。


 たかが俺如き、しかも周囲から敬遠されている俺なんかとアップしてこれほどまでに喜ぶ女子なんて世界中どこを探しても清水くらいな気がする。


 変わった子だ。


 まだ友達と呼ぶには親睦の深まっていない少女。それでも、この子の笑顔を見るとなんだかやる気と元気をもらえた気がした。


 ***


「あ。カエルだ」


 清水とのアップ中。生い茂る緑梁の草原でぴょんぴょん跳ねる緑の生物を見つけた。


 ひょいっと掴んで手のひらに乗せると――そんなさも当然のようにカエルを捕まえた俺を見た清水が途端に顔面を蒼白とさせた。


「み、雅日くんてそういうの触れるんだ」

「そういうのじゃなくてカエルな。可愛いだろ」

「どこがっ」

「……ひょっとして、清水はカエルとか苦手?」

「苦手ってほどじゃないけど、触りたいとは思わないかな」


 いかにも女子らしい感想をもらい、俺は苦笑を浮かべながら手の中にすっぽりと納まっているカエルを優しく撫でた。


 普段は動画ばかり観ているので、こうして久々に触れるとなんとも感慨深さを覚えるものがあった。


 カエルも大人しいのでもうしばらくひんやりとした感触を堪能させて頂いていると、頬を緩めている俺を清水は不思議そうな顔で見つめてきた。


「雅日くんて生き物好きなんだ」

「おう。猫も犬も好きだし、イモリも好きだ」

「へぇ」

「意外だった?」


 肩眉を上げて訊ねれば、清水は「うん」とこくりと頷いた。


「雅日くんて他の人と違ってつかみどころがない人だと思ってたし、部活とかもずっとつまらなそうな顔してたから。だから、今生き物に触れて楽しそうにしてる顔を見るの新鮮だなぁ、って」

「実際部活やるよりこうやって生き物に関わってる方が有意義だとは思ってるよ」

「あはは。私たちの学校に科学部とかあればよかったのにね」

「科学部じゃ生物には関われなくね?」


 自分に陸上は向いていない。それを自嘲気味に言えば、清水は複雑な表情を浮かべた。


「そんなに生き物が好きなら何かお家でも飼ってるの?」

「いいや。ペットは飼ってない」

「そうなんだ。もしかしてお家マンションなの?」

「普通の一軒家だけど」

「それじゃあ飼おうと思えば飼えるんじゃない?」

「まぁ、父さんからもペット飼おうかって提案されたことがある」

「それなのに飼わなかったんだ?」


 不思議そうに小首を傾げる清水。俺はそんな彼女に胸裏に秘めた感情を吐露しようか逡巡したあと、一つ吐息をこぼしてから告げた。


「そのさ、俺、苦手なんだよ」

「? 何を?」

「生き物が死ぬの」

「――――」


 ぽつりと、呟くように俺がペットを飼わない理由を吐露すると、清水が息を飲み込んで沈黙した瞬間を横目で捉えた。


「ごめん。軽率だった」

「思い詰めなくていいよ。清水は聞きたいこと聞いただけだし」


 先の質問を愚問だったと後悔する少女に俺は薄く微笑みながらそう言って、自分がペットを飼わない理由を続けた。


「小学校の低学年の頃にさ、一回だけクラスの生き物係になったことがあるんだ。クラスで飼ってる金魚がいてさ。毎日朝早くに登校して餌あげて、給食食べ終わってすぐ金魚にも餌を皆であげてさ。すげぇ愛着が湧いてたんだよ」


 あの日々は今でも鮮明に覚えている。


 学校に早く行く理由はクラスで飼っている金魚たちに会う為。担任の先生が週に何度か行っている水槽の水替えも手伝って、毎日おはようとばいばいをした。休日の会えない時間が恋しくて、早く平日になれと何度も焦燥感を味わった。


