第87話  婚約者として

「結局、また藍李さんに先を越されちゃったなぁ」

「あはは。ごめんね。急に押しかけた上にあんな宣言までしちゃって」

「いや、あれは忘れてた俺も悪いですしお相子ですよ……でも、まさか本当に婚約者になってしまうとは」


 家族への紹介と挨拶を済ませたその後、現在いまは帰宅する藍李さんを最寄り駅まで送っている最中だった。


 姉ちゃんも藍李さんの見送りをしたかったらしいが、俺が恋人同士で話しがしたいことがあると説得したら今回は渋々であったが譲ってくれた。


「ねぇ、しゅうくん」

「なんですか?」


 ふと名前を呼ばれて返事をすれば、それまで繋がれていた手を離して緋奈さんが足を止めた。


 そんな彼女に眉根を寄せながら向かい合うと、藍李さんはそれまでご機嫌だった表情から一転、どこか思い詰めた表情を浮かべながら俺に訊ねた。


「やっぱり、迷惑だったかな?」

「迷惑?」


 ぽつりと、沈む声音に首を捻れば、藍李さんは申し訳なさそうに瞳を伏せた。


「しゅうくんも、しゅうくんの家族も私を〝婚約者〟だって認めてくれた。でも、今日私がしたことは、しゅうくんに強制的に決断を迫らせた」

「――――」

「ごめんね。また一人で勝手に決めて、暴走して」


 落ちた声音と沈む顔には、悔悟の表情が強く濃く表れていた。


「たしかに。親に報告する前に一度、俺に言って欲しかったです」

「そう、よね」

「事前に話してくれれば、俺の方からちゃんと母さんと父さんに藍李さんとはそういう関係だって言えました」


 ゆっくりと手を握ると、恐怖からか藍李さんは反射的にぎゅっと瞼を閉じた。まるで親に怒られる子どもみたいな反応だった。


 そんな反応を示すということはやはり、今日の行動が最適ではないということを理解しているのだろう。


「俺、どうやら藍李さんのこと勘違いしてたみたいです」

「……どんな風に?」


 藍李さんは俯いた顔のまま、俺の言葉の先を促してくる。前髪にさえぎられて見えない表情を頭の中で想像しながら、俺は穏やかな声音で告げた。


「昔は、藍李さんは聡明で何事にも動じない人なんだって思ってました」


 いつも遠くから見る藍李さんは青薔薇のように凛として可憐だった。


 けれど、こうして共にいる時間を重ねてから、そんな印象は変わって。


「今の藍李さんは子どもみたいです。よく笑うし何気ないことでねるし、俺を揶揄うのに全力を尽くしてくるし、言う事を効かずにすぐ勝手に何か決めて暴走する」

「幻滅、した?」


 おそるおそる、俺の表情を窺うように、藍李さんは俺の言葉を受け止めながら顔をゆっくりと上げる――上げて、大きく瞳を揺らした。


 呆気取られた表情。彼女が息を飲んだのは、俺が、ひどく穏やかな微笑みを浮かべていたからで。


「幻滅するはずないでしょう」

「――ぁ」

「そういう所も全部ひっくるめて、俺はアナタを愛してます」


 空いた口を塞げず、込み上がる激情に歯止めが効かずに手を震わせる藍李さん。そんな手を、俺は両手でそっと優しく握りしめた。


「子どもぽっくて、全然俺の言う事を聞いてくれなくて、俺を揶揄う度に笑顔を魅せてくれる。そんな藍李さんが好きなんです」


 たしかに昔と今の彼女は変わった。けれどその変化が起きたのは、俺のせいだとよく知っている。


 昔の淑やかに笑う彼女はもういないのかもしれない。それを奪ったのは俺だから。


 今の彼女は嬉しそうに笑う。嬉しい時には目いっぱい笑って、悲しい時には顔をくしゃくしゃにして涙を流す。


 昔の彼女は、どこか近づきがたい印象があった。それ故に、俺は藍李さんを崇拝対象として羨望していたのだろう。


 けれど、今はもう違う。今はもう、崇拝対象ではなく、恋愛対象として世界に一人しかいない緋奈藍李という女性に惹かれている。


