第54話  柊真くん

 二日目。


「ふあぁぁ」


 他の班員より少し早く目覚めた俺は、大きな欠伸あくびを掻きながら洗面所へ向かった。


 静謐せいひつな空間にぱたぱたと自分の足音を響かせていると、正面からも同じ足音が聞こえてきた。


「あ」

「あ」


 曲がり角から俺と同じように欠伸をかきながら洗面所へやってきたのは、昨日少しだけ仲良く(なったと思う)女子の雛森さんだった。


 特徴的なサイドデールは今朝だからか結われておらず降ろされたまま、代りに寝ぐせがぴょこぴょこと生えている。


「――っ!」

「……?」


 雛森さんは俺の顔を見るや否や顔を背けて、そして慌てて寝ぐせをを整え始めた。


 乙女のよく分からない行動に小首を傾げることおよそ三十秒後、再び振り返った雛森さんがややぎこちない笑みを浮かべて。


「お、おはよう雅日くん」

「はよ。起きるの早いじゃん」

「あはは。ちょっと早く目が醒めて。……朝からめっちゃラッキーだ」

「?」

「なんでもない! なんでもないよ」

「……そっすか」


 雛森さんが何か呟いた気がして眉根を寄せると、一人慌てる彼女が首を振る。


 朝から忙しい子だなと苦笑を浮かべつつ、挨拶を済ませた俺たちはそれから顔を洗った。


 蛇口をひねり、冷たい流水を顔に当てる。その肌に針を刺すような冷たさがまだ目覚めて間もない意識を一気に覚醒させていく感覚に、俺は「冷てぇ」と頬を硬くした。


「うわ冷た」

「……ふっ」


 ちらっと横をみれば、雛森さんも俺と同じようにぱしゃぱしゃと顔を水で洗いながら水の冷たさを嘆いていた。それに思わず苦笑をこぼしてしまう。


 蛇口をひねり流水を止め、肩に掛けたタオルで顔を拭けば、ぼやけていた視界が鮮明さを取り戻して、まだ幼さの残る愛らしい顔をした少女の輪郭をくっきりと捉えた。


「それでどう? 昨日はよく寝れた?」

「うん。ぐっすり寝れたよ。そういう雅日くんは?」

「寝るのに関しては俺の得意分野だからな。消灯時間の10分くらい前には寝落ちしてたよ」

「あはは。寝るの好きなんだ」

「寝るの嫌いなやつはこの世にいないだろ」

「ふふ。私もめっちゃ好きぃ」


 俺の言葉に楽しそうにくつくつと笑う雛森さん。

 そんな無邪気な笑みを直視できずに咄嗟とっさに視線を逸らしてしまいながら、


「そうだ。雛森さん。左足の調子はどう?」

「あ、うん。もう平気だよ。痒みもだいぶ収まったし、今日から残りの予定は全部参加できると思う!」

「ならよかった。でもあんま無茶はするなよ?」

「えへへ。心配してくれてありがとう。……その、困った時は雅日くんに頼っていいんだよね?」


 微妙な間のあと、恥じらいながら問いかける雛森さんに俺は一瞬呆けて、数秒遅れてぎこちなく頷いた。


「まぁ、昨日約束しちゃったからな。でもいいのか? 俺じゃなくて神楽に甘えなくて?」


 モブの俺なんかに頼ったところで無意味だろうに。女子は少しでもイケメンと共に行動したいものではないのか、という疑問が生じる俺に、しかし雛森さんは『俺じゃなきゃダメ』とでも訴えるような視線をくれて。


「うん。その、雅日くん、意外と頼りになるから」

「頼りになるかなぁ、俺」

「すごく頼りになるよ!」


 卑屈気味に言えば、それを雛森さんが必死な形相でそれを否定した。

 まさかこんなにクラスの女子に認められるとは思わず、俺もつい面食らってしまった。


「あ、ありがとう」

「……う、うん」


 お互い。どことなくむず痒い空気に頬を掻く。

 俺はそんな空気を無理矢理変えるようにコホン、と咳払いすると、


「あーその、なんだ。俺は神楽ほど頼りになるヤツではないけど、でも雛森さんが怪我とかしないようしっかりサポートするよ」

「怪我したらまた手当してくれる?」

「いいけど、でもわざとじゃなくても怪我はするなよ?」

「あはは。もちろん。私も痛いのは嫌だし」


 狼狽する俺を見て、雛森さんが鈴の音が転がるように笑った。

 彼女は目尻に溜まった涙を指で拭ったあと、一つ息継ぎして、


「それじゃあ、今日もよろしくね――しゅ、柊真くん」

「――――」


 朱い瞳が潤み、揺れて、朱みが差した頬とともに真っ直ぐに俺を見つめてくる。


 一瞬。雛森さんに名前呼びされたことに驚きを隠しきれなかった俺は、ハッと我に返るとぎこちない笑みを浮かべて応じた。


「あ、あぁ。今日もよろしく、雛森さん」

「う、うん。それじゃあ、また朝食の時にね!」


 少しだけ、名前ではなく苗字で呼び返されたことに不服そうな反応をみせる雛森さん。けれどすぐに頬を緩めると、ひらひらと手を振ってその場から逃げるようにぱたぱたと走り出した。


 彼女が曲がり角を曲がる瞬間、タオルで隠す顔からわずかに覗かせた笑みは、言い知れぬ感情の彷彿を噛みしめているように見えて。


「……女子ってよく分からん」


 急に距離を縮めてきた雛森さんに、俺は終始戸惑うばかりだった。






【あとがき】

昨日は3名の読者様に☆レビューを頂きました。

1話1話大切にして今後とも更新していきますので、引き続き『ひとあま』の応援のほどよろしくおねがいします。

Ps:朱夏、お前可愛い過ぎだろ。。。しゅうが羨ましいぃぃぃぃぃ。

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