第82話  私無しじゃ生きられない体にしてあげるね

「さぁ、しゅうくん。存分に私を触っていいよ!」

「…………」


 約二週間ぶりに藍李さんの自宅を訪問すると妙な安心感があり、これも彼女と過ごした時間の長さの表れなのかと感慨に浸ってから早一時間。


 昼食前の藍李さんの部屋にて俺は現在、興奮気味に鼻息を荒くつく彼女に頬をひきつらせていた。


「なんでそんな不服そうな顔してるの?」

「不服というかなんというか、まさか本当に昨日言ったことを即実践してくるなんて思ってなくて」

「私が有言実行する女だってしゅうくんは知ってるでしょ」

「だからって少々自分を気安く見積もり過ぎでは?」


 両手を広げながら既に受け身の体勢を取っている藍李さんは俺の言葉に不満そうに頬を膨らませた。


「しゅうくんだから私を好きに触っていいんだよ。その権利がしゅうくんにあるって昨日言ったよね?」

「えぇ。でも、俺たちってまだ付き合って日が浅いですし、そういったことはもうちょっと後でも……」

「付き合ってからは日が浅いけど、仮の期間を含めれば私たちはもうそれなりに長い期間恋人関係にあるよね」

「うぐぐ」


 たしかに、と藍李さんの言い分に納得してしまった。

 そうして口をつぐむ俺に、藍李さんはやや鬱憤を晴らすように続けた。


「そもそも、私たちの仮の恋人期間は、正式に付き合う為にお互いを理解する必要があるからって設けた時間だったはずだよ」

「はい。その通りでございます」

「仮ではあったけど正式に交際するのは決まってたんだから、境界線なんて引く必要なんてなかったのに、しゅうくんが変な意地張るせいで全然満足にスキンシップが取れなかったわ」

「はい、はい。変な意地をみせてしまい誠に申し訳ありませんでした」


 ことごとく正論でバツが悪い。自然と居住まいが正されていく。

 正座する俺に、藍李さんはご立腹を表明するように鼻息を荒くついた。


「私は仮だろうが何だろうが、もっとしゅうくんに触れて欲しかったし、私も触れたかった。これまで我慢してきたんだから、その褒美くらいあってもいいと思うの」

「はい、はい。わたくしにできることなら何でも致します」


 遂には平服した。それはもう全力で。愛すべきカノジョにこれまで窮屈を強いてしまったのだ。如何なる罰も受けいれる気概でなくては、藍李さんの貯まりに貯まったフラストレーションを解消させることはできない。


 そうしてカーペットに額を擦りつける俺の耳朶に――不意に、ふふっ、と笑い声が聞こえた。


「ほんと、しゅうくんは恋人になっても純粋だなぁ」

「――ぁ」


 何かが近づいてくる気配を感じて、身体が反射的に身構える。そんな硬直した肩に伝わった五指の感覚に目を見開けば、細く華奢な手に促さられるまま顔を上げた。


 そうして見上げた先で黒瞳こくどうが捉えたのは、淡い微笑みを浮かべる藍李さんの顔で。


 息を飲んだとほぼ同時、藍李さんがぎゅうっと抱き着いてきた。親愛を全身に乗せて恋人を抱きしめる彼女は、甘い吐息をこぼすと耳元でこう囁いた。


「もう、誰も私たちを邪魔しない。思う存分、愛して、愛し合える。だからね、しゅうくんがこれまで懸命に保ってくれてた境界線なんてもう必要ないの。――私の触りたい所、好きなだけ触っていいんだよ」

