第75話  覚悟を抱いて前へ

 一日ぶりに来た学校は相も変わらずわずらわしいほど騒がしくて、居心地が悪くて、けれど今日はそれがどこか胸に安寧をくれた。


「あっ! しゅう! ……どちら様ですか?」

「一日会ってないだけで友人の顔忘れるんじゃねぇ」

「むにぃ……」


 ホームルーム開始10分前の教室に着くと、クラスの女子と話していた柚葉が俺に気付いた。ぱっと顔を明るくさせた柚葉が駆け足で俺の下までやって来るが、間近で俺の顔を見た瞬間に眉間に深いシワを寄せる。


 軽口か悪態なのかは分からないが、そんな柚葉に俺はジト目を向けながら頬を抓んだ。


「いやいや! 本当にどちら様で⁉」

「随分とまぁ大仰なリアクションを取ってくれるじゃんか。……そんなに変?」


 先ほどから驚愕の絶えない柚葉。目を白黒とさせる彼女に、俺は自分のセットした髪をいじりながら小首を傾げる。


 たしかに、今日の俺はいつもと若干……いや、かなり違うか。


 普段は目が隠れるまで伸びている前髪を上げ、半分だけおでこが見える状態になっている。男なら定番といえる七・三分けスタイルで、眉も整えてきた。


 だらしない姿の俺ばかり見てきた柚葉としては、そのビフォー・アフター具合に衝撃を受けても不思議ではない。でも、やっぱり大袈裟じゃね? とは思うけど。


 そして、未だに衝撃の余韻から抜け出せていない柚葉は、空いた口が塞がらないまま一人の友人の名前を叫んだ。


「神楽ー! しゅうが! しゅうが大変なことになってる⁉」

「おいっ! 神楽を呼ぶ前にまず女子の感想をくれよ! 結局この髪型似合ってんの⁉」


 俺の絶叫も無視して一心不乱に神楽を呼ぶ柚葉。なんともカオスな状況に微苦笑を浮かべながら俺の下へと寄ってきたもう一人の友人、神楽は数秒俺をジッと見つめたあと、ニコッと邪推な笑みを浮かべて訊ねてきた。


「どちら様ですか?」

「柚葉と違ってお前はわざと言ってるだろ!」


 ニコニコとした不快な笑みがもうそれを如実に物語っている。腹が立つので神楽の脇腹に拳を入れると、神楽は「いてっ」と呻きながらケラケラ笑った。


 ひとしきり笑い終えた神楽は、それからゆっくりとまなじりを下げて。


「昨日は不登校だった男が、その翌日にまさかこんなにイケメンになって戻って来るとはね」

「イケメンかなぁ」

「そんなに自信がないなら周囲を見てごらん」


 穏やかな声音にそう促され、俺は渋々といった顔で視線を切り返る。


「――ぁ」


 思わず、そんな情けない声がれたのは、神楽の言葉の意味を理解したからだった。


 周囲を見てみれば、多様な視線が俺たちに――否、俺に送られていた。


 色物を見るような視線もあれば、露骨に好意を示す視線もある。好奇心を宿す視線もあれば、いつの日か見た野獣がエサをロックオンした時の視線もあった。その殆どが女子の視線で、どことなく居心地が悪くなる。


 わずかな外見の変化。しかし、それがもたらしたのは、大きな変化だった。


 周囲が自分を見る目が、以前とは明瞭めいりょうに違っている。


「しゅ、柊真くーん。お、おはよー?」

「あ。おはよう。雛森さん」

「~~~~っ⁉ ……待ってイケメンすぎっ‼」

「?」


 遠くの席から小さく手を振ってきた雛森さんに気付いて、俺はぎこちないが笑みを浮かべながら手を振り返した。すると彼女は途端に愛らしい顔を真っ赤に染め上げたあと、机に顔を埋めて何かの感情を爆発させるように机を叩き始めた。


