第69話  禍福は糾える縄の如し

「み、雅日柊真くん! 貴方のことが好きです! よかったら私と付き合ってください!」

「……まじか」


 休日明けの昼休み。校内では定番になっている告白スポットで、俺は現在サイドテールが特徴的な女の子に告白を受けていた。


 ちなみに、その告白相手というのは林間学校で仲良くなった雛森朱夏さんだ。林間学校以降何の交流もなかったのだが、久しぶりに名前を呼ばれたと思ったら此処ここに連れてこられてそのまま告白までされるとは予想だにしなかったので、流石の俺も驚きである。


 緊張で震える手を伸ばす雛森さん。垂れた前髪から覗く、ぎゅっと瞑った目と紅く染まった顔が、彼女がどれほど勇気を振りしぼっているのかが如実にょじつに語られている。


 ――それでも。


「ごめん。雛森さん。キミの気持ちには応えられない」

「――ぇ」


 俺は伸ばされた手を握ることはなく、深く頭を下げた。


 彼女の好意には応えることはできない。けど、せめてその好意に対して誠実に向き合う為に。


 そうして頭を下げた俺に、雛森さんは悔しみと、それとどこか悟っていたような表情をかたどった。


「……あ、あはは。やっぱりダメだったか」

「うん。俺にはもう、好きな人がいるんだ」


 譲れないものがある。それを告げれば、雛森さんは儚げな微笑を浮かべながら訊ねた。


「ええと、それって柚葉のこと?」

「……いや。柚葉じゃないよ。俺が好きな人は、別の人」

「そ、なんだ」


 一瞬、どうして柚葉の名前が挙がったのかと疑問が湧いたが、しかしそれは記憶を辿ればすぐに見当はついた。


 おそらく雛森さんは、柚葉が俺に告白したことを知っているのだろう。それで、もしかしたら俺と柚葉が付き合っているのかと勘違いしたのかもしれない。


 その思惟は早々に訂正しつつ、俺は別の人に好意を寄せている事実を彼女に告げた。


「じゃあ、緋奈先輩?」

「…………」

「そ、そっか。やっぱり、あれはそういうことだったんだ」


 雛森さんの独り言に主語は一切ない。ただ、自分の中の記憶と思惑を照らし合わせて解答に至る雛森さんに、俺が選んだのは沈黙だった。


「あはは。なんだよ、そういうことなら、もっと早く言ってくれればよかったのに」

「……ごめん」


 それは糾弾だ。彼女に好意など抱いていないこと最初から伝えていれば、思わせぶりな態度なんか取らなければ傷つくことなんてなかったという、失恋した少女からの弾劾。


 俺はそれを、ただひたすらに受け止めた。当然だ。俺は、彼女に叱責しっせきされる資格がある。そして、彼女には俺を責める権利がある。


 彼女はただ、それを行使しているに過ぎないのだから。


「――でも、雅日くんが私を助けてくれたこと、嬉しかったよ」

「――っ‼」


 柊真から雅日へ。その切り替わりが、俺と彼女の関係の終わりを告げる報せだった。

 終わるから、せめて最後に。なんて言い訳は男らしくないと理解していながら、


「俺も、雛森さんと林間学校で話せたこと、楽しかった」

「……っ。じゃあ、またね」

「――――」


 同じ教室にいるから、どうしたって顔を合わせたり、話さなければいけない時は来るだろう。けれど、もう林間学校の時のような距離間ではいられない。


 互いにそれを理解しているからこそ、俺は感謝を、雛森さんは悔しさに唇を噛みしめた。


 振り返り、教室か、あるいはどこか別の場所に去ろうとする雛森さん。きびすを返す直前、泣きそうなほどに震えるか細い声音が別れを告げてきた。


 それに何も言い返さなかったのは、未練がましさからではなく、俺たちの関係を明確に定義するためだ。――クラスメイトではありながら、友達と呼べるほどには親しくない、以前の俺たちに戻るための、決別のために。


