第58・5話  恋心の始まり。

 ――私がしゅうを好きになったきっかけは、中学一年生の頃だった。


「……なんで泣いてんの?」

「うっさい。あっちいけ」


 中学に進学し、陸上部へと入部して数か月が経ったある日、私は初めての公式大会への参加権利を掛けた大事な模擬レースで転んで負けた。


 目尻に込み上がった熱いものを他人に見られたくなかった私は、咄嗟に彼を突き放すような言い方をしてしまった。


 みっともなく負けた上に知らない人にまで八つ当たりして情けない――そんな私の心情を一蹴するように、しゅうは一度私の言葉通りどこかにいって、それから何故かまた戻って来ると手に持っていたスポーツドリンクを突き出してこう言った。


「さっきのレース見てた。頑張ってたじゃん」

「――っ!」


 彼にとってはただの励まし。けれど、私にとってその何気ない一言がどれだけの救いになったかは、今でも言葉にはし難くて。


 ぐずる私をあやすように差し出されたペットボトルを一つもらいながら、私は小さな声でお礼をいった。


「……ありがとう」

「気にすんな」


 それが、私としゅうの出会いだった。



 ***



 あの日からしゅうのことが気になって、私は遠くからよくしゅうのことをながめるようになった。


 短距離という組は同じだが、専攻している種目は私としゅうは異なっていたのでウォーミングアップの時以外は基本的にしゅうに近づける機会はなかった。そもそも、彼のことを気になっていても積極的に絡み行く、なんて度胸は私にはなくて。


「おーい。柊真。もっとやる気を出せー」

「うぃー」


 そうやって遠くから彼を眺める日々は、もどかしくも意外と楽しかった。その理由はしゅうが取る行動にあって。

 

 しゅうは、基本やる気のない部員だった。そのせいで監督に怒られることもしばしあったが、当の本人はそれを全く意に返さず、先生の目がなくなるのと同時に露骨にサボり始めるのだ。その目に見える彼のやる気のなさが、当時の私は新鮮で、いつ見ても飽きることはなかった。


 そんなしゅうが専攻していた種目は走高跳。その実力と才能はたしかにあったのに、本人は前述の通りだから結果が実ることはまずなかった。


 部活ではただ時の流れるままに。というある意味では唯我独尊を貫くしゅうの姿が、私の瞳にはとてもカッコよく映っていた。


「清水ー! ボーっとしてんなー!」

「はっ⁉ すいません‼」



 ***



 しゅうのことを目で追うようになって早一年が過ぎ、二年生のクラス替えの時には同じクラスになった。二年生に進級する時に一度だけ行われるクラス替えなので、結果的にしゅうとは三年生まで同じクラスになることが確約された。


