第68話  暴走

「あら。今日は出掛けないのね」

「うん。今日はうちでごろごろする」


 休日。昼近くに起床した俺を見て、母さんは珍しい光景でも見るかのようにぱちぱちと目を瞬かせた。


 最近は緋奈さんとデートする為に朝早くに身支度を整えてリビングにいることが多いから、この時間帯でまだスウェット姿の俺を見るのが珍しくなっているのだろう。


「朝ごはんはどうする? お昼ご飯と一緒にする?」

「そのお昼は?」

「お父さんがラーメンの気分らしいからラーメンにする予定よ」

「なら適当にパン焼いて食うよ」


 さすがに朝からラーメンとかそんな重たいもの食える気がしない。

 苦笑交じりにそう答えれば、お母さんは「分かったわ」と短く頷いた。


「それじゃあ、食パン台所に置いておくわね」

「ん。ありがと」


 と短くお礼を告げたあと、母は何故か俺を訝しげな眼で俺をにらんできた。


「……今日も勉強するの?」

「当たり前じゃん。それが学生の本分だろ」


 訊ねた声音に憂いを感じて小首を捻ると、母さんは深い吐息をこぼした。


「あまり無茶はしちゃだめよ」

「…………」


 その言葉の意味を理解した瞬間、俺は気まずくなって視線を逸らす。


 直近にも母さんに全く同じ目を向けられた。それは、息子を案じる母親の目だった。


 俺がしようとしている努力は否定しない。けれど、それを全て肯定することもできない、そんな複雑な感情を覗かせる母さんに、俺は言い訳にも似た言葉を吐いた。


「期末テストで、10位以内を獲りたいんだ。……いや、それも低いな。もっと上を目指したい」


 正直、テストでなくとも、俺を周囲に認知させることができるのであればなんでもよかった。ただ、おそらく上述した目的を達成させる上で、最も効率的かつ最短なのがこの期末テストだと判断した。


 周囲に、俺を認めさせる。ただの在校生徒ではなく、『雅日柊真』という一人の生徒がいることを知らしめるんだ。


「そうすれば、きっと皆が俺を認めてくれる。皆が俺を認めてくれれば、俺はやっと〝あの人〟につり合える人間になれる気がするんだ」


 今は一秒でも早く、他人から認められる人間になりたい。そうすれば、きっと俺は堂々と彼女――緋奈さんと恋人になれる気がするから。


 胸を張って、彼女のカレシになりたいから。


「だから、それまでは俺のことを見届けてほしい。いや、お願いします」

「――――」


 母さんはきっと、そんなことで、と呆れていると思う。それでも、俺にとってこれはゆずれないもの、自分の存在価値を証明する唯一の方法でしかない。


 だから懇願に頭を下げれば、けれど母さんは納得していないようにため息を落とした。


「皆に認められるのは悪いことでもない。しゅうの努力だって、私は応援してる」

「――――」

「けどね、しゅう」


 何故か、俺は下げた頭を上げた。そうした理由は自分でも理解できなくて。


 でも母親の声音が、今の自分の顔を見て欲しいと切望しているように聞こえて。


 その声音につられるように顔を上げた瞬間。息を飲まずにはいられなくて。


 俺を見る母さんの顔は、諦観と呆れを入り交えた、そんな失望した顔をしていた。


「皆に認められるよりも、先にしゅうが認めてもらうべき相手・・がいるんじゃない?」

「――っ!」


 糾弾されるような、とがめられるような母の視線。その視線に射抜かれた俺は、言葉を失って頬を硬くした。


 口をつぐめばそれが意表を突かれたことの証明。無意識に爪が食い込むほど握られる拳は、母親のその言葉を理解し、そして肯定していることへの、表れ。


「しゅうはもう、その人に認めてもらってるんじゃないの?」

「……それは」

「貴方の努力を、きっと誰よりも理解しているのは彼女のはずよ」


 そんなこと、分かってる。


「それなのに、貴方はそれ以上を望むの?」

「……っ」


 そんなの、ずっと分かってる。


 それでも、それでもだ。


 俺は、他人を認めさせなきゃいけない――そうでないと、傷つくのが俺じゃなくて、緋奈さんなんだ。


「母さんには、分かんないよ。あの人と俺は、どんなに想い合ってても、それを周囲が許してくれるわけじゃない。釣り合わないと非難されるのが、周囲からの反感が俺にだけに向けられるなら耐え続けられる。俺はどうだっていい。でも、あの人はダメだ。あの人を泣かせたくない」

「……しゅう」

「大切な人だから、ずっと笑っていて欲しいんだ」


 俺は、緋奈さんの悲しむ顔が嫌いだ。


 だからこそ今でも鮮明に思い出す。緋奈さんが泣いた日のことを。


 何も間違いではないはずの行いで、泣いた緋奈さんの顔を。


 ごめんなさいと、俺に何度も必要のない謝罪を続けた後悔に歪んだ顔を。


 他人のせいで、何の取柄もないモブのせいで、彼女を苦しめた。あんな胸が張り裂けるような思いは、二度と、もう二度と御免だ。


「俺はあの人と対等になりたい。そうすればきっと、誰も文句を言わずに俺たちを認めてくれる」


 これは感情論じゃないんだ。緋奈さんと交際する為の最低限の義務なんだ。 


 努力することは何も間違ってないはずだ。


 結果を出せば、他人に認められ続ければ――俺は彼女と一緒にいられる。


 今はそれ以外、何も望まなくていい。


「俺は――緋奈藍李さんと恋人になる為に結果を出す」


 それまでずっと隠し続けていた恋慕と想い人の名前を母へさらけ出したのは、俺の覚悟が生半可ではないと証明する為に。


 母さんに、俺の想いを肯定してほしい為に、羞恥しゅうち躊躇ためらいをかなぐり捨てて宣言した。



 その息子の覚悟に、母はやっぱり寂寥せきりょうに満ちた目をしていて、


「――そう」


 否定も肯定もしない、ただ、失望したような吐息を落とした。




【あとがき】

柚葉への誓い。緋奈さんとの絆。自分への自信のなさで少しずつ我を失って、一つの目的に固執する柊真。

早く正々堂々と緋奈さんと恋人になりたという焦燥が柊真を追い詰めていきます。

数話前のちょっと明るめの雰囲気から一転、ここから再び重苦しい展開が続きます。


――その先にある、たしかな未来を信じて。雅日柊真は藻掻き続ける。



Ps:「前話の告白大作戦の明るいノリどこいった!」と思われる読者がいましたらそれは作者の手で弄ばれてる証拠ですよ。ニヤリ。ただ甘いだけじゃ退屈だろ?

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