第85話  柊真の意外な特技

「くあぁぁ」


 日曜日。大きな欠伸を掻きながらリビングに着くと、寝ぐせを立たせる俺に母さんがぱちぱちと目を瞬かせながら「おはよう」と挨拶を送って来た。


「はよ」


 まだ覚醒前の意識下でそう短く返すと、母さんは何やら怪訝けげんな目で俺を見つめてくる。


「なに?」

「あぁいや。今日は珍しくこんな時間に起きてきたなーって思っただけど」


 言われてみれば、と俺はコップにウォーターサーバーの水を注ぎながら苦笑をこぼした。


 最近はずっと藍李さんに会う為に早起きしてから、昼頃まで寝てた俺に母さんは驚いているのだろう。


「今日は藍李さんの家に行かないから、ちょっと多めに寝てた」

「もう普通に藍李ちゃんの名前挙げるようになったわね」

「もう母さんに報告したしこれ以上うやむやにしても無意味だろ」

「大胆になったというべきか、厚顔無恥というべきか。まぁ、しゅうが藍李ちゃんと上手くやってるなら母さんからは何も言う事はないわ」


 諦観したような、呆れたようなため息を落として、母さんは開き直った息子の態度に額に手を抑える。


 藍李さんと正式に恋人になるまではあれほど関係を秘匿したがっていた息子が、いざ正式に付き合い始めた瞬間に躊躇いもなく藍李さんとの関係を露呈し始めたのだ。


 母さんが困惑する気持ちは重々理解している。しかし、俺は藍李さんとの進展を報告するのを辞める気は毛頭なかった。


 隠すくらいならいっそ全て打ち明けて、余計な詮索をさせないほうがずっと賢明だ。


 それに、母さんは既に藍李さんとは面識がある。二人がどこまで関係を築いているかは分からないが、これまでの会話を鑑みれば良好だと捉えていいだろう。


 俺にあの人につり合う恋人カレシになれと言ったのだ。母はきっと、もう藍李さんのことを認めてくれている。なら、俺も堂々として自慢のカノジョを紹介すべきだ。


「できるだけ早く母さんと父さんにも紹介するよ。きちんと、藍李さんのことを二人に知ってもらいたい」

「変わったわね」


 母さんは成長する息子の姿を瞳に捉えると、嬉しそうに淡い微笑みを浮かべた。

 俺は母さんから向けられるその視線に照れくさくなってつい目を逸らしてしまいながら、


「すごくいい人だからさ。俺のカノジョ」

「ふふ。知ってるわ。しゅうのカノジョには勿体ない人だものね」

「うっせ」


 頬の熱を冷ますように、あるいは、照れ隠しのためにコップに含んだ水を一気に喉に流し込んだ。


 それからもう一度コップに水を注いでから、俺は先ほどから視界に映り込んでいた〝それ〟にようやく触れた。


「ところでこのクーラーボックスはなに?」

「あら。アナタなら聞かなくとも分かるはずでしょ」


 母さんに訊けばそんな答えが返って来て、俺は答えになってねぇ、と頬を引きつらせる。


 まぁ、たしかに判るけどさ。


 台所に居座るようにして鎮座しているクーラーボックスを意識の端に置きつつ、俺はそれを置いた張本人の下へと向かった。


 その人は現在、朗らかな表情を浮かべながらソファーに座っている。


 それにならうように俺は彼の隣に座ると、話し始める前に一度水で喉を潤した。


 そして、


「おはよう。父さん」

「おはよう」


 父に挨拶を送ると、休日のぽかぽか陽気をそのまま表情に移したかのような笑みが返って来た。


 その穏やかな笑みを浮かべる父に、俺は台所に置かれているクーラーボックスを一瞥いちべつしてから訊ねた。


「釣り行ってきたの?」

「あぁ。南房総まで、会社の人たちと一緒にね」


 そこだけ切り取ると休日接待でも行って来たかのように聞こえるが、実際は真逆だ。


「しゅうも来たかったかい?」

「いいよ。会社の釣り仲間と楽しく釣りに行くってのに俺は邪魔だろ」

「あはは。そんなことはないよ。釣り仲間は多ければ多いほどいい。大きな魚を釣った時の感動も釣果も分け合えるからね」

「なら今度は俺を叩き起こしてくれ。南房総で釣りとかめっちゃ行きたかったわ」

「了解」


 父なりに息子の体調を慮っての判断だとは理解しながらも口を尖らせれば、そんな拗ねる息子に父さんは嬉しそうに唇に薄く弧を引いた。


 ここまでの会話を聞けばもう分かるだろう。


 父さんは休日接待に赴いたわけではなく、自主的に会社の釣り仲間と魚釣りに出向いていた。


 そう。父さんの趣味は釣りだ。そして、俺も釣りが好き。


 しかも今回釣りに行った先が南房総と聞けば、俄然悔しい気持ちが込み上がる。


 そんな気持ちは早々にため息として吐き出して、俺は父さんと共にクーラーボックスの下へと向かった。