 どういう訳かご乱心の彼女に苦笑を浮かべながら、


「髪型一つ変えただけで、こんなにも目の色が変わるものですかね」


 と愚痴をこぼせば、神楽がやれやれと肩を竦めてこう言った。


「柊真。元々顔立ちはかなり整ってる方だよ。柚葉も僕も何度も言ったじゃない」

「つまり、俺はお前を超えるイケメンへと進化したってことか!」

「僕を超えるかどうかはさておき、相当目立ってるよ。良い意味でも悪い意味、でもね」


 たしかに神楽の言う通り、女子の俺に対する反応は以前より好印象になったが、その分男子どもの警戒心が強まった気がする。


 意中の女子が俺になびかないか懸念しているのだろう。それは杞憂だというのにまったくバカな奴らだ。男ってほんと単純。


 俺に敵愾心てきがいしんなど向けても意味がないことに気付かない連中に嘆息を落としつつ、さっきからずっと沈黙している柚葉に視線を向けた。


「で? 柚葉の感想は?」

「えっ⁉ あ、あぁ。うん。すごくいいと思うよ。うん、めっちゃイケメン」

「のわりには反応薄くね? 本当に似合ってる?」

「ちょ! 今顔近づけるな!」

「ぶへぇ⁉」


 何故かさっきから一向に俺と視線を合わせようとしない柚葉。俺としては一番間近にいる友人の感想が周囲の評価よりも自信に繋がるので是非とも意見を聞きたかったのだが、追求しようとしたら顔を赤くする柚葉に思いっ切り頬をぶん殴られた。


「あぁもうっ! 気持ちの整理つけたはずなのにっ! それなのにこんなカッコいいしゅう見たらまた惚れちゃいそうじゃん! バカしゅう! しゅうのあんぽんたん!」

「……よく分かんないけど、近づいたらまたぶん殴られそうだ」

「あはは。絶対にぶん殴られるよ」


 顔を俯かせる柚葉が何かぶつぶつと呟いている。顔を近づけるとこの狂犬にまた一発くらいそうなので、しばらくそっとしておくことにした。触らぬ柚葉に祟りなしだ。


 少し腫れた頬を労わっているとようやく落ち着いた柚葉が顔を上げて、目の前で深呼吸を繰り返す。何度かその繰り返しを静かに見守っていると、気持ちをリセットした柚葉が俺の胸に拳を置いてニカッと白い歯を魅せた。


「うん! めっちゃ似合ってるよ! この私が保証してあげる!」

「へいへい。そらどーも」

「おいこら。こんなに可愛い友人が褒めてやってるんだぞ、もうちょっと嬉しそうな顔しろっ」

「わー。柚葉様に褒められたー。僕凄く嬉しー」

「全っ然嬉しそうじゃないじゃん!」


 俺の清々すがすがしいほどの棒読みに、柚葉がぷりぷりと怒りながら殴り掛かって来る。


 そうやってじゃれ合う俺と柚葉を見て、神楽が穏やかな微笑を浮かべる。


 こうして三人でふざけていられる時間が、俺はやっぱり大好きで。


「柚葉。神楽」

「どうしたの?」「なに?」


 痛くも痒くもない、柚葉のパンチ。それを優しく、包み込むように受け止めてから、俺は親友たちの名前を呼んだ。


 その声音に呼応するように、二人が優しい眦を俺に向けてくる。


 自分の中で研ぎ澄ました覚悟。それを二人に告げる前に、俺は一度思案する。


 柚葉と神楽は、もう気付いているんじゃないだろうか。


 緋奈さんに一度フラれて死ぬほど落ち込んだ俺が、こうして自分を変えて登校してきた理由わけを。


 きっと、二人はもう察しているのだろう。


 俺も、既に迷いはなかった。朝、家の玄関を超えた時から覚悟はとうに出来ていた。


 その覚悟を、まずは何よりも大切な親友たちに伝えたい。


「――俺。今日、緋奈さんに告白するよ」

「「――――」」


 喧噪けんそうの中に降り立つ静寂。それに終わりを告げるようにして胸裏にある決意を吐露すれば、二人は俺のことをジッと見つめたまま、ただ静かにその覚悟を聞き届けてくれた。


