第93話  父親としての資格

「――それじゃあ、柊真くんをエントランスまで送っていくよ」

「本当は私が行きたいんだけど……お父さん」

「分かってるよ。いいんだよね。彼に話しても」

「うん。隠す訳にもいかないでしょ。これから先も一緒にいるなら、猶更なおさらね」

「?」


 帰り支度を整えている最中、親子にしか伝わらない会話が聞こえた。


 はて、と小首を傾げる俺に藍李さんはややぎこちない笑みを浮かべて、海星さんは先の会話を誤魔化すように微笑みを浮かべた。


 その微笑みがどことなく無理矢理に作ったように見えたのは、きっとのせいではないのだろうとは思惟しながらも、俺は追求するのは直感的にやめるべきだと察した。


「それじゃあ、エントランスまで送るよ」

「ありがとうございます」

「それじゃあまた明日ね。しゅうくん」

「はい。また明日」


 恋人の父親にわざわざまで送迎されるなんて不思議な気分だなと思いながらも、特に断る理由もないので俺は素直にうなづくことにした。


 そうして玄関先で藍李さんとは別れて、海星さんとエントランスへ向かう。


「娘とはいつもあんな感じなのかい?」

「は、はい。俺の方が藍李さんに甘えてばかりで。やっぱり男して不甲斐ないですよね?」


 及び腰でそう問うと、海星さんは可笑しそうに鼻で笑った。


「それは私の価値基準で図れるものではないよ。恋人や夫婦、パートナーを持つ者にはそれぞれ相手との距離感と在り方というものがある。キミは観たところ、藍李の考えを尊重していると思われる」

「い、いえ。そんな大それた考えを持って一緒にいるわけじゃないです。ただ、藍李さん、俺のことを揶揄う……というか、なんか世話をするのが好きみたいで……」


 それを尊重、というより、俺が藍李さんに甘えたいから彼女に従順になっているだけだ。


 年上と年下ということも相俟って、その関係性はより顕著に表れている。


 そして、そんな関係を海星さんは笑って肯定してくれた。


「はは。キミの方に文句がないなら何も問題ない。藍李がキミを甘やかしたいというのなら、今はそれがあの子にとって生き甲斐のようなものなのだろう。目標ややりたいことがなく、ただ漫然とした日々を送るよりも遥かにいいことだ」

「――――」

「キミには感謝している」


 エレベーターに乗って、数十秒だけ周囲の世界とは隔絶された空間で、俺は海星さんにそう感謝された。


 その深蒼しんそうの双眸は揺らぐことなく、強く、しかしどことなく哀切を滲ませながら俺を見つめてきた。


「――正確には、キミたち、かな」

「――ぇ?」


 海星さんが先の言葉を修正するように唇を薄く弧を引いた。その言葉にぱちぱちと目を瞬かせると同時にエレベーターが一階のロビーに着く。


「……あそこで少し話しをしよう」

「わ、分かりました」


 エレベーターを出て、海星さんがロビーに設けられた簡易の応接スペースに視線を移した。


 断ってはいけない流れだということは容易に察することができて、俺は静か顎を引いてその誘いに応じた。


「コーヒー、飲めるかい?」

「ありがとうございます」


 それから椅子に腰を下ろした俺は、海星さんが自販機で買ってくれたたコーヒーをもらいながら会話を続けた。


「先ほどの言葉。あの意味は分かるかな?」

「キミたち、ですか?」

「そう」


 そう訊ねるも、俺は全く見当が思い浮かばず首を捻る。


 時間にして五秒ほど経った頃か、海星さんはブラックコーヒーを一口飲み終えたタイミングが思案の時間切れとなった。


「キミたちとは、キミともう一人のご家族のことだよ」

「あ」


 そこまで言われてやっと気づく。


 脳裏にやかましい存在を思い浮かべたことを示すように声を上げると、俺のその反応に海星さんは「ご明察」と唇を緩めた。


「雅日真雪さん。直接会ったことはないが、娘からよく話を聞く子でね。キミの苗字を聞いた時、もしかしてと思ったよ。それで以前娘に訊ねてみたら、そうだと肯定された」

「はい。真雪は俺の姉ちゃ……姉です」


 天真爛漫な少女、真雪姉ちゃんを思い浮かべながら肯定すると、海星さんはもう一度ブラックコーヒーを口に含んだ。まるで、何か起伏した感情を飲み込むみたいに。


「キミにも、そしてキミのお姉さんにも私はとても感謝している」

「どうしてですか?」


 先を促す問いかけに、海星さんは意図的に一拍間を置いて答えてくれた。


「キミたちと出会う前の藍李は、物静かな子でね。あまり自分の意見を表出すこともなければ、笑顔を魅せることなんて滅多になかった」

「――――」

「いつも、どこか鬱屈としていた表情をしていてね。私と接している時も、本当の笑みを見せてくれることはなかったんだ。いつも無理矢理に作ったぎこちない笑みだった。あの子なりの、仕事で多忙な私への気遣いだったんだろう。そんな笑みを娘にさせる自分に不甲斐なさを覚えたし、その笑みを見る度に心苦しくなった」


