第86話  外堀を埋めよう――最終段階っ

 

 急遽来訪した俺の恋人、藍李さんを交えた昼食も和気藹々わきあいあいとした中で終わりを迎え、現在は改めて彼女を両親に紹介していた。


「母さんの方はもう藍李さんと面識があるのは知ってるけど、父さんは会うのは今日が初めてだろうし紹介するわ。こちらが俺の恋人の緋奈藍李さん」

「改めまして、雅日柊真さんのこ――〝婚約者〟の緋奈藍李です!」

「「えっ⁉」」


 俺の紹介を継ぐようにして両親に挨拶した藍李さん。しかし、その名乗りに雅日家一同が騒然とした。


 両親や姉ちゃんだけでなく、俺までも。


「しゅうくん? その「えっ⁉」はどういう意味かなぁ?」


 凄まじい威圧を放ちながらそう追求してきた藍李さんに、俺は狼狽しながら応じた。


「いや! だって婚約者って……俺たちまだ恋人になったばかりじゃないですか!」

「うんうん。そうだね。私たちはまだ正式・・には付き合って日が浅い」


 藍李さんは「でも」と継ぐと、


「私、前にしゅうくんに言ったよね。私たちが付き合う時は、〝結婚前提〟だよって」

「ちょ、ちょっと待ってください。今その時の会話思い出すんで!」


 悪戯に双眸を細めて言った藍李さんに、俺は必死に記憶をさかのぼる。


 いつだ? いつの日だよそれっ。くそ分かんねぇ! 記憶の大半が昨日のキスに埋め尽くされてるせいだ!


 たしかに思い返してみれば、そんな事を宣誓された記憶はある気がする。朧気だが、なんとなく思い出してきた。


 想起した記憶に頬を引きつらせながら、俺はむっとした表情をしている藍李さんに問いかけた。


「でも、本当に俺が藍李さんの婚約者になっていいとか、正気ですか?」

「私はしゅうくんと別れる気はありませーん」


 とわずかに怖気づく俺を意気地なしとでも言うように頬を膨らませてそっぽを向いた藍李さんは、そのまま母さんと父さんに向き直った。


「いきなりこんな事を言うのは驚かれて当然だと思います。けれど私は、心の底から雅日柊真さんを愛しています。まだ私たちが子どもで、何の責任能力がない学生だということは重々承知しております。けれど、彼を愛する想いは本気です。この恋慕を、他の誰にも譲る気もなければ、裏切るつもりもありません」