 父さんの満足げな顔からしてそれなりに釣果はよかったのだろうと推察できるが、果たしてクーラーボックスの中身はいかほどか。


「――おぉ。けっこう釣れたじゃん」

「うん。爆釣だったよ」

「くそ羨ましい」

「ごめんごめん。今度はちゃんとしゅうも連れて行くから」


 蓋を開けるとボックスの中にはかなりの魚が入っていた。それに驚けば、父さんは誇らしげに鼻を擦った。


「釣れたのはタイとカサゴ、アジとイカか」


 特に目を惹くのはイカの数だ。その数なんと7杯。ボックスの中身のおよそ三分の一がイカだった。


 そうしてボックスに入っている魚とイカに夢中になっていると、ふと隣から肩を叩かれた。その意味を瞬時に察して、俺はやれやれと肩を落とす。


 まぁ、釣りに行って、普段はリリースか同行した釣り仲間に譲る父さんが今日は珍しく家に持ってきた時点でおおかた予想はついていた。


 その息子の嘆息を聞いた父さんは、嬉しそうにニコニコとした笑みを浮かべながら、


「美味しい魚料理。楽しみにしてるよ」

「へいへい。分かりやしたよー」


 と、俺の肩に乗せる手に期待を込めたのだった。


 ***


 我が家はちょっと変わっている。


 例えば、料理全般は得意だけど、唯一魚はさばけない母だったりとか。


 例えば、母さんほどではないけど料理は出来るし定期的に魚釣りには行くくせに、なのに魚は捌けない父だったりとか。


 例えば、そんな料理ができる二人の遺伝子を確かに継いでいるのに、全く料理ができない姉がいたり。


 そしてかくいう俺は――両親とは対照的に、魚介料理しか美味く調理できなかった。


 というのも原因は明瞭めいりょうにあって、小さいころから生き物が好きだった俺は、当然魚にも魅了されていた。その味にも。


 そうして小さい頃から父さんが釣って来た魚を嬉々として捌き続けた結果、魚を捌くことと魚介系の料理の腕だけが異常に上がってしまったわけだ。


「さて、今日は何を作ろうか」


 顎に手を置いて、クーラーボックスの中身を覗く。


 タイが2匹。

 カサゴが4匹。

 アジが3匹。

 そしてイカが7杯

 合計で16匹。中々の数だ。どんだけ長時間釣りをしていたんだか、と肩を竦める。


「まぁ、タイはシンプルに煮つけだなぁ。母さーん。米って焚いてあるー?」

「あるわよー」


 現在リビングで父さんと一緒に座っている母さんにキッチンから声を上げて米の有無を確認すれば、大きな〇が返って来た。


 ならば一品目はもう決まりだろう。タイの煮つけだ。


「しゅう。今日はいつもより多めに用意してくれるかい?」

「ならこれ全部使った方がいいの?」

「あぁ。構わないよ」


 父さんから注文オーダーに俺は一度眉根を寄せた。ボックスの中にある魚を全部使うとなると相当な量になる。姉ちゃんの姿は見えないが、家のどこかにはいるはずだ。いくら食べ盛りの子ども二人がいるといっても、さすがに作った料理が余りそうな予感がする。


 ならば母さんを少しでも楽にする為に夜のおかず分を作れということか。それとはまた別の思惑も感じなくもないが、今はそう強引に結論づけて俺は次の料理の思案に移った。


「カサゴはやっぱ唐揚げ一択だな。久々に食べたい」


 カサゴも煮つけにすると美味いが、やはりカサゴの唐揚げは外せない。サイズの多きものであれば肉厚の触感を楽しめる前者にしたが、今回のはどれも小ぶりなので唐揚げにした方が小骨まで味わえるという理由で後者を採用することにした。


 それから次、アジなのだが、これは考える間もなくなめろうだろう。炊き立ての白米があるなら猶更。


 最後は大量のイカたち。


「イカは刺身とゲソの唐揚げ……父さーん。イカの塩辛食べるー?」

「食べたーい」

「りょうかーい」


 リビングから親指を立てる父さんに俺も真似るように親指を立てて返した。父さんの今晩の酒の肴と作る料理メニューも大方決まったので、本格的に調理に取り掛かる。


「くぅぅ。やっぱいつやっても魚を捌く瞬間は胸がおどるな」


久々の生魚たちを前に、俺は興奮気味に頬を緩ませるのだった。




【あとがき】

昨日は7名の読者さまに★レビューを付けて頂けました。叡智な話だと★伸びるの露骨過ぎるぞ野郎ども(笑)


甘々な前話からすこし落ち着いた雅日家の様子をお届け……あれ、なんだか姉ちゃんが何かしてるな? 姉ちゃーん。次は弟の調理シーンだぞー。ちゃんと観てあげて。

……さて、次話もお楽しみ。


Ps:3章はベッドシーンを目指して物語が進んでいます。何ならそのシーン書くために他の話書いてるといっても過言ではありません。

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