第2章―3 【告白大作戦!!】

第66話  緋奈先輩のイメチェン?

 林間学校明けの金曜日はなんとも気怠いもので、その憂鬱ゆううつさは昼下がりの午後まで続いた。


「くあぁぁ」


 大きな欠伸をかきながら体育館前に設置されている自販機に向かう。この校舎に設置されている自販機は食堂と中庭、それと体育館前の三か所。食堂と中庭の自販機は昼休みになると込むのが恒例なので、一年生の教室からはかなり離れている体育館前の自販機を選んでいる。


 掛かる時間は三者大差ないが、前者の二か所は並ばなければいけないというのが避ける理由の最たるものだった。


 そうしてなし崩し的に選んだ後者の前に着くと、俺はとある人物とばったり遭遇した。


「あれ? 緋奈さ……じゃねぇや。緋奈先輩?」

「――ぇ?」


 気が抜けていたせいでつい二人でいる時の呼び方が喉元まで出てきたが、慌ててかぶりを振って目の前の人物を呼ぶと、返ってきたのは驚きと困惑をはらんだ声だった。


 そうして彼女が振り向いたのと同時、俺にも困惑が生じた。


 緋奈さんであるはずの眼前の女性。しかし容姿はいつもと異なっており、遠くからでも明瞭めいりょうに彼女だと判別可能な華やかさもいつもより大人しく見えた。


 サラサラなストレートの黒髪はおさげになっていて、愛らしいご尊顔には黒縁の眼鏡が掛けられている。


 もしかしたら緋奈さんに似た別人かもしれない、そう思惑して頭を下げようとした直前、女性は苦笑を浮かべて言った。


「なんで私って分かったの?」


 その困惑する表情に、俺は思わず苦笑を浮かべてしまいながら、


「やっぱり緋奈先輩だ」



***


 

「でもどうしたんですか? 今日はそんな、読書が好きで人と関わるのが苦手な大人しい子みたいな変装して?」

「あはは。ちょっとイメチェン?」


 緋奈さんの変装を一発で見破ったあと、今はお互いに買った飲み物を手にして体育館裏の日陰で事情を聞いていた。


「どういった心境で?」

「実は火曜日からこの格好で過ごしてるんだよ」


 火曜日、ということは俺が林間学校に行った翌日か。

 つまりざっと四日ほど、緋奈さんは地味子になっていたわけだ。


「どう? この私も可愛い?」

「緋奈さんはずっと可愛いままですよ」

「あ、あはは。そこまで直球で褒められると、なんだか照れちゃうな」


 そっちが照れるとこっちも照れちゃうから止めて欲しい。


 胸がきゅんっ、と締め付けられてそれを誤魔化すようにミルクティーを流し込むも、頬の熱は中々収まらなかった。


「でもすごいね。一目で私だって気付いちゃうなんて」

「だって緋奈さんは緋奈さんだから。つか、その程度の変装で緋奈さんだって気付かないことあります?」

「でも、変装初日に登校した時、自分の席に座るまで誰も私だって気付かなかったよ?」

「なら全員目が節穴ですね」

「真雪もしばらく気付かなかったんだよ?」

「親友の顔くらいすぐ分かれよ姉ちゃん」


 あのアホは何やってんだ。


 なんとなく気まずくなって「ごめんなさい」と謝ると、緋奈さんは「変なしゅうくん」とくすくすと笑った。


「でもそんなに緋奈さんだって気付かないもんですかね?」

「これでもかなり気合入れて変装したんだけどね。しゅうくんには通じなかったみたいだけど。一年生の子は通りかかっても私に見向きもしなかったよ」

「俺はそれ、あまり喜べないんですけど」

「どうして?」


 俺の不服気な表情に、緋奈さんは本気で分かっていないように眉根を寄せた。


 たしかに、今の緋奈さんはいつもの華やかさは引っ込んでいるし、存在感もどことなく薄い。


 でも、この端正な顔も、朗らかな雰囲気も、ましてや可憐な微笑は何一つ変わっていないのだ。


「緋奈さんはずっと綺麗なままなのに。なんか納得いかないな」

「――――」


 それなのに誰も緋奈さんだと気付かないのは、周囲が普段どれだけ彼女ではなく、彼女に付けられた付加価値しか見ていないのかが浮き彫りになったような気がして、それが少しだけ腹が立った。


