第92話 忠犬・雅日柊真
「こほん。それでは改めて紹介するね。私の恋人であり、そして婚約者にしたい相手、雅日柊真くんよ」
「み、雅日柊真です! その、一応、藍李さんとは結婚を前提にお付き合い? させていただいています」
「しゅうくーん? 結婚を前提にの所に疑問符が浮かび上がったような気がするんだけど、それはなんでかなぁ?」
「えっ⁉ い、いやだって、まだ海星さんには俺が婚約者だって認められてはないから」
只ならぬ威圧を放って追求してくる藍李さんにたじろぎながらそう答えると、正面に座っている海星さんからくつくつといった笑い声が聞こえてきた。
「あははっ。どうやら、娘はキミに相当ご執心なようだね」
「言っておくけど私、彼以外との結婚なんてする気ないからね」
「分かっているよ。私から言うこともない……資格がないといったほうが正しいか」
「?」
一瞬、意図的に声音を落とした海星さんの呟きに眉根を寄せるも、しかしそれは柔和な微笑みによって強制的に思案を中断させられた。
「藍李には既に言っているが、柊真くんにもこの場できちんと伝えよう。娘とよろしくやってくれ」
「っ! それって、つまり……」
「先ほども言っただろう? 私はもう、既にキミを〝認めている〟と」
片目を閉じ、意味深に口許を吊り上げた海星さん。その発言で想起されるのは先ほどの会話だ。
確かにあの時、海星さんは俺と会って間もないにも関わらず『認めている』と言ってくれた。
ただ、それはてっきり『恋人』として俺のことを認めたのだと勘違いしていた。
が、どうやらあの言葉の真意は、藍李さんとの関係の全てを承認することを意味していたらしい。
「な、なんだかあっさり婚約者として認められてしまった」
「ふふ。よかったじゃない。娘さんをください! って土下座せず済んで」
それはそうなのだが、ただ、なんだか拍子抜けというか、此処に来るまでの緊張や覚悟はいったいなんだったのやら、と脱力してしまった。
そんな茫然と俺に、海星さんは「面白い子だ」とくつくつ笑っていて。
「――まぁ、娘を裏切るようなことがあれば、その時は分かっているね?」
「は、はいっ! その時は火あぶりでも拷問でも何でも受け入れます!」
「まさかそこまで覚悟しているとは。……藍李、彼に何かよからぬことを吹き込んではないだろうね?」
「特にないもしてないわ。しゅうくんが私の愛情を一心に受け止めてくれているだけよ」
わずかに立ち込めた剣呑な空気。しかしそれは、既に藍李さんの従順な恋人になりつつ……否、すでに成り果てている俺には通用しなかった。
当然だ。俺の方から藍李さんを裏切ることなど死ぬまでありえないし、浮気だなんてそもそもバレたら藍李さんに何されるから分からないから恐れ多くてできない。たぶん、浮気なんてしたら地の果てまで追い詰められて、ナイフで刺されるか、軽傷で済んで俺の大事な一人息子とお別れだ。全然軽傷じゃない。
それに何より、彼女の傍にいられるなら
「ねぇ、しゅうくんは私のこと大好きだもんねー?」
「藍李さん以外の女性と付き合うなんて
「ふふ。よくできました。ご褒美に頭撫でてあげるわ」
「わん!」
もはや純愛というより忠愛か。俺は順調に藍李さんにペットとして調教されていた。
そんな恋人の忠犬と化した俺には、さすがの海星さんもドン引きだった。
「はあ⁉ ……お、お見苦しい所をおみせしまいした」
「い、いや。娘と仲良くやってくれているようで何よりだよ。ただ、うん。そういうプレイはできるだけ二人の時だけにしてほしいかな」
「違うんです! 普段はこんなことしてないんです! だから俺の目を見てください海星さん!」
「すまない。柊真くん。少し頭の整理をさせてくれ」
「やっちまったぁぁ⁉」
そのあと懸命な弁明の末、どうにか海星さんが俺に抱く偏見を払拭することに成功し、
「……おっとそうだ。柊真くん。キミにこれを渡しておこう」
と海星さんは胸ポケットから名刺を一枚取り出して、それを俺に渡してくれた。