 友達と遊ぶより、金魚たちの世話をしている時間の方が楽しかった。


 でも、その日は突然訪れた。


「ある日の朝に学校に着いたら、一匹の金魚が逆さになってるのを見つけた」

「それって……」


 清水が息を飲む。たぶん、その先のことは誰でも分かる結末だろう。


「それを見つけてすぐに先生を呼んだけど、手遅れだった。朝のホームルームが始まる前にその子は死んじゃって、俺は泣きじゃくりながら先生とその子を土に埋めたよ」

「――――」

「あの時はショック過ぎて早退したくらいだったなぁ。数日家に引きこもって、それがきっかけで俺は生き物を飼う事が怖くなった、というより抵抗感を抱くようになった」

「それが、ペットを飼わない理由なんだ」

「そういうこと」


 生き物と関わる以上、どうしたって別れは訪れてしまう。それを知っていながらも、けれど理解はできていなかったんだ。


 大切にしていたからこそ、愛着が湧いていたからこそ――別れは人一倍辛いものだという事実に。


 今は分からない。けれど、幼少期の俺にはあの経験が耐えられなかった。耐えられずそれがトラウマとなり、命と向き合うことができない臆病者になってしまった。


 それは小さな生物だけでなく、人にまで及んでしまって。


 愛着を持たないこと。何かに執着しないこと――そうすることで自分を守ることを覚えてしまった。


「このカエルも気軽に触れることはできるけど、やっぱり飼うってなると想像はできないかなぁ」


 きっと、生き物を飼えば否応なく愛着を持ってしまう。俺はそういう性格なんだろう。だから、飼うことはしない。


 愛でることはするけれども、愛着は持たない。執着はしない。そうすれば、別れ惜しむ必要はなくなる。


 俺の指先に乗っかっているカエルは、この状態に慣れたのかうとうとし始めた。目を重たそうに瞬かせる小さな生き物に思わずくすっと笑ってしまいながら、俺はそろそろ野生に戻してやろうと眠たそうなカエルをそっと野原に降ろしてあげた。


「じゃあな」

『ゲコ』


 カエルは一瞬だけ俺を見て、それからすぐ踵を返してぴょんぴょん跳ねて行ってしまった。


 段々と遠くなる背中を微笑みを浮かべながら見届けて、俺は独り言ちるように呟いた。


「たぶん。この先も生き物を飼うことはないと思う。――それでもやっぱり、生き物が好きなことは変わらないから。ああやって触れ合える機会があるとつい触っちゃうんだ」

「ふふ。そっか。好きって気持ちは中々変えられないもんね」

「そういうこと。何事も気楽にやるのが一番ってことだな」

「気楽に、か」


 俺の言葉に、清水は瑠璃色の双眸を細めて何かを思案するような表情を浮かべた。


 数秒。吹かれるそよ風の生温かさに浸っていると、それまではどこか緊張していた顔が弛緩する瞬間を捉えて。


「ありがとう。雅日くん。なんだか身体が軽くなった気がした」

「特に何もした覚えはないし、感謝される謂れはないと思うんだけど?」


 当然贈られた感謝の念に思い当たる節がなく、はて、と小首を傾げれば、清水は柔和な笑みを浮かべながら首を横に振って、


「ううん。そんなことないよ。――雅日くんと話せたおかげで、今日はなんだか上手く走れそうな気がする」

「……そっすか」


 いつもどこか余裕のない表情を浮かべている少女は、今日はなんだかいつもより自身に満ち溢れているような顔をしていた。


 やはり清水柚葉は変わった女の子だ。そんな印象が、今日また更新された。


「そうだ。前の約束、覚えてる?」

「約束?」

「私のこと応援してくれるって約束だよ」

「あぁ。そういえばしたな。そんなこと」


 忘れてた、と苦笑すれば、清水は呆れたようにため息を落とした。

 それから、彼女は膨れっ面で俺を睨んできて、


「私が走る時、ちゃんと応援してよね。誰よりも、だよ」

「――へいへい。応援しますよ。誰よりも、な」


 念押しするように言ってきた清水に、俺は面倒な約束をしてしまったと後悔しながら頷いた。


 そうして俺から言質を取った清水は、「よし」と満足そうな顔を浮かべると、


「それじゃあ、引き続きアップ付き合ってもらおうかな」

「……なんだか嫌な予感がするので僕はここでお暇を頂いてもよろしいでしょうか」

「だめ。アップ付き合ってくれるって言ったんだから、最後まで付き合ってよね」

「めんどぉ」

「ふふ。ほら――行くよ!」

「……はぁ。カエルになりたい」


 なんだか休憩前よりもやる気と自信が増したような気がする少女に手を差し伸べられて嘆く俺を、さっきのカエルがどこかで見守りながらゲコゲコと笑っている気がして、思わず失笑してしまった。


 それから、俺は清水とともに走り出していく。吹く追い風に背中を押されながら。


 そしてこの日を境に、俺と清水は話す機会が増え、大会の時はこうして互いのアップに付き合うような仲になった。


 清水のことを友達と呼ぶのに抵抗がなくなったのは、ちょうどこの頃だった。

 




【あとがき】

最近は調子が上がらな過ぎて全然執筆する手が進んでませんでしたが、少しずつ調子が戻ってきました。

早く三章の改稿済ませて本編の更新がしたいです。安〇先生ッ‼

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