 私は友達に気付かれないように小さくガッツポーズしてから、それから思い切ってしゅうの所へ寄った。


「い、一緒のクラスだね! 雅日くん!」

「……清水。そうみたいだな。今年からよろしく」

「あはは。同じ部活のよしみで仲良くしてあげよう!」

「上から目線うざ。でも仲良くしてくれるのは助かる」

「……?」


 初めはしゅうのその言葉の意味に戸惑ったけど、しばらくしてその言葉の意味が分かった。


 しゅうは部活ではやる気のない部員だったけれど、それは普段の学校生活でも同じだった。


 授業はよく寝るわだらしがないわ。おまけに性格も超淡泊だから皆しゅうを不気味がって近寄らなかったのだ。


 そんなしゅうをよく揶揄っていたのは神楽だった。どうやら二人は一年生の時から同じクラスだったようで、入学初日から妙に気が合ってすぐに仲良くなったらしい。


「やべさっきの授業寝てた。神楽、あとでノート写させて」

「また? 柊真もそろそろやる気を出すべきじゃない? 来年受験だよ?」

「まだ来年ある。よってまだサボれる。俺はサボれる限りはサボり続けるのだ」

「一年経っても何ら成長しないねぇ」


「……ふふ」


 二人の会話は遠くから聞いていてとても心地よかった。


 小気味よく、お互いを理解し合っていることが感じられる会話。そこに私が加わったら不協和音になるんじゃないかと思って、それが怖くて仲良し二人の輪に中々入れずにいた。


 そんな悶々もんもんとした日々に転機が訪れたのは、学校生活では月に一度くらいはある人気のイベント。そう、席替えだった。


「――雅日くん⁉」

「……おぉ。清水」


 なんと席替えで、私はしゅうの隣の席になったのだ。


 その時の私の心情は、まさしく天にも昇る気分だった。


 気になっている相手と隣席りんせきになるということは、それをきっかけに仲良くなるチャンスが巡ってきたのと同義だからだ。


 この手を活かさない手はない――なんて勇気は出なくて。


 席替えでしゅうと隣の席になってしばらくは、何をするにもぎこちない日々が続いた。


 そんな日々も、少しずつ、少しずつ。彼と過ごす時間ともに変わっていって。


「そろそろ部活行くかー。あぁ、だりぃ」

「あはは。雅日くんてほんと部活嫌いだね」

「あんな無駄な時間過ごすなら家でゲームやってた方がマシだろ」

「その気持ちは分かるけど。でも早く支度して集合しないと監督にまた怒られるよ」


 よく部活に行きたくないと駄々をこねるしゅうを机から引き剥がすようになって、


「清水さん。いつも柊真のお世話してるけど疲れない?」

「あはは。もう慣れたから」

「柊真。女子に迷惑掛けちゃダメだよ」

「ならほっとけ」

「放っておいたら雅日くん何もかもサボるでしょ」

「サボるのが生き甲斐だ」

「名言っぽく言ってるけど全然カッコよくないからそれ」

「全く柊真は。キミの面倒見る僕らの身にもなってよね」

「誰も頼んでないし」

「じゃあ友達止めていい?」

「嘘だからぁ。冗談だからぁ。だから俺を見捨てないでくれぇ」

「あははっ」


 教室の端からいつも聞いていた二人の心地よい会話に、いつの間にか私も溶け込んでいて。


 ***


「――ぐすっ」

「……見つけた」


 しゅうと同じクラス、そして仲良くなってからさらに半年ほど時が過ぎた。


 いつかの日と同じように、体育館裏で悔し涙を浮かべていると、息を切らしたしゅうが私の下にやって来た。


「足、大丈夫か」

「まだ痛い」

「……そっか」


 大事な県大会を賭けた予選レースで、私は途中で足を捻って途中棄権となってしまった。


 大会中とバスの中ではどうにか泣くことは我慢できたが、家に帰るまでは耐え切れなかった。


 せめて誰にも気づかれないようにと体育館裏に隠れて泣いていた所をしゅうに見つかってしまって、慌てて涙を止めようとするも悔し涙はそう容易く私の言う事を効いてくれることはなかった。


「いいよ。悔しい思いしたんだし、泣き止むまで泣けば」

「うぅ。こんな時に優しくするなぁ」

「こんな時になぐさめないでどうすんだ。いつもお前と神楽の世話になってんだから、こういう時くらい借りを返させてくれ」


 泣きじゃくる私に、しゅうはただ静かに傍に寄り添ってくれた。


「超情けないことした」

「どこがだよ。お前の走り、観戦席から見てたけど速かったし綺麗だったよ。足ほつれてなかったら絶対に柚葉が一着だった」

「そんなの、結果論だよぉ」

「分かってるよ。だからこそ、ここで挫けるなって言ってんの。柚葉なら絶対にもっと上にいけるから。俺は信じてる」

「ううっ。ありがとぉ!」

「情緒不安定だな」

「うるさいばかしゅうぅ。もっと私を慰めろぉ!」

「はいはい。泣き止むまで傍にいてやるよ」

「……ありがとう」

「礼は泣き止んでからでいいから」


 優しい。

 頭に乗る手の温もりが、悔しくて辛い気持ちを淡く溶かしていく。

 穏やかに語りかける声音に、次も頑張ろうって勇気をもらえて。


『――大好き』


 その時、私は自分がしゅうに恋慕を抱いていることに気付いた。


 ***


 しゅうに恋慕を抱いていることに気付いたからといって、それをすぐに伝える度胸なんてなかった私は、神様も呆れるほど進展もなければ後退もない極々平凡な日々を送っていた。


「しゅうー。今回のテスト何位だったー?」

「150位」

「綺麗に赤点だけ回避してる……もっとやる気出せば?」

「なら俺のやる気スイッチ押してくれ」

「ここかぁ?」

「残念違いまーす」


 少しだけ変わったのは、しゅうに私の恋心を気付いて欲しくてベタベタ触るようになったこと。


 思春期の男子なら女子にこんなことされたら多少なかれとも意識するはず――なんて甘い考えはしゅうには通用せず。私の勇気の振り絞ったこのアピールは、しゅうにとってはただの友達同士のじゃれ合いだと勘違いされていた。私もまた、それを指摘する勇気を出せずにいて。