「――っ!」

「カレシ特権。乱用しちゃおうよ」


 それは甘い蜜を垂らす小悪魔からの誘惑だった。


 その言葉に息を飲む俺を、好奇と期待を瞳にたたえるカノジョが真っ直ぐに見つめてくる。


 潤む紺碧の瞳が必死に何かを訴えようとして、それを分かってしまった俺は生唾を飲み込まずにはいられなかった。


「嫌とか、抵抗とかないんですか?」

「今の私の顔を見て、そんな下らない感情を抱いていると思う?」

「思わない、です」


 だよね、と藍李さんは鼻と鼻が当たる距離で微笑んだ。

 そして、藍李さんは徐々に熱のこもっていく息を吐きながら俺に問いかけた。


「しゅうくんは男の子。それも思春期真っ只中。――そんなキミは、恋人わたしの触りたい所がいっぱいあるんじゃないかなぁ?」

「……っ。誘ってるでしょ」

「うん。誘ってるよ」


 あっさりと認めないでくださいよ。本当に、歯止めが効かなくなる。


 彼女の吐息に熱が増していく。俺も、逸る心臓に急かされて息遣いが荒くなっていく。


 もう既に、抱きついているせいで彼女の身体の柔らかさが否応なく全身に伝わってきている。


 そして、その柔らかさが伝わって分かった。


「……今日、スウェットしか着てないのおかしいと思ったんですよ。いつもはその上にカーディガン羽織はおってるのに、絶対に、わざと薄着でいるでしょ」

「ふふ。気付くのが遅いね」


 正解、とは言わないが、その悪戯な笑みが肯定を意味していた。


「そんなに俺に触って欲しいんですか?」

「触って欲しい。しゅうくんは私を触りたくない?」

「めっちゃ触りたいです」


 触りたくないはずがない。触り心地満天の肌。その至高の肌触りを、心行くまで堪能したい。それが、男なら誰でも持っている『男心』ってやつだ。


 正直自分でも引くくらいで興奮気味に頷けば、しかしそんな俺の態度に緋奈さんは嬉々とした表情を浮かべた。


「なら何も問題ないね。今日はお互いにご褒美あげようよ」

「藍李さんにとってのご褒美って何ですか?」


 そう問いかけて返って来たのは、見惚れずにはいられないほど可憐で、そして艶美な微笑みだった。


 藍李さんは「私のご褒美はね」といじらしく前置きして、そして告げた。


「しゅうくんにたくさん触れてもらうことだよ」

「――っ!」


 その言葉が、それまでどうにかギリギリで踏み留まっていた理性を崩壊ほうかいさせた。

 ごくりと大きな音を立てて生唾を飲み込んだと同時、身体は既に本能の赴くままに動いていた。


「ああくそっ。もうどうなって知りませんからね」

「ふふ。心行くまでカノジョの身体を堪能してどうぞ」


 余裕ぶっているのか、はたまた本当に余裕なのかは分からない。どっちでもいいや、と思考を放棄して、俺は目の前のご馳走にありつく。


 今日はどこを触っても怒られないなら、やっぱり一番触りたい部分を――そこは怖気づいてまずはスウェット越しにお腹の辺りを指先で触れた。


「服越しじゃ勿体ないよね?」

「――っ! ならお望み通り、直に触ってあげますよ」


 なんだか挑発されてるような気がして、俺は奥歯を噛むと易々と彼女の思惑通りパンツとスウェットの隙間に手を突っ込んだ。


「やば。めっちゃすべすべしてる」


 ようやく手と首以外の生肌に触れた指先は、ずっと予想していた通りのすべすべで柔らかな生肌の感触に歓喜するように震えた。

 

