第90話 外堀を埋めよう EX編突入!!
「いやぁ。すいません。恥ずかしいところをお見せしちゃって」
「あはは。そんな謝ることじゃないよ。むしろ、ちょっと嬉しかったかも」
姉弟喧嘩もひと段落し、今は束の間の恋人の時間。ちなみに、姉ちゃんはとういうと、母さんに呼ばれてキッチンにいる。
ガニ股歩きで去っていく姉にため息を落としながら藍李さんに謝罪すると、彼女は何故か、えへへと嬉しそうにはにかんだ。
そんな恋人の不思議な反応に眉根を寄せる俺に、銀鈴の鈴のような美しい声音はそこに親愛を乗せて言った。
「二人が普段どんな風に一緒にいるのかまた少しだけ知れた気がするし、それに何よりも、私のことであんなにも喧嘩してくれるのが嬉しかったんだ」
「……藍李さん」
「元々二人から好かれているなと自覚はあったんだけどね。でも、さっきの喧嘩を聞いて、あぁ、二人は本当に私のことを想ってくれてるんだなって、それが言葉の
そう言って、藍李さんは胸の前で両手をぎゅっと抱きしめた。俺には、それがまるで心の中で生まれた温もりに触れて、そして慈しむように見えて。
「当然でしょ。俺は言うまでもなく、姉ちゃんも、藍李さんのことが大好きですから」
「えへへ。二人と仲良くなれたことが、私にとっては人生最大の幸福かな」
「やかましい姉弟に絡まれて迷惑じゃありません?」
「やかましいなんて全然思わないよ。しゅうくんは私の世界で一番大切な恋人で、真雪は世界で一番大切な親友だもの」
「そう言ってもらえると、あの忙しない姉の弟としては溜飲が下りますね」
「ふふ。真雪もしゅうくんも、まとめて私が面倒みてあげるね」
「えー、姉ちゃんよりも俺を優先してくださいよ。恋人なんですから」
「ふふ。それじゃあ少しだけ、真雪にあげる愛情をしゅうくんに注いであげようかな」
「よっしゃ」
どうだ姉ちゃん。これが恋人特権だ。この人の愛情は、いつか俺が全部もらうからな。ぐへへ。
そうして微笑みを交わし合っていると、唐突に藍李さんが「あっ」と何か思いだしたような声を上げた。
小さく開いた口を抑える所作もまた淑女然としているなと見惚れていると、そんな俺に向かって藍李さんがこう言った。
「そういえば。ねぇ、しゅうくん。明日、私のお父さんがお仕事から帰って来るんだけど……」
直感的に嫌な予感がして、俺は冷や汗をかく。
そして、そのわずか一秒後。ニコッと微笑んだ藍李さんの顔を見てその予感が予想通り的中した。
「私のお父さんに会ってみない?」
「やっぱりかぁ」
こちらの反応を
そんな恋人から向けられる期待の眼差しに、俺は意外にも早く到来したカノジョの父親に会う、というカレシ側からすれば修羅場と呼ぶに相応しいイベントの発生に大きく吐息をこぼす。
気が進まない俺の表情を見て、藍李さんは慌ててフォローしてくれた。
「えっとね、べつに今すぐにじゃなくてもいいし、無理に会おうとしなくてもいいのよ。ただ、私の方は既にしゅうくんのご両親に〝婚約者〟として認めてもらえたわけだし、それならしゅうくんにも私のお父さんと会って結婚を前提にお付き合いしている人がいるって改めて紹介しておきたくて。その方がもっと正々堂々と恋人としていられるかなって」
「なるほどぉ」
テーブルに項垂れながら、俺は藍李さんのその判断に実に合理的だと感服した吐息を
「でも、もしいきなり藍李さんのお父さんに挨拶しても平気なんですかね? その、挨拶しても認めてもらえるかはどうかは別じゃないですか?」
それが俺としては唯一の懸念材料だった。挨拶するのはいいとしても、ドラマなんかでよくある『お前に娘はやらん!』なんて展開が起きてしまったら後が気まずい。