「急に押しかけて婚約者を名乗ってもいいです。俺は全部受け止めるから」

「――――」

「アナタが俺を好きでいてくれる限り、想ってくれている限り、俺はアナタの下から絶対にいなくなりません――俺は、藍李さんだけのものですよ」


 それを人は従順なペットと呼ぶのかもしれない。


 それでいい。


 ペット上等。藍李さんが望むなら、俺はペットだろうが召使だろうが婚約者だろうが何でもなってやる。


「嬉しかった。藍李さんが俺のことを婚約者だって家族の前で宣言してくれた時。隣に立っていいんだって、自然と胸を張れた」

「迷惑じゃなかった?」

「アナタが認めてくれたことの何が迷惑なのか分かりません」

「強引な女だなって思わなかった?」

「まぁ正直それは思いましたけど……でも、その強引さが緋奈藍李でしょう?」

「――っ!」


 意地悪な、悪ガキのような笑みを浮かべてそう言えば、藍李さんの紺碧の瞳が大きく、一際に、大きく揺れた。


「よかったですね。藍李さんの努力がやっと叶いましたよ。俺を捕まえられて満足してますか?」

「……うん。大満足してる」

「はは。ならよかった。こんなにも俺を欲してくれるの、きっと世界中どこを探しても藍李さんだけですよ」


 俺を手に入れる為に秘密裏に事を立て、緻密に外堀を埋めていき、死力を尽くす女、それが緋奈藍李だ。


 そんなに女に惚れたのが、雅日柊真なんだ。


 彼女が俺にくれるちょっぴり重たい愛が、俺にはちょうどいい――一年。片思いを続けてきたその空白を、埋めるくらいの愛が、今の俺は欲しい。


「ねぇ、しゅうくん」

「はい。なんでしょうか」


 際限なく込み上がる愛慕。それを惜しげなく伝えられた藍李さんは、その瞳を潤ませて唇を震わせる。


 どこか切なげな表情。けれどそれ以上に、別の感情が浮かび上がっていて。


 分かる。


 今、彼女の気持ちが理解できる。


「アナタの婚約者として胸を張れるよう。私は努力することを誓うわ」

「あはは。なら、俺はもっと頑張らないとですね。アナタに置いて行かれないよう」

「ダメよ。しゅうくんは将来、私に養われるの」

「獣医になる夢潰さないでくれます?」


 お互い、そんな言葉を交わし合って、微笑みを交わす。


 きっと今の藍李さんは、こう想っているはずだ。


 ――私はいま、とっても幸せだよ、って。


「ありがとう。しゅうくん。こんなみにくい私を受け入れてくれて」

「藍李さんのどこが醜いんですか。アナタは今も昔も変わらず綺麗で、ずっと俺の憧れの人ですよ」


 そして、この先もずっと好きでいる人だ。


「さ、帰りましょうか」

「うん。ねぇ、しゅうくん。手、繋ご?」

「もちろんです。駅に着くまで離しませんからね」

「うん。絶対に離さないでね」


 硬く結び合う。五指を余すことなく絡めて、決して解けないように。


 俺を認めてくれてありがとう。藍李さん。

 私を受け入れてくれてありがとう。しゅうくん。


 きっとこの先、何年経とうと、俺たちの想いが変わることはないだろう。


 そう思うのは、繋ぐ手に恋人からの際限なんてない愛情が伝わってくるからだ。




【あとがき】

高校生なのにもう結婚約束してる……という感想は次話に登場する心寧と鈴蘭が代弁してくれるのでそれまでお待ちください。


そして我らが藍李さんがまた爆弾発言します。次から3章2幕目に入りますが、2幕目も藍李さんエンジンフルスロットルですww


3章2幕のタイトルは【 緋奈藍李は年下カレシとえっ〇したい 】です。


是非楽しみにしてるといったご感想を~♪

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