「――――」

「私にとって彼は、それだけ大切で、私にとってなくてはならない人なんです」


 その、覚悟をはらんだ藍李さんの言葉に、俺だけでなく両親、姉ちゃんまでもが息を飲む。


 そうして雅日家一同が茫然とする中、確固たる決意を宿すまなじりせる藍李さんは、俺の家族へ深々と頭を下げた。


「どうか。私を彼の婚約者として認めていただけないでしょうか」

「……藍李さん」


 押し黙る両親を一瞥して、俺は真摯しんしに訴える恋人を見つめる。


 藍李さんは、本当に本気だ。そう痛感させるのは態度だけじゃない。言葉が、目には視えない意思が、俺を〝婚約者〟にしたいと望んでくれている。


 ――だったらもう、俺の方も引き下がるわけにはいかなくて。


『カノジョにばっかカッコつけさせるな。俺。この人の隣に、並びたいんだろ」


 隣で、懇々と頭を下げ続ける恋人から視線を切ると、俺も両親へと向き直った。


 そして――


「俺の方からも、お願いする……いや、お願いしたいです。約束する。絶対に藍李さんを悲しませない。幸せにする。だから、認めて欲しい」

「「…………」」


 俺たちを〝婚約者〟として〝認めて〟もらう為に、頭を下げた。


 本来であれば藍李さんのことをカノジョとして紹介するはずだった場が、彼女の覚悟によって瞬く間に厳粛げんしゅくな場へと切り替わってしまった。


 その空気に姉ちゃんはぽかーんとした顔で完全に置いてけぼり。父さんと母さんはというと、ただ頭を下げる俺たちに何も言わず沈黙していた。


 静寂が、何分続いたか。時間の感覚が曖昧あいまいになるほど続いた緊張感は、一つの嘆息によって解かれた。


「顔を上げなさい。二人とも」

「「――――」」


 母さんの声だ。辟易へきえきとした声音に促されるままに俺と藍李さんはゆっくりと顔を上げた。


 そうして上げた先で捉えたのは、まるでいつかはこうなることが判っていたかのように、そんな風に微笑む両親の顔があって。


「二人の関係を認める前に一つ。しゅう。貴方に確かめておきたいことがあるわ」

「なに」


 真剣さを帯びた双眸を真正面から受け取れば、母さんは一拍置いて覚悟を問うてきた。


「アナタも藍李さんと同じくらい――いいえ、それ以上に彼女のことを想っているかしら?」

「――はっ」

「?」


 母さんの問いかけに思わず鼻で笑ってしまって、そんな俺の反応に全員が眉尻を下げる。


 この厳粛な空気を壊しかねないような嘲笑しょうちょう。それが意図せず漏れてしまったのは、母さんの問いかけがあまりに愚問だったからだ。


 そんなもの、考える必要もなければ、戸惑う理由もない。


 だって、そうだ。俺は心の底から彼女を、藍李さんを愛しているのだから。


 だから断言できる。だから羞恥心しゅうちしんなんてなく家族の前で告げられる。だから、最愛の人を前にしても堂々と伝えられる。


「そんなの『はい』の一択に決まってるだろ。俺は藍李さんの手を二度と離すことはないよ」

「っ!」

「俺は彼女を、藍李さんを本気で愛してる。世界で一番、誰よりもだ」

「――しゅうくん」


 そう宣言しながら家族へ見せつけるように、俺は藍李さんと繋いだ右手と左手を掲げた。


 その宣言と唐突に俺が手を絡めてきたことが予想外だったのだろう。藍李さんは珍しく驚いた顔をしていて、そして顔を真っ赤にしていた。


 そういう可愛い反応。大好きです。


 その笑顔を、独り占めしたいから。俺だけに向け続けて欲しいから。


「改めて紹介するよ。俺の恋人で」


 そして、


「婚約者の緋奈藍李さんだ」


 認めて欲しい。違う、認めさせる。


 俺が藍李さんの婚約者で。


 藍李さんの婚約者が俺ということを。


『それでいいんですよね、藍李さん』

『ありがとう。しゅうくん』


 微笑みを向ければ、藍李さんも嬉しそうに微笑みを浮かべてくれていて。


「改めまして、雅日柊真くんの婚約者の緋奈藍李です。――これからよろしくお願いします。お義父様。お母様。――それから、真雪お義姉おねえちゃん」

「お、お義姉ちゃん……だとっ⁉」


 藍李さんから向けられた慈愛を宿した双眸とその呼び名を受けて、それまで茫然自失としていた姉ちゃんの瞳にハイライトが灯った。


 それから、姉ちゃんは「おっ、ふおぉぉぉ」とかいう訳の分からないうめき声を上げたあと、胸に渦巻いた感情を爆発させるかのように藍李さんに抱きついた。


「しゅう! アンタ! 絶対に藍李と結婚しなさい! これはお姉ちゃん命令だ!」

「いやその為に今母さんと父さんに承諾貰おうとしてるんだろ」

「お母さん! お父さん! 私この子欲しい! 世界一可愛い義妹が欲しいよ!」

「むぎゅぅ。ま、真雪。あまり強く抱きしめられると苦しいわ」

「最愛の義妹にたっぷり愛情を注ぎこまないとお義姉ちゃん失格でしょ!」

「……気が早ぇよ」


 と五歳児が欲しい玩具を見つけたようなキラキラした瞳で両親を見つめる姉ちゃん。どらかといえば姉ちゃんのほうが妹だろ、という感想は世界一可愛い義妹の義姉になろうとしている我が実姉の自尊心の為に胸にしまっておこう。