 そんなわずかに立ち込めた苛立ちは、けれど頬に添えられた手がすぐに取り払って。


「私は嬉しいよ。しゅうくんがすぐに私だって気付いてくれたの。しゅくんがずっと私を見てくれてるって知れたみたいで、それが今はすごく嬉しいの」

「あ、当たり前でしょ。ずっと緋奈さんを見てきたんですから。そんな些細な変化くらいじゃ、俺には通じませんよ」

「やっぱりしゅうくんは他の人とは違うな。ちゃんと、私を見てくれてる」

「い、一応、緋奈さんのカレシですから。……まだ仮だけど」

「あはは。照れるしゅうくん、すごく可愛い」

「見ないでください」

「やだ。もっとその顔見させて?」

「だめっ」


 向けられた微笑みを直視できなくて、照れてそっぽを向けばころころと鈴が転がるような笑い声が鼓膜を震わせた。


「ねぇ、しゅうくんはいつもの姿と今の姿、どっちが好き?」

「……その質問、答えるまでもないんですけど」

「どうして?」


 俺の言葉に疑問符を浮かべた緋奈さん。本気で分からないのか、と大仰に嘆息を吐いたあと、俺は困惑顔を向ける緋奈さんへと告げた。


「だって、いつもの姿も今の姿も、中身は変わらない。どっちも緋奈藍李でしょ?」

「――っ!」


 緋奈さんの質問は俺にとって愚問だった。少し見た目が違うからって、中身は同じなのだ。


 中身が緋奈藍李である以上、そこに優劣なんてつけようがない。


 彼女が緋奈藍李である以上、その唯一無二の美貌と可愛さは変わらず俺を虜にし続けるのだ。


「俺はいつもの緋奈さんも好きですけど、今の緋奈さんも好きですよ。特にこのおさげなんて最高です。あと眼鏡も似合ってます。普段の凛とした表情も素敵ですけど、眼鏡掛けると不思議と幼く見えますね。すっげぇ可愛いです」

「え、あ……しゅ、しゅうくん?」


 きゅうにおろおろとし始める緋奈さん。しかし、俺はそんな彼女の狼狽に気付かずに賛辞さんじを送り続けた。


「家に居る時のラフスタイルも安心感あっていいですし、お出掛けする時に耳にアクセサリ付けてるのも大人っぽくて惹かれますし、料理する時のエプロン姿なんて俺には勿体もったいないくらい眼福の光景です」

「ちょ、ちょっとまっ――」

「あぁ、それと制服姿も勿論好きで――」

「待って!」


 緋奈さんの好きな所を饒舌に語っていると、不意にそんな大声が遮ってきた。


 どうしたのかと小首を捻りながら緋奈さんの顔を見ると――その顔が、これまで見たこともないほど真っ赤に染め上がっていて。


「あっ、あ! ダメ! いま、私の顔見ちゃダメ⁉」


 慌てて両手で顔を隠した緋奈さんは、さらに背面を向いた。



 そんな彼女に、ギョッと目を剥いた俺はうやうやしく訊ねた。


「え、今照れる要素ありました?」

「無自覚⁉ あんな急に褒められて照れない人なんていないよ!」


 俺としては事実を語ったまでなんだが、どうやら緋奈さんにとってそれはクリティカルヒットの連続だったらしい。


 普段は滅多に照れない緋奈さんがこうもはっきりと照れている様を拝めると、俺としてもなんだか妙に気恥ずかしくなってしまって。


「あぁもぉ。ただでさえこの姿に気付いてもらっただけでも嬉しいのに、なのにそれ以上褒められたら、心臓がパンクしちゃう⁉」

「あ、緋奈さ――」

「今触るの禁止!」


 触ったら爆発するわよ! と顔を隠す指の隙間から覗かせた緋奈さんの必死の形相に、俺はやっちまったと胸裏で反省した。


 触らぬ神に祟りたたりなし、ということで緋奈さんが落ち着くまで猫背にして待っていると、ようやく少し冷静さを取り戻した緋奈さんが振り向いた。その頬にはまだ、朱みが残っていて。


「月曜日からはまた、いつも通りに戻すけど――」

「ぇ?」


 緋奈さんは何かを呟きながらつま先を立てると、俺との距離を急に詰めて、そして耳元でこう囁いた。


「しゅうくんがお望みなら、また地味子今日の姿になってあげる」

「――っ!」

「私はキミが望みなら、いつでも好きな私になってあげるからね」


 くすっと笑った声音が、鼓膜に響いて、浸透して、脳裏に残り続ける。


 その余韻で顔を真っ赤にした俺に、緋奈さんは愛慕を宿した双眸を楽しそうに揺らしながら、


「もっと、もっと私のこと好きにさせてあげるから、覚悟してね?」

「……もう、なってます」


 照れさせたことへの意趣返し。それを見事にくらった俺は、真っ赤にした顔を両手で隠すのだった。


 一分、一秒、コンマ0・1秒ごと。


 見つめる彼女の虜になっていく。






【あとがき】

昨日は4名の読者様に☆レビューをつけていただきました。ありがとうございます、


補足:地味子モードは緋奈さんの本気によって空気が超薄くなっています。いつもの華やかさが消え、女神のような神々しさも美女がかもし出す特有の雰囲気も一切もらしていません。

それを初見で見破ってしまうしゅうが普通におかしいだけです。どんだけ緋奈パイセン好きなんだお前。


Ps:地味子モード緋奈さんとのえちち回期待している読者。楽しみにしとけよ。書くとは断言できないけど。でも作者の頭の中にプロットはあります!

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