 ゆっくり、じっくり、丁寧に愛する人の艶肌に触れる。それがくすぐったのか、藍李さんから小さな悲鳴が上がった。


「――んっ」

「触っていいって許可くれたのは藍李さんですからね」

「うん。分かってるよ。ただちょっと反応しちゃっただけ。しゅうくんの手が私に触れてくれるの、すごく嬉しい」

「あぁぁっ! そんなこと言われたら本当に抑えが効かなくなります!」

「ふふ。抑えなくていいよ。私の触りたい所、どんどん触っちゃおうね」

「くっそ。全然狼狽えないなこの人っ」


 甘い声が理性のタカを軽くぶっ壊してくる。


 短く上がった嬌声に心臓がドクン、と跳ね上がったのを感じながら、俺はその甘い誘惑に準じるように彼女の生肌を触り続けた。


 その生肌を指先が触れる箇所が全てが心地よかった。ごすべすべで艶やかで、適度にハリがあって指を押し込めば脳みそがその柔らかな感触に瞬く間に支配される。


「藍李さんの肌。やっぱすごい触り心地いいです」

「そうでしょ。100点満点中いくつかな?」

「文句なしの100点です。いや。それ以上。推し量れません」


 それを聞いた藍李さんは、少しずつ余裕のなくなっていく表情で嬉しそうに口許を綻ばせる。


「あぁ。嬉しいなぁ。やっと、しゅうくんにこうしてたくさん触ってもらえて」

「今まで我慢させてごめんなさい」

「いいよ。その分は今から取り返していくから」


 そう言って、藍李さんは俺の腕を掴んだ。そして、まだ窺うように触る手を、もっと深く、上へと自ら押し上げていく。


「藍李さん……っ!」

「逃げちゃだーめ」


 反射的に手を引っ込もうとするも、しかしそれは力強く抵抗してくる藍李さんの手によって阻まれる。


 これ以上はと怖気づく手とそれ以上を望む手が拮抗する。その最中で、藍李さんは恍惚こうこつな表情を浮かび上がらせて言った。


「しゅうくんをとりこにして、私しか見れないようにしないといけないから、もっと大事な所を触って欲しいな」

「もうっ、俺はアナタの虜になってます」

「あはっ。そっか。もう私しか見れなくなってるんだ?」

「俺はずっと藍李さんしか見てきてません」


 一目惚れした女性が今、俺にもっと触って欲しいと懇願してきている。

 もっと自分を求めて欲しいと、女の欲望をさらけ出している。


「嬉しいな。そんな嬉しいこと言ってくれるしゅうくんには、お姉さんもっと甘やかしたくなっちゃう」


 一拍、間が空く。


 ぱっと彼女が掴んでいた俺の手を離すと、それまで下に力を込めていた手がスウェットの内側からすぽっと抜けて空気に触れた。


 どうやら俺の意思を尊重してくれたらしい――そんな甘い考えは通用しない。


「やっぱり触ってもらうなら、自分から促すんじゃなく、しゅうくんから求めてきて欲しいな」

「ぁ――」


 ほっと安堵する間もなく、息を飲む。息を飲んだのは、黒瞳が映す女性が笑みを浮かべていたからだった。ただの笑みでなく、あでやかで滔々とうとうとした微笑みだった。


「私はもう、しゅうくんのものだから。しゅうくんが私の身体で一番触りたい所触っていいよ」

「ごくっ」

「しゅうくんがずっと触りたかった場所はどーこだ?」


 俺の内心を見透かすように放たれた言葉が、理性で押さえつけられない欲望を更に促した。


 ゆったりと伸びた腕に、期待を宿した双眸の視線が注がられる。 


「躊躇わなくていい。触って」

「分かり、ました」


 伸びた手。それが刹那だけ虚空で制止したあと、甘い声音に促されるまま彼女の豊満な双丘、その片丘へ着地した。


「やっと触ってくれたね」

「っ。……胸触れれて喜ぶとか、変態ですよ」

「むぅ。私としては、しゅうくんが一番触りたいだろうなって所を触らせてあげたつもりなんだけどな。もしかしてしゅうくんは胸よりお尻派だった?」

「断然胸ですっ」

「あはっ。やっぱりだ。しゅうくん。いつも頑張って視線をそっちにいかせないようにしてたけど、でも時々無意識に私の胸見てたもんね」


 バレてた。ちょっと恥ずかしくて、顔が赤くなってしまう。

 

