第55話  もやもや

「おっ。やっぱりいた」


 二日目・午後の予定は、渓流けいりゅうでの水辺観察だった。時間は各クラス一時間。渓流下りを終えてからそのまま観察に入る形で行われていた。


 数名の先生の監視の下、安全に行われている水辺観察で俺は珍しくはしゃいでいた。


「すご。柊真くんてそういうの触れるんだ」

「そういうのじゃなくてイモリな。可愛いだろ」

「え? これが?」

「これって言うな。イモリだ、イモリ。アカハライモリ」


 岩下に潜んでいたイモリを見つけて、川水とともにそっとすくうように捕獲ほかくすると、雛森さんと八重さんが興味津々と集まって来た。


「なんで水と一緒に掬ったの?」

「べつに手が濡れてればこんなことしなくてもいいんだけどな。ただ、水生生物ってデリケートだから、人の手の体温でも火傷するんだ」

「「そうなんだ⁉」」

「そ。だから触る時は、できるなら手を水で冷ましてから触ってあげて」


 了解っ、と敬礼した二人は素直に川水に手を突っ込んだ。ぶるっと身体が震えるくらいまで川水に漬けたあと、二人は俺の手のひらでぷかぷかと浮いているイモリを指先で触れた。


「ふおぉぉ……お? あれ、なんか思ったよりすべすべしてる?」

「俺が捕獲するまでは水の中にいたし、二人の手も濡れてるからうまく分からないんだと思う。イモリってウロコはないけど、その代わりに硬い皮膚に覆われてるんだ。感触としてはほぼカエルと同じじゃないかな」

「「ふえぇ」」


 感心したような、驚いたような吐息をこぼす二人。

 どうやらイモリに興味を抱いてくれたらしいJK二人に感心し――ふと、俺の悪戯心が働いた。


 すっかりイモリに夢中になっている雛森さんと八重さん。つんつん、とまだちょっぴり怯えるようにイモリに触れている二人に、俺はニヤリと口許を歪ませると、


「ちなみに、イモリはフグと同じ毒を持ってる」

「「もっと早く言ってよ⁉」」


 触っちゃったじゃん! と慌てふためく二人に俺はケラケラと笑った。


 こういう生き物への知識の会得は真面目な時間だけじゃなく触れ合い、楽しみ、親しみを持ってもらいながら身に付けて欲しい。その願いを舌に乗せて、俺は必死に手を洗うJk二人に補足を入れた。


「同じ毒だけど致死性はないし毒性も強くないから安心しな。それに、毒があるのは腹の裏……コイツでいう所の赤い部分だな」

「焦ったぁ」

「でもイモリとか両生類触ったあとはちゃんと手を水で洗うこと。洗わないままの手で目を擦るとかゆみとか引き起こすからな」

「はい先生っ!」


 いつから先生になったんだ、と苦笑をこぼさずにはいられなかった。


 そうして二人とついでにイモリ見たさに静かに寄って来た佐藤くんとイモリの観察を続けていると、


「雅日くんは生物に詳しいねー」

「……高峰たかみね先生」


 俺の背後からぬっと出てきたのは、理科の先生だった。

 高峰先生は俺に関心したような、一種の尊敬の念すら抱いた瞳を細めるとこう言った。


「ほとんどの子が面白半分で触れている中、キミは知識をもって適切に触れている。ひょっとしなくともキミが生き物が好きなんだと分かるよ」

「まぁ、好きなの否定しません」

「あはは。恥ずかしがることじゃない。僕はキミのその姿勢を好ましく思っているよ」


 そういえばテストも生物に関する部分は全問正解だったね、と細かいことを覚えている高峰先生に俺は照れくさくなって視線を逸らす。頬が掻けないのは、俺の手のひらでのんびり浮かんでいるイモリのせいだった。


「柊真くん、高峰先生より生き物に詳しいんだよ! 柊真くんの方が理科の先生みたい」

「おい先生の前で変なこと言うなっ!」


 と失礼極まりない雛森さんに、しかし高峰先生は「これは参った」と特段気にする様子もなく高らかに笑った。


「なら理科の先生として一つイモリに関する事を教えてあげよう。イモリは日本における準絶滅危惧種で、採取さいしゅが禁止されてるんだ」

「そうなの⁉」

「あれ? でもペットショップによく売られてるの見ない?」

「あぁ。それは大体が繁殖はんしょくした個体なんだよ。野生のイモリは自治体で採取が許可されてないと採取できないから」

「あはは! 美味しい所を持っていかれちゃったねえ! ……キミ詳しすぎない?」


 四人になんでそんなの詳しいの? とでも言いたげな視線を向けられた。好きなものは調べるだろ普通。


「本当に柊真くん生き物について詳しいんだね!」

「まぁ、それなりに」

謙遜けんそんもほどほどにだよ雅日くん。どうやらここの班には僕より詳しい子がいるみたいだから、他の班の所にいった方が賢明なようだ」

「じゃあね高峰先生~」

「うちらは雅日先生に色々聞くよ~」

「あはは! 僕の存在価値を求めて次に行くぞー!」


 なんだか申し訳ないことしたな、と哀愁……はただよってないな。川の中でステップを踏んで進んでいく高峰先生に頭を下げて俺は視線を戻した。その直後、バシャン、と水が弾ける音はたぶん高峰先生がコケたんだろう。頬を引きつらせる雛森と八重さんの顔が如実にょじつにそれを物語っている。俺は振り向かないですよ、先生。


 そうしてしばらく三人にイモリについて解説したあと、


「さて、そろそろコイツも離してやろうか」

「えぇ、もう?」

「名残惜しい気持ちは分かるけど、退屈過ぎて眠りかけてるから」


 手のひらの中でうとうとしているイモリに苦笑。雛森さんも八重さんも同じ笑みを浮かべると、「そうだね」と頷いてくれた。


 なるべく安全な場所へ、と思いながら足を動かせば、ふとその足が止まった。


 振動で少し慌てるイモリに胸中でごめん、と謝りながら、俺はこの場に集まっていない二人の友人に振り返った。


「神楽ー。柚葉ー。せっかくだしお前たちもイモリ見ろよー!」


 と川岸で体育座りしている二人に声を掛ければ、神楽は全力で首を横に振って、柚葉はぎこちない笑みを浮かべながら首を振った。


「私はいいよ」

「…………」


 その表情がどことなく曇ってみえて、俺は怪訝に眉根を寄せた。


「本当にいいのか?」

「うん。私は、いい」


 念押し気味に問いかければ、やはりぎこちない笑みが返って来る。


 柚葉って生き物苦手だったっけ、と胸にそんなしこりを残しながらも、無理強いさせることはせず、俺は「そうか」と呟くとバタつくイモリを安全な場所へと戻すべくきびすを返した。


「じゃあな」

『ばいば~い』


 川の流れがゆるかな場所へイモリを戻せば、イモリはそのまま水の中に潜って消えた。


「柊真くーん! カニ見つけたよー!」

「おー。今行くー」


 俺の事を生物の先生だと思っている雛森さんの呼ぶ声に淡泊に応じて、流れる川の中を進んでいく。


 なんとなくそれが、胸に湧くもやもやとリンクした気がして、俺は嚥下えんげに重みを覚えた。




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