「……やってることえぐ」

「ふふ。使えるものはなんでも使う。それが私だから」


 姉ちゃんが藍李さんのこと大好きなのは周知の事実。そして、彼女はそれを巧妙に利用して姉ちゃんは自らの懐に取り込んだ。でもそこに本物の愛慕がなければ、姉ちゃんをここまで容易く篭絡ろうらくさせることはできなかっただろう。


 結局雅日姉弟はこの人の手のひらの上なんだなぁ、とその事実に苦笑を隠し切れずにいると、正面からどっと疲れたようなため息が聞こえた。


 それを落としたのは父さんで、雅日家の大黒柱を諦念を悟るようにぽつりと呟いた。


「真雪までこうなってしまえばもう、彼女を受け入れざるを得ないわね」


 父さんはそう小さく呟いたあと、俺に真剣な眦を向けてこう問いかけてきた。


「しゅう。絶対に藍李さんを裏切らない?」

「裏切るわけがない」

「……裏切ったら地の果てまで追いかけるからね」

「ひっ」


 耳元でさらっと怖い事を言われた。ぶるっと背筋を震わせる俺を余所に、父さんは短く、けれど全てを吞み込んだように顎を引くと、


「まだ、藍李さんのご家族からの了承は得ていない」

「――――」


 一瞬身構えるもしかし、それは直後の柔和な微笑みによって霧散され、


「けど。僕の方はもうキミを認めているよ」

「ほ、本当ですか⁉」


 にこっと笑った父さんの意思表示に、藍李さんは嬉々とした表情を浮かべた。

 

 そんな藍李さんに父さんは「うん」と顎を引くと、


「母さんも、いいね?」

「あれだけ情熱的な説得されて根負けしない方が無理よ。はぁ。全く。しゅうのこの誠実さと一途なところ、昔のアナタにそっくりだわ」

「はは。当然だろ。だってしゅうは僕の息子だからね」

「訂正、今も、だったわね」


 そんな、二人だけの会話が短く応じたあとに。


「緋奈藍李さん」

「はい」

「これから、私たちの息子をよろしく頼むね」

「――っ!」


 それはつまり。両親は俺たちの関係を認めてくれた、ということだろう。


 父さんと母さんは互いに朗らかな笑みを浮かべながら藍李さんを見つめていた。そんな両親からの期待と信頼を彼女は真っ直ぐに受け止めて。


「――はい。必ず、しゅうくんを幸せにしてあげます」

「かっけぇ!」


 そんな揺らぎない意思を瞳に湛えて誓ってくれた藍李さんに、俺はまた彼女に惚れ直してしまう。


 何度も何度も、きっと、この先何度も彼女に惚れ直す。そう思うのは、これから年下男子を全力で篭絡させしようという魂胆が抑えきれずに浮かび上がった不敵な笑みを見てしまったからで。


『あぁ、やば。藍李さんに手懐けられるの、ちょっと期待してる自分がいる』


 そんな笑みに見惚れてしまう時点で、既に俺は手遅れなのだろう。


 藍李さんに堕とさられる。堕落させられる――それを、他の誰でもない。俺自身の心が望んでいる。


 ――こうして、俺と藍李さんは〝婚約者〟となったのだった。





【あとがき】

昨日は2名の読者さまに★レビューを付けて頂きました。まだ★押してないという方は、『婚約者』となったしゅうと藍李さんの未来に期待を込めて押して頂けると作者の励みになります。


そして3章展開エグ過ぎだろ! と思った読者様は是非ご感想を送っていただけると作者がにやにやします。


Ps:本話は元々恋人として親に紹介する予定だっけど、いつかの感想で『婚約者になった話楽しみにしてます!」というコメント見て構成変えました。おかげで藍李のブレーキがまた壊れちゃった☆彡

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