 足早に此処ここから去っていく背中を見届けたあと、


「……盗み聞きは趣味が悪いぞ」

「ぎくぅ⁉」


 視線を切り替えて物陰を睨むと、苦笑いを浮かべた少女、柚葉が姿を現した。


「いやぁ。気付かれてたか」

「猫にしては大きすぎるなと思ってな。お前、尾行下手すぎ」

「……あはは」


 教室にいたのだから、俺と雛森さんが一緒に出ていく所を見ていたのだろう。女子特有の嗅覚か柚葉自身の勘が働いのか、いずれもさしたる興味はないが、とにかく後を付けてきたのだろう。途中で俺に気付かれているとも知らずに。


「俺はいい。でも、友達の告白を盗み見るってのは悪趣味だぞ」

「そ、そんなの分かってるよ! でもさっ、やっぱ気になるじゃん!」

「結果なんて、お前なら分かってただろ」

「それはっ、そうだけど」


 既に、柚葉は俺が緋奈さんに恋慕を抱いていることを知っている。そして、彼女との関係も。ならば、雛森さんの告白の結果は火を見るよりも明らかだったろう。


 無粋を働いた友人をとがめるように睨めば、柚葉は露骨に視線を逸らした。


 ため息を吐いたあと、俺は教室に戻るべく歩き出した。その隣を、柚葉が歩調を合わせてついてくる。


「……それにしても、まさかこんな短期間で二人の女の子に告白されるなんてね」

「俺も驚いてるよ」


 緋奈さんを含めれば、高校に入学してからたった三ヵ月の間で三人の女性に好意を寄せられたことになる。中学時代は恋愛の『れ』の字すらなかった俺からすれば、この事態はまさに青天の霹靂へきれきだ。


 ――本当に俺の人生は、彼女が差し伸べた手を握ったあの瞬間から変わり始めたのだと、そう痛感せずにはいられなかった――。


「しかも、クラスでそこそこ女子から人気出始めてるし」

「何その話。もっと詳しく」

「アンタは緋奈先輩一筋でしょうが」

「だとしても気になるだろうが」


 俺にジト目を向けて二の腕を抓んでくる柚葉は、その話題に食いついたアホに呆れながら教えてくれた。


「しゅう。林間学校の時に朱夏助けたでしょ」

「イエス」

「なにその微妙に腹立つ返事……まぁ、いいや。それで、朱夏が皆に言いふらしたんだよ」

「何を?」

「自分を助けてくれたしゅうが超優しかったってことを」

「それだけでモテるものなの?」

「アンタは腹立つことに顔もいいからねっ! 今じゃクラスの女子だけじゃなく他クラスの女子まで目の色変えてしゅうのこと見てるよ!」


 たしかに最近妙に視線を感じるとは思ったが、まさかその視線が自分を噂通りの優良物件なのか吟味する女子の目だったとは思わなかった。


 驚く俺に柚葉は忌々しいとでも言いたいように舌打ちした。……俺、何も悪いことしてなくない?


「はあぁ。なんだって緋奈先輩と上手くいきそうなタイミングで自分から面倒ごと増やすかねぇ」

「人災だろ。俺のせいじゃない」


 責任を押し付けるとしたら雛森さんだ。何故そんな虚偽を皆に言いふらしてしまったんだあの人は。


 俺としては人として当たり前のことをしたまで。それを『超優しい男っ!』と誇張されたことと、今柚葉が言った『俺の顔がいい』発言を真に受けるとしたら、たしかに俺が女子で絶賛恋人募集中だったら一度拝んでおきたいという欲求はある。それを行動に移すかどうかはべつとして。


「べつに俺は優しくないと思うんだけど」

「まぁ淡泊ではあるけども。でも、困った時はわりとすぐに駆け付けてくれるじゃん」

「困ってるヤツを放っておくことなんてできるか」

「それが朱夏という雅日柊真に惚れる女を作ったということを忘れるでないぞ?」

「あれはっ、不可抗力だろ」

「ムカデ様様ですねぇ」


 終始歯切れ悪い俺に、柚葉はけっ、と唾を吐いた。


「ま、その筆頭が私でもあるんだけどさぁ」

「――っ」

「責任取れよ。女たらし」

「たらした覚えはねぇ」


 一瞬、柚葉が落とした呟きに頬が硬くなる。ただ、当の本人としては他意なく、無意識に口から零れ落ちた失恋の残滓なのだろう。


 柚葉すぐに悪戯小僧のような笑みを魅せると、真っ直ぐに伸ばした拳を胸に当ててきた。


 俺は苦笑を浮かべながら、その拳を優しく払いのける。


「というかさ、しゅうはいつ緋奈先輩に告白するの?」

「期末テストで10位以内獲ったら告白する」

「もう決めてるんだ」


 意外、とでも言いたげに目を丸くする柚葉に、俺は短く相槌を打った。


「いつまでもこの曖昧な関係のままじゃいられないからな。ただでさえ、もうボロが出始めてるんだ」


 既に近しい人物たちの中には、俺と緋奈さんの関係に気付き始めている者も出ている。柚葉には全て事情を明かしてしまっているし、母親にも先日啖呵たんかを切ってしまったばかりだ。


