第52話 見つめる背中の視線は
「しゅう! 朱夏!」
息を切らした柚葉と八重さんが休憩室へと駆け付けて来て、それは同時に山登りが終了したことを意味していた。
二人の顔を見た瞬間に感極まって泣き出してしまった雛森さんに俺は苦笑しながら、遅れてやってきた神楽と合流を果たす。
「お疲れ柊真」
「ん」
疲れの見える顔に俺も「お前こそお疲れ」と神楽の肩を労うように叩いた。
そうして互いに微苦笑を交わしあったあと、神楽は悔しそうに下唇を噛んだ。
「本来、あの場は班長の僕がどうにかするべきだったのに、全部丸投げしちゃったね」
「気にすんなよ。班長に何かあった時にどうにかするのが副リーダーの役割だろ」
「その何かがみっともなさすぎて頭が上がらないよ」
「お前にしちゃ珍しく落ち込んでるな」
「当然だろ。たぶん、僕の班に柊真がいてくれなかったら何もできないまま、ただ雛森さんの傍にいることしかできなかった。手当、してくれたんだろ?」
「初体験だったけど我ながらにスムーズにできたぞ」
とふんぞり返って自画自賛すれば、
「それにしても、よくあんな不測の事態に対応できたね?」
「ん? あぁ、絶対誰かしらやらかすだろうとは思って用意してた」
「それはひょっとして僕らこのことかな?」
「おっ。自覚あるみたいだな」
「失礼だねまったく」
俺が肩眉をつりあげると、その態度に神楽は不快そうに顔をしかめた。
神楽は所々気が抜けていて、柚葉は注意力がない。かくいう俺も、対策や注意はあっても不測の事態に
「本当は出番がないのがよかったんだが、おかげで迅速に対応できたってのは不幸中の幸いってやつかな」
「ふふ。先生も僕らも、皆柊真に感謝してるよ」
「英雄扱いかよ」
「どうだろうね。少なくとも、助けられた人は柊真を王子様と思ってるかもしれないよ」
「ならその子が
「照れ隠しに僕を使うなよ」
「使ってねぇ」
イケメンの神楽ではなく冴えないモブの俺が助けたのだ。モブとイケメンとでは好感度の稼げる量が違う。たぶん、雛森さんの俺に対する好感度なんてピクリとも上がっていないだろう。……仮に、仮の話だ。神楽の言葉が本当だとして。以前までならそれは嬉しい限りだったのが、今はちょっぴり困ってしまう。もうすでに、俺には心に決めた人がいるのだ。
今更それは揺るがないし、揺らぎようのないほどに彼女に懐柔されてしまった。
『悪いけど。今の俺は緋奈さんからの好感度意外は求めてないんだ』
ただ、だからといって相手からの好意を
「お前の言うことがもし本当ならそれは嬉しいことなんだろうけど、でも、ちょっと今は遠慮しておきたいかも」
「はぁ。これまで散々モテたいって言ってたヤツがその片鱗を感じ取った途端に要らないと否定し始めるとはね。つくづく面倒だね柊真は」
「自覚はしてるよ」
押し寄せる二律背反にため息を落とす俺に、神楽は「キミってやつは」と呆れた風に肩を落とす。
それに不服と訴えるべく神楽にジト目を向けていると、不意に背中を誰かの手が思いっ切り叩いてきた。
「おっ手柄じゃん、しゅう!」
「いって! ……お手柄のヤツの背中を叩くんじゃねぇ」
俺と神楽の会話にようやく合流した柚葉は、俺に親指を立ててきた。
「雛森さんとはもういいのか?」
「うん。一区切りつけてきたよ」
今は育美と休んでる、と軽く状況を説明してくれた柚葉に俺は「そう」とだけ返す。
「朱夏。しゅうにすごく感謝してたよ」
「べつにそれほど感謝されることをした覚えはないんだけど」
「カッコつけやがってこの~」
「このこの~」
「痛い。ウザい」
不快な笑みを浮かべて脇腹を突いてくる二人に舌打ち。
やり返してやろうかと思惟していると、脇腹を突く手を止めて柚葉が訊ねてきた。
「あ、というかしゅう、お昼食べたの? 朱夏もだけど」
「一時間くらい前に雛森さんと一緒に食べたよ。たぶんお前らと同じやつ。先生が急いで用意してくれた」
「ならよかった。それで次の予定だけど……」
「雅日くん!」
ほっと安堵したのもつかの間、柚葉が次の予定を確認しようとした瞬間、八重さんが俺の名前を呼んだ。
どうしたのかとと眉根を寄せながら小走りで寄れば、八重さんが唐突に頭を下げてきて。
「朱夏のこと、助けてくれてありがとう」
「顔上げて。俺の方こそ手当の時手伝ってくれてありがとう。おかげで助かった」
「っ……。なるほどねぇ」
「?」
「ううん。なんでもないよ。気にしないで」
「……そう」
感謝の言葉を送り合う間に刹那だけ邪な気配を感じた。それに眉尻を下げれば、八重さんは一瞬だけ漂わせたその気配を笑って誤魔化した。
「それでなんだけど、次の予定あるじゃん」
「あぁ。周辺散策でしょ。それがどうしたの?」
何故かニマニマと不気味な笑みを浮かべる八重さん。俺はそれが気掛かりに感じながらも先を促せば、八重さんは隣で頬を朱くして、なぜか緊張している風に指をもじもじさせている雛森さんの肩を叩いて言った。
「ほら、朱夏。今日は一日安静じゃなきゃいけないでしょ」
「……だね。まだ足に違和感あるらしいし」
「うん。それで次の予定、朱夏は見学なんだけど、その時に雅日くんが一緒に居てくれないかなって」
「「――は?」」
八重さんの唐突なお願いに素っ頓狂な声が二つ発生した。一つ目の発生源は俺で、そしてもう一つは何故か後方から。柚葉の声だった。
「……べつに俺じゃなくても、八重さんが傍にいてあげればいいんじゃない?」
「いや私は周辺散策したいから無理。もう超やりたい。この為に林間学校に来たと言っても過言ではない」
過言だろ。絶対。
「いや、それなら俺じゃなくて班長の神楽の方が……」
「ええい空気の読めない男だ! アンタ朱夏の