 訥々と語る海星さんの言葉を、俺はただ黙って意識を傾ける。何でもいい。声を掛けたい。けれどそんな切望は、黒瞳こくどうが映す男性が浮かべている虚しい表情に押しとどめられて。


「キミのお姉さんと出会ってから藍李は変わったんだ。端的に言えば、私の前でよく笑うようになったし、学校での出来事を話してくれるようになった」


 海星さんは教えてくれた。


 藍李さんが姉ちゃんのことを、最初はちょっと変わった子だと思って接していたこと。


 少しずつ姉ちゃんと話す機会が増えていくことを嬉しそうに話していたことや、姉ちゃんが藍李さんに贈った様々なプレゼントを海星さんに自慢していたこと。


 姉ちゃんの話しする藍李さんが、本当に、心の底から楽しそうに話すことを、海星さんは無意識に笑みをこぼしながら俺に教えてくれた。


「――そこに今はキミが加わった影響か、最近のあの子はますます明るくなってね。まさか、まだ高校生にも関わらず運命の人を見つけたと報告された時は流石に父親として色々と覚悟したよ」

「な、なんかすいません」

「はは。謝らないでくれ。こうして直接キミと会って、あの子がそう言うのも得心がついたよ。キミは、私があの子に捧げてあげられなかった愛情を、あの子に注げている。父親として情けないばかりだと、キミを見て痛感するばかりだ」

「――――」


 海星さんは俺の事をどこか悔しそうな、羨望したような、憧憬しょうけいを宿した瞳を向けながらそう言った。


 その瞳がわずかに垣間見せた悔悟が、俺の脳裏に一つの疑問を生じさせた。


「ずっと。不思議でした」

「何がだい?」

「海星さん。俺のことをあまりにあっさりと婚約者だって認めてくれたことです」


 その事実がずっと、自分の中で腑に落ちていなかった。


 いくら藍李さんとの関係が良好だといえ、海星さんにとって彼女は大切な一人娘であることに変わりないはずだ。


 俺の考えがおかしいのか、あるいは既に海星さんの中で覚悟が決まっていたのかは分からない。


 けれど、俺を藍李さんの恋人と、婚約者だと認めてくれたことの異常な飲み込みの速さが、俺には不思議でならなかった。


「俺の家族も藍李さんを婚約者だと認めたのは早かったですけど、でも、それにはちゃんと過程があったからです」


 藍李さんは既に俺の家族と良好な関係を築いていた。姉ちゃんはもとより、母さんは既に彼女と面識があったし、仮の交際期間中から彼女の存在に気付いて応援してくれていた。


 だから、俺の家族はあっさり藍李さんを受け入れたわけで。しかし一方の俺は違う。


 海星さんとは今日が初対面。藍李さんから元々俺の話を聞いていたとしても、出会って間もない男に娘を任せられるというのは少々肝が据わっているというか、父親として不安を覚えるものはないかと疑ってしまう。


「なるほど」


 そんな胸裏に渦巻く懐疑心を見透かしたかのように、海星さんが吐息をこぼした。


「……俺の事を信用してくれているのは嬉しいです。でも、他に何か、理由があるんですよね?」


 その問いかけが、きっと海星さんと藍李さんが部屋でしていた会話に繋がるのだろうという直感的な確信はあって。


 そして、それを肯定するような言葉が、彼の口唇から告げられた。


「資格がないんだよ、私には」

「――ぇ」

「私には、資格がないんだ。娘の恋愛を否定する資格がね」


 その諦観を悟るような声音と、向けられた寂寥せきりょうを宿す双眸に、俺は息を飲まずにはいられなくて。


「――キミにはちゃんと、話しておかないとね。私と娘の過去を」





【あとがき】

昨日は6名の読者様に★レビューを付けて頂けました……じゃなぁああい!

おいっ。またやらかしちゃったよ! 92話が1/18(木)更新されるはずだったのに、何故か91話と同じ時間帯に更新されてたんだけど⁉ ちゃんと予約更新の日付確認して「よしっ。これで明日の朝も大丈夫だな」って肩の力抜いてた所なんですけどお⁉


おかげで悲願だった日間PV・1万は突破したけど、幸と不幸を同時に味わった気分です。


え、それなのにどうして今日も午前7時に更新されているかって? それはミスに気付いた作者が慌てて本話の改稿したからです。執筆バカはこれくらい余裕よ。


Ps:上記の理由に1/18(木)の更新は本話のみです。これ以上更新すると本当にストックがバイバイするっ。

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