 この関係もいい加減隠しきれる自信がない。


 だから、早く。一日でも早く。


「緋奈さんが俺のせいで傷付く前に結果出さないと」

「? なんでしゅうのせいで緋奈先輩が傷つくの?」


 俺の独り言ちた呟きを拾った柚葉が不思議そうに首を捻った。


 そんな彼女に一瞥だけくれると、俺は母親と対峙した時のように拳を握った。爪の後ができるほど強く。


「――泣いたんだよ。緋奈さんが」

「ぇ?」


 これを誰かに話す度に胸が引き裂かれる気分になる。咀嚼しても飲み込み切れない感情が沸々と湧いて、自分への情けなさと怒りに奥歯を強く噛まずにはいられなくなる。


「前にあったろ。俺と緋奈さんが放課後一緒に帰ったことが」

「あったね」


 どうやら柚葉の中でもあれは記憶に根強く残っている一件らしい。すぐに頷いた柚葉のを見届けたあと、紅蓮のように滾る感情を懸命に押し殺しながら続けた。


「あの時にお互い質問攻めにあって、それで俺は早退しただろ」

「うん。あの時のしゅうは流石に見てられなかった」

「緋奈さんも同じことを思ったんだろうな。放課後に俺の所に来て、謝られた」

「――ぇ」


 当事者のみが事の顛末を知るあの一件の続きを聞かされた柚葉は、驚愕に目を剥いた。

 言葉を失う柚葉をそのままに、俺は静かな、けれど憤怒を隠し切れない声音で続けた。


「勝手なことしてごめんね、って。緋奈さんは俺に泣いて謝ったんだ。そんな必要ないのに。俺たちは何も悪いことなんかしてないのに。それなのに、緋奈さんは泣いて謝った」


 既にあれから二週間が経過している。それだけの時間が経ってなお、俺の胸裏には怒りと、自分へのやるせなさと、悲しみが満たしていた。


「もう二度と、二度とだ。緋奈さんを泣かせたくない。俺が情けないから緋奈さんを傷つけた。苦しめた。だから全員に俺を認めさせて、俺は緋奈さんに告白する」

「――――」

「正々堂々と緋奈さんと付き合うことできれば、彼女を笑顔に出来る」

「――しゅう」


 凡人の俺が放つ只ならぬ気迫に、柚葉は母さんと同じような寂寥せきりょうに満ちた声音で名前を呼んだ。


 それを意図的に――逃げるように――視線を逸らした俺は、自分に言い聞かせるように声を震わせた。


「足掻き続けるって、お前とも約束したからな」


 俺と緋奈さんが願った『幸せ』は、実現しようと藻掻けば藻掻もがくほど、その色をどす黒い『呪い』の色へと染めてあげていく。


 もう既に、足元では全てが瓦解する音が聞こえているというのに、俺は気付かないまま歩み続けた――。





【あとがき】

本話で再登場した雛森朱夏ちゃん。第2章2幕から印象的だった朱夏の恋の行方を気になってる方も多くいた思われます。


そして本話、満を持して再登場。そして惜しくも失恋してしまいました。

この世界線で柊真と朱夏が結ばれることはありませんでした。その理由も明確で、柊真が緋奈先輩の手を握ってしまったからですね。あの時から既に、柊真の運命は『緋奈藍李』と共に在りたいという世界線ルートに定まってしまったのです。


もし柊真が緋奈先輩の手を握らず、そして柚葉が告白に怖気づいたままだったら、柊真と朱夏は林間学校を経て恋人になっていたと思います。


……え? そのルートも見せてくれって? 上げるとしたらたぶん柚葉のifルートと一緒に上がります! ちゃんと朱夏もヒロインだからねっ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る