第91話  いざ、カノジョの父親と面会へ

 藍李さんから父親と面会して欲しいと懇願されてから翌日。学校が終わり、放課後はそのまま彼女の住まうマンションへと赴いた。


「大丈夫? しゅうくん?」

「人人人人人人人……大丈夫です」


 その道中、終始緊張していて動きが硬い俺を見ていた藍李さんはというと、困った笑みを浮かべながらも、どこか微笑ましそうに口許を緩めていた。


「不安なら手、握ってあげようか?」

「お、お願いしてもいいですかね?」

「あはは。うん。やっぱり緊張するよね。相手の家族に挨拶するのって」


 それを既に体験した藍李さんはどこか達観したような面持ちで笑った。


「うぅ。男のなのに情けない限りです」

「たぶん。その感覚は男と女とで異なるものだと思うよ。それに、私の方は既に梨乃さんと面識がったからあまり緊張はしなかったけど、しゅうくんは私のお父さんに会うのは初めてなわけだし、それなら緊張なんてして当然だよ」


 だから、と緋奈さんは俺の心情を理解して、そしてそれを少しでも和らげようと手を差し伸べてくれた。


「しゅうくんが今すべきことは、私に思いっ切り縋って、少しでも緊張を解くこと。昨日も言ったけど、お父さん、しゅうくんに会うの楽しみにしてるの。だからね、そんな切羽詰まった顔じゃなくて、いつも通りのしゅうくんでお父さんと向き合ってほしいな」

「――はい。分かりました」

「うん。しゅうくんの良い所は、そういう素直な所だよね」


 差し伸べられた手に。真っ直ぐに向けられた紺碧の瞳に、俺の意思はそれに服従するかのように呼応した。


 彼女の、藍李さんの手に指先が触れて、絡み合うように五指が繋がれていく。


 そうして恋人繋ぎとなった手を見て、藍李さんは嬉しそうに口許を緩めた。


「しゅうくんには私がついてるから。だから何も心配しなくていいんだよ」

「頼りっぱなしじゃ男としての面子丸つぶれですけどね」


 けれど、今は恋人がくれる安寧に浸っていたい。

 その安寧が、緊張を淡く溶かしてくれて、その中から〝勇気〟をくれるから。


「俺、超頑張ります」

「うん。一緒にね」

「あはは。はい。一緒に」


 そうだ。俺は、一人じゃない。藍李さんと一緒に、今とこれからを歩んでいくんだ。


 二人でなら、きっとどんな困難も乗り越えられると、そう握る手が温もりとと共に教えてくれて――


「あっ! 手土産のケーキ買っていかないと⁉」

「あははっ。キミは相変わらず律儀だなぁ」

「藍李さんのお父さんって何が好きですかね⁉ とりあえず好きなもの全部教えてください! それ片っ端から買うので!」

「……私のお見舞いに来てくれた時もこんな感じったのかな?」


 どうやらもう少し、藍李さんの父親に遭うには時間が掛かるみたいだ。



***


「は、初めまして! お父様! じ、自分は雅日柊真と申します! あ、藍李さんには常日頃からお世話になっておりまひゅ! ……お、おります」

「あははっ。初めまして。私は緋奈海星かいせいだ。キミに会えることを、ずっと楽しみに待っていたよ」


 そうしてついに訪れた、藍李さんの父親との面会の時間。その邂逅かいこう一発目で盛大に噛んでしまって顔を羞恥しゅうちで赤く染める俺に、藍李さんのお父さん――海星さんは大人の対応でスルーしてくれた。