「ちゃんと、伝えたい。俺には緋奈さんしかいないってことと、これからも一緒にいたいってこと」


 そういえば、神楽はまだ知ってないんだっけ。俺が、緋奈さんと仮ではあるが付き合っていたこと。


 その懸案を確かめるように神楽を見ると、その顔に驚愕きょうがく狼狽ろうばいといった様子は特になく、屹然きつぜんとした面持ちで。


「……お前、神楽に言った?」

「何も言ってないけど⁉」


 ギロリと柚葉を睨んでそう言及すれば、柚葉は心外だと言わんばかりに頬を膨らませた。

 

 怒り猿と化した柚葉のパンチを適当に受け流しつつ、俺は神楽に苦笑を向けて言った。


「となると、やっぱ気付いてたって感じか」

「柊真は単純だからね。お前がご機嫌になるのは、決まってあの人が関係してくるから」

「はは。じゃあもう知人全員知っちゃってる感じか」


 俺は柚葉に打ち明けて、神楽に勘付かれた。加えて今の問答で自ら裏付けを取ってしまった感じだ。


 緋奈さんは姉ちゃんに打ち明けて、たぶん心寧さんと鈴蘭さんも知ってる。


 正式に付き合うまではこの関係を秘密にしようとルールまで決めたのに、結局その前に友人たちに全て知られてしまった。その杜撰ずさんさには我ながらに呆れるし、秘匿ひとくし切れなかったことへの反省もある。


 しかし、全てを知られたからといって、それで何かが変わったわけじゃない。


 変わったことなんて、本当に何一つなくて――それだけに、やっぱり自分は馬鹿だったんだと自覚させられた。


 ――俺と緋奈さんの関係を、最初から皆に秘密にする理由はどこになかったんだ。


 きっと俺の友人たちは、緋奈さんの友人たちは、俺と彼女が選んだ道を応援してくれたんだろうな。最初から。それを、二人の友人から向けられる笑みで思い知る。

 

 だから、


「二人には、これが終わったらちゃんと話すし、謝るよ」


 神楽には誠意を込めて、柚葉には改めて。二ヵ月も嘘を吐き続けたことを、謝罪したい。


 俺のその覚悟を聞き届けた親友二人は、厳かに顎を引いて。


「分かった。全部終わったら、ちゃんと話し聞くよ。スタパでね」

「奢られる気満々じゃねえか」

「それでこれまでのことがチャラになるんだ。安いもんだろ?」

「はっ。だな。それで許してくるなら、たしかに安いな」


 三人合わせて3000円前後するか。それくらいなら確かに、嘘の対価としては相当優しい。


 それでも学生の財布にはキツイなと苦笑を浮かべれば、神楽と柚葉はそんな俺に向かって白い歯を魅せながら胸に拳を当ててきて。


「まぁ、これで本当にフられたら逆に私たちがしゅうにスタパ奢ってあげるよ!」

「多少身なりが整ったからって浮かれるなよ。死んだ目はそのままなんだから」

「お前ら多少は俺を勇気づけろよ!」


 てっきり応援してくれるのかと思って身構えれば、二人から贈られてきたのはまさかの悪態で、俺は拍子抜けに肩を落とす。


 ――でも、これから挑む前哨戦ぜんしょうせんには、このやる気のない応援が返って有難かった。




【あとがき】

雅日柊真、その復活の狼煙のろしがついに上がる。

久しぶりに明るい回です。やっぱこの作品は明るい話がとても似合ってるね。

そして柊真がこれから挑む前哨戦とは何かな?

あまり多くは語りませんが、第2章最後までお見届けください。

感情シェイクさせてごめんね。

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