「もう少し積極的に責めないと柊真は落とせないよ?」

「うっさい! これでも頑張ってるほうなの!」


 既に私のしゅうに対する恋慕に気付いていた神楽は、恋に初心な私に呆れながらも応援してくれた。


 少しずつでいい。少しずつ、しゅうに私の事を好きになってもらうんだ。


 けれどそんな甘い考えは、次の春を迎えると同時に無残に砕け散った。


「――姉ちゃんがめっちゃ美人の人と友達になってた」

「「…………」」


 三年生の春もそろそろ過ぎようかという頃、いつもは机に退屈そうに突っ伏しているしゅうが今日は珍しく姿勢を正して、何事かと神楽と揃って事情を問いただせばそんなことを言われた。


 嫌な予感がした。


 胸のざわつきが収まらぬまま、そんな私を横目に神楽がしゅうに訊ねた。


「ええと、その人ってそんなに美人なの? その、しゅうが思わず顔を赤くするくらい」

「もうマジやばい。可愛いとか美人とかそういう次元の話じゃない。あれはそう、女神だった」


 まさしく目の前で女神を目にしたかのように陶酔とうすいした顔のしゅうに、私と神楽は揃って「いやいや」と苦笑を浮かべた。


「たしかに綺麗な人はこの世に沢山いると思うけどさ、でも流石にしゅうの語彙力ごいりょくが壊滅するほどの人じゃないでしょ」

「そうだよ。お姉さんの友達ってことは年上? だよね。美人さんってことは分かったけど、しゅうとか神楽みたいな思春期真っ只中な男子からしたら、そういう人たちは全員美人に思えるんじゃないの?」

「いや違うね。緋奈さんはそこら辺の美人とは一線を画す存在だっ」

「そこら辺の美人て……」


 ダンッ、と机を叩きながら猛反発するしゅうに、神楽は呆れたと言わんばかりに肩をすくめる。


「お前らにも見せてやりたいわ。サラサラな黒髪に長いまつ毛。海よりも蒼く美しい紺碧の瞳。すらりと伸びた脚の曲線美。――はぁぁ。あんな人と友達になった姉ちゃん。マジナイス」

「……一目惚れじゃん」

「――っ!」


 ぽつりと、そう呟いた神楽に、私の心臓がドクンと跳ね上がった。


「え、しゅう? その人のこと好きなの?」


 恐る恐る訊ねた私に、机に項垂うなだれたしゅうはその顔をくるりと振り向かせると、それがさも当然であるとでも表明するように鼻で笑った。


「あの人の事を好きにならない男なんていないだろ」

「――ぁ」


 胸裏に渦巻く嫌な予感。それは、彼の肯定を受けて現実になる。


 乱れる息遣いをどうにか必死に隠しながら、私はしゅうの続く言葉に耳を傾けた。


「あの人はなんつぅか、見る人全員をとりこにさせる人だ。だから、俺のこの気持ちもたぶん紛い物だよ。あれだ。憧れとか尊敬に近い感じ」

「じゃ、じゃあ好きじゃない?」

「やけにそここだわるな。……まぁ、今はよく分からない。恋なんてしたことないしなぁ」


 嘘だと直感した。だって、しゅうの目は、もう完全にその人しか見ていなかったから。


 嫌だよ。


「柚葉?」

「――ぇ? ……あっごめん! 急に手なんか握って」

「無意識かよ。びっくりしたわ。いつもの癖ってか?」

「あはは。そうかも」


 違う。癖じゃない。しゅうが私の傍から離れると思って、急に怖くなって咄嗟に手を伸ばしたんだ。


 ――その人の所に行かないで。


 けれどそんな切望は、もはや恋慕を隠すことに慣れた私の胸の奥底に紛れてしまって。


『バカだ、私』


 そうして私の初恋は、その想いを告げられることもできずに失恋した。





【あとがき】

昨日は2名の読者様に☆レビューを付けていただけました。…どんどん減ってる⁉


ひとまず作者の呟きは置いておいて、ついに柚葉としゅうの過去が明かされました。二人が出会ったきっかけと、そして柚葉がしゅうに淡い恋心を抱くようになったきっかけが本話にて語られましたね。

それと同時に、しゅうが緋奈さんに一目ぼれしていたことも明かされました。これまでしゅうをずっと思い続け、見続けていた柚葉だからこそ、しゅうが緋奈さんに一目ぼれしたことが直感的に判ってしまった訳ですね。

それからはずっと、フラれるのが怖くてしゅうの親友ポジションとしてずっとしゅうの隣にいました。臆病と甘えが招いた結果とはいえ、中々に辛いですね。


そして次話は現実回、しゅうが柚葉を見つけたシーンへと戻ります。続く展開をお楽しみに。

 

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