「あ、あの、これ。つまらないものですが、よろしければどうぞ」

「おや、いいのかい? ……中身はケーキ?」

「はい。藍李さんから聞いて。お父様もケーキが好きだと聞きましたので……一応、お父様の好物だと言われたものを一通り買っておきました」

「そんなに買ったのかい⁉」

「私は一つでいいって言ったんだけどね。でも、しゅうくん緊張も相俟って全然耳を傾けてくれなくて」

「あ、あはは」


 言えない。とにかく海星さんに気に入られたいが為に買っただなんて絶対言えない。


 その思惑は胸裏にそっと隠しておいて、海星さんは俺から受け取ったケーキが梱包されている箱を受け取ると藍李さんに振り向いた。


「せっかくだからこれでティータイムにしようか。立ち話もなんだし、キミとはゆっくり話がしたいからね。藍李。悪いけど紅茶を用意してくれるかい?」

「分かった。それじゃあ、しゅうくん。少しだけお父さんとリビングで待ってて」

「わ、分かりました」


 海星さんの指示に藍李さんはこくりと相槌あいづちを打った。それから彼女は俺に目配せで『頑張って』とウィンクを飛ばしたあと、足音を鳴らしながらキッチンへと向かった。


 離れていく藍李さんを背中を名残惜しく見届けながらも、俺は正面、海星さんと再び向き合った。


「たぶん緊張しているだろうけど、なに、そこまで私に怯える必要はないよ。キミのことは既に藍李から聞いている。――娘と結婚を前提にお付き合いしてくれているんだろう」

「も、もうそこまでご存じなんですね」

「あははっ。驚くのも無理はないね。おそらくキミが今想像した通り、おおむねねの事情は藍李から知らされているよ」


 だから変に気負わなくていい、と海星さんは朗らかな笑みを浮かべながら言ってくれた。


『なんだか、俺の父さんみたいな人だな』


 その常に凛とした振る舞いや言葉遣いに、俺は自分の父さん、久遠と海星さんを似重ねる。


 顔立ちは血族ではないから当然似ていない。父さんは穏やかな顔立ちだが、海星さんは30代後半の男性の独特の渋さと精悍さが目立った輪郭をしている。が、立ち姿や人との接し方、語勢や優しい眦なんかが俺の父さんとそっくりだった。


 これが大人の男性全員に共通して言えることなのかは分からないが、少なくとも、海星さんにあった緊張や畏怖いふというものが自分の中から引いていくのを感じた。


「その、藍李さんが戻ってきたら改めてちゃんと報告します。けれどその前に、どうしても藍李さんのお父様に言いたいことがあります」

「ふ。海星と呼んでくれ」

「か、海星さん」

「なんだい?」


 精悍な顔つきから放たれる穏やかな声音がほんのわずかに躊躇ためらう俺の背中を押してくれた。凛とした表情に浮かぶ優しい眦が藍李さんそっくりだなと思わず苦笑してしまいながら、先を促す海星さんに俺は頭を下げた。


「俺は、緋奈藍李さんと結婚を前提にお付き合いさせていただいています。まだ子どもで、何の責任も果たせない未熟者ですけど、それでも彼女を想う気持ちは本物です」

「――――」

「今は、認められないかもしれません。でも、海星さんに認めてもらえるよう、誠心誠意努力していきます。ですから、どうか――」

「柊真くん」


 交際を認めてはくれませんか。その、先に続く言葉を遮ったのは、頭上から聞こえた俺の名前を呼ぶ声だった。


「顔を上げてはもらえないだろうか」

「――はい」


 その、ひどく静かで、けれどどこか悲痛の想いを堪えたような声音に促されて、俺は頬を硬くしながら顔を上げた。


 ゆっくりと、上げていく顔がやがて正面を捉えた瞬間。黒瞳に映った男性の表情に息を飲んだ。


「ぁ――」

「はは。なるほど。どうやらキミは、娘から聞いた通りの子なようだ」


 その人は、その男性は、最愛の人の父親は――海星さんは、正面に拳を硬く握り締めながら立ち尽くす青年を微笑ましそうに見つめていて。


 その浮かび上がった穏やかな顔に息を飲んだ俺に、海星さんはそっと肩に手を乗せると、こう言ってくれた。


「私はもう、キミのことを〝認めて〟いるよ」

「――っ」

「なんとも不思議な気分だ。キミとはまだ会って間もないと言うのに、しかしキミが私の娘を心底愛してくれていると分かる。娘のことを、本当に大切に想ってくれていると分かるのは」

「――はい。俺は、藍李さんを心の底から尊敬して、そして愛しています」


 逃げちゃいけない。向き合わないといけない――俺の口唇こうしんからこぼれ落ちた言葉は、そんな強迫観念に囚われた果てに振り絞ったものではなかった。


 娘を想う父親の気持ちに応えなければと、そう心が呼応したが故に自然と胸裏に抱き続ける感情を引っ張り出されたのだ。


 心の底から。魂に刻み込まれた熱情を聞き届けた海星さんは、一瞬目を見開いて、それからゆっくりと、藍李さんよりも深い藍の双眸を細めた。


「はは。どうやらキミの娘を想う気持ちは、どうやら私が娘を想う気持ちよりも遥かに強く、強固なものらしい。――藍李さんのことをそこまで本気で想ってくれて、ありがとう」


 乗せられた手のひらに力がこもる。それはまるで、キミに娘を託す、そう言われているみたいで。


「キミが藍李の恋人でよかった」


 その願いを、祈りを、感謝に触れた俺は、再び深く、深く頭を下げた。


「ありがとう、ございます。俺を、藍李さんの恋人と認めてくれて」


 紅茶が用意されるまでのたった数分の会話。けれどそのわずかな時間で、俺と海星さんのぎこちなさは完全になくなったと思う。


 そんな、父親と恋人のぎこちなさが少しずつ解けていく光景を、カノジョは遠くから微笑ましそうに眺めていたのだった。




【あとがき】

本日コメント付き★レビューを付けてくれた読者様がいました。いつも応援コメントくれる方でした。これを励みに叡智なシーン書きまくります。やっと一回目の叡智シーン書き終わったから来週には公開するぞっ。


Ps しゅうのぱぱの名前は『久遠』、そんで藍李のパパは『海星』とかカッコ良すぎな件について。まぁ、個人的にキラキラしてるなとは思うよ。あ付けたの俺か。

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