そんな俺の懸念は、藍李さんが軽やかに笑って払拭してくれた。
「あっ。それは大丈夫。私の方からもうしゅうくんとの関係性はお父さんに言ってあるから」
「え、どんな風に?」
「結婚前提にお付き合いしている子がいるって」
「めちゃくちゃハードル上げてくれましたね⁉」
俺、藍李さんのお父さんに締め上げられないか⁉
娘にいきなりカレシが出来て、その上自分の知らない所で結婚前提……何なら片方の親にはもう『婚約者』として認識されている状態って……文章化しただけでも娘の父親ならその男を血祭にしたい気がするのだが⁉
「藍李さん。また俺の知らない所で外堀埋めてたでしょ」
「言ったでしょ。逃がさないって」
「もうとっくに檻に閉じ込められてるんですけど⁉」
この人はまた、俺に内緒で俺を捕えて逃がさない為の包囲網を
しかも今回は藍李さんの父親きた。きっと、仮の交際を始めてからずっと自分に恋人ができたことを父親に伝えていたのだろう。そうして盤面がほぼ整った瞬間を見計らって、最後の大一番――父親に挨拶というもはや〝逃げようのない現実〟に俺をぶつけてきたわけだ。本当に退路がことごとく潰されていくな。
「藍李さん。愛が重すぎです」
「しゅうくんならそれを全部受け止めてくれるって信じてるから」
「そりゃ受け止めますけど……」
「ふふ。なら何も問題ないね。お父さんも、しゅうくんと会うのすごく楽しみにしてるよ」
「この知謀者め」
「しゅうくんを捕まえる為なら何でもやるわ」
「……藍李さんから逃げらんねぇ」
「逃がさないよ。一生ね」
俺はこの人から一生に逃げられないのだと、浮かび上がる不敵な笑みがそれを如実に物語っていた。
その、愛しのカノジョからのある意味では挑戦状を叩きつけられている状況に、俺は諦観を悟ったように大仰なため息を落とすと、
「はいはい。分かりましたよ。明日。藍李さんのお父さんに挨拶すればいいんですよね」
「いいの?」
「どのみち藍李さんとこれからも付き合っていくなら遅かれ早かれ通る修羅場なんですし、それなら早めに済ませてしまった方が俺としても気楽ですから」
「ふふ。しゅうくんなら
嬉しそうに声音を弾ませる藍李さんを見てしまえば、この決断なんて易いものだと思わされる。
要は、この試練さえ突破してしまえばあとはもう藍李さんと誰にも邪魔されることなくイチャイチャできるわけだ。ならば、この機会はむしろ最大の好機だと思ってしまえばいい。
けれど、やはり不安というものは募るわけで。
「藍李さんのお父さん。俺を婚約者だって認めてくれるかなぁ」
「ふふ。きっと大丈夫。しゅうくんのこと、もうたくさんお父さんに話してあるから。お父さんも早くしゅうくんに会ってみたいって楽しみにしてるんだよ」
「うっ、今から緊張で足が震えてきた。……お父さんの前でゲロ吐きませんように」
「……あはは。私のお父さん。そんなに怖い人じゃないから安心してほしいんだけど」
何はともあれ、こうして俺は明日、藍李さんの父親と面会することが決まった。
――ただ、唯一の気掛かりは、やはりこの会話でも、『母親』の存在は一切上がらなかったことだった。
『……ひょっとして、藍李さんの家庭って』
その懸念は明日、緋奈家の過去とともに全て明かされることを、この時の俺はまだ知るよしもなくて――。
【あとがき】
そんなわけで藍李パパと面会イベントです。はたしてパパンに血祭にされるか、それとも婚約者として認められるのか。――そして、緋奈家の過去とは。
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