 そんな俺を、藍李さんは母性本能を剥き出しにした表情で見つめていた。


「いいんだよ恥じらわなくても。べつに何も悪くないもん。私の胸ね、友達からも触り心地がいいって評判がいいんだ。だからきっと、しゅうくんも喜んでくれると思う」

「既に色々とヤバいですっ!」

「まだ手のひらを乗せただけだよ?」


 俺の感想に藍李さんは不服そうに口を尖らせた。俺としてはこの時点で心臓がはち切れそうなのだが、どうやら藍李さんは満足していないらしい。


 カレシにもっと、自分の魅力がたっぷり詰まった所を触って欲しいと懇願してくる。普通は嫌がったりするものじゃないのか、と胸に生じる疑問が、彼女の恍惚とした表情がその思惟をことごとく否定していく。


「しゅうくんはこれだけで満足? 手のひらを乗せただけで、それで十分なの?」

「――っ。十分なわけ、ないでしょっ!」


 挑発に応じるように、俺は彼女の『胸』に添えただけの手に力を込める。


「んんっ!」


 力を込めた手が豊満な双丘、その片丘に沈んだ瞬間。一際に大きく聞こえた嬌声が耳朶を震わせた。それに呼応するように心臓がドクンッ! と跳ね上がる。しかし、一度タカが外れた理性は制御が効かない。初めは抵抗をみせていた手も、その柔らかさと弾力を味わうように堪能し始めた。


「藍李さんが挑発してきたんですからね。俺、遠慮しませんから」

「あはは。いいよ。好きなだけ触って。味わって」

「じゃあお言葉に甘えさせてもらいます」


 許可はもらっているし、もっと触って欲しいとお願いしてきているのは藍李さんの方だ。なら、怖気づいて止めるより、この服と下着越しからでも十分に伝わって来る至極で至福の柔らかさを堪能してやる。


「どう? しゅうくん。私の胸の触り心地は?」

「やばいです」


 語彙力ごいりょくを失った感想に、藍李さんは深い笑みを浮かび上げた。


「やっぱりしゅうくんも男の子だね」

「バカにしてます?」

「してないよ。嬉しいだけ。しゅうくんが私を求めてくれるのが、言葉にできないくらい嬉しいの」

「なんですかそれ。まるで、もっと強く揉んでくれって言ってるみたいですよ」

「しゅうくんの手大きくて力強いね。その手に触れるの、すごく好き」

「――っ」


 ずるい。こっちは必死こいて挑発しているのに、それを軽く受け入れられてしまっては応えたくなってしまう。もっと、もっとこの人に甘えたくなる。


『なんだよこの人。俺のこと、超好きじゃん。どんだけ俺を甘やかせば気が済むんだよ』


 俺が藍李さんを求めて止まないように。藍李さんもまた、俺を求めて止まない。


「ほんと、柔らか」

「ふふ。そうでしょ」


 布越しでこの柔らかさなのだから、直に触れたらもっと凄いのだろう。


 触れたいと思う反面。それはまだ後に取っておきたいという欲が生まれてしまって。


 やはり生おっぱいメインディッシュは、近い将来、藍李さんと結ばれる日に満を持して堪能したい。


 今は、これで十分だ。違う、これで精一杯だ。でも、


「藍李さん。もっと味わっていい?」

「あっはは。うん。いいよ。好きなだけ味わって、甘えて――」


 男性本能に従順になっている俺を、藍李さんはご満悦げに唇を歪ませながら見つめていた。そして、昂る感情を抑えきれない双眸は、既に自分に陥落した年下男子をその瞳の中に収めながらすぅ、と細そめて。


「私無しじゃ生きられない体にしてあげるね」


 甘さの中にどこか毒を含めた声音で囁いたのだった。





【あとがき】

昨日は3名の読者さまに☆レビューを付けて頂けました。いつも応援ありがとうございます。


これ、作者の中じゃまだ2~3割だから。だってまだおっぺぇ触ってるだけだもん。これからもっと甘くなるぞ。

甘すぎて糖分吐いた野郎どもは是非感想を送ってくださいねぇ。

Ps:自分の作品が甘すぎるせいで他のラブコメ読めなくなってきてるんだよなぁ。最悪の弊害。

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