「そこに私の連絡先が記載されている。何か、藍李のことで困ったらいつでも私に相談してくれ。まぁ、答えられることは好くないだろうけど」
「ちょっとお父さん? どうして彼の困りごとが私以外無いみたいに言うのかしら?」
「こ、言葉の
藍李さんの威圧に怖気づく海星さんを横目に、俺は渡された名刺を見る。
「株式会社ビビット。代表取締役……うえ⁉ しゃ、社長⁉」
名刺に配列された文字を流れるように見ていくと『緋奈海星』という名前の上に『代表取締役社長』と記載された黒文字を捉えた。
その七文字に驚愕する俺を見て、藍李さんと海星さんの二人はぎこちない笑みを浮かべた。
「言い忘れたけど、私のお父さん。家電メーカーの社長なの」
「藍李。柊真くんに言っていなかったのか」
「うん。言ったらなんだか、変に気負わせそうだと思って」
「社長⁉ 社長……社長……」
海星さんが会社の社長ならだ。つまり藍李さんは、
「本物のお嬢様じゃないですか⁉」
「あ、あはは。べつにしゅうくんが想像してるお嬢様ほどセレブではないよ」
「いやでも! 海星さんが社長で、藍李さんはその娘なんでしょ⁉ しかも、ビビットって家電メーカーとして有名じゃないですか⁉」
「おや、その口ぶりだと我が社を存じているみたいだね?」
方眉を吊り上げて問いかけた海星さんに、俺はこくこくと頷いた。
「たまたまミーチューブでアップされた動画見て、それで知りました」
「既知であるなら特に言う事もないかな。キミの言った通りだ。ビビットは主にパーティー家電の製造、販売を中心にした家電メーカーとして経営されている。私はそこの代表取締役と社長を担っている」
「ほへぇ」
「……しゅうくんの語彙力が死んじゃった」
現実味のない現実にもはや言葉が出てこなかった。カノジョの父親が有名会社の社長務めていているとか、そんなのもうフィクションだろ。
しかし、これが現実なのだ。まだ上手く咀嚼し切れていないその事実に開いた口が塞がらない俺を、海星さんは満足そうな顔をして笑っていた。
「なんか、藍李さんがこんな立派なマンションに住んでるのも納得がいきました」
最寄り駅から近く、立地もいい。部屋の数も多くリビングも広い上に日当りもいい。賃貸としては上等といっていい住み心地の良さだ。加えてマンション事体の防犯設備もしっかり整っている。
家賃は絶対高いだろうなと想像していたが、父親が社長なれば話は早い。月日の家賃など容易に支払えるわけだ。
「なんか、自分の分不相応さが際立った気がします」
「そんなこと言わないで。私たちの恋愛にお父さんの経歴は関係ない」
「藍李の言う通りだ。私の立場を気にせず、二人は二人の人生を送ればいい。私は藍李の父親として……」
そこで一度、海星さんはなぜか「くくっ」と笑って。
その反応に怪訝と眉尻を下げた俺に、海星さんは優しい眦をすっと細めて、
「――ゆくゆくはキミの義父として、二人の恋路を見守ろう」
「――っ!」
海星さんから贈られた言葉に、俺は息を飲んだ。
向けられた深藍の瞳に灯る熱量と穏やかな微笑み。それは確かに、恋人たちの未来を見守らんとする父親の表情で。
それが俺にはまるで、
「――ありがとうございます。海星さん」
きっと、いつか必ず自分の義父となる人に向かって、俺は感謝と共に深々と頭を下げた。
【あとがき】
えー。突然ですが皆様。悲報です。ひとあまですが、遂にストックの底が見え始めました。ガンガン更新し過ぎたせいであと10話くらいしかストックがありません。
カクヨムコン終了間近になにやってんだこの作者、と呆れていると思われますが、しゅうと藍李の初エチチ回後はしばらく1話更新になります。というかさせてくれっ。
……でもその初エチチ回の日は4話更新する予定なんだよなぁww
Ps:なんで二ヵ月で100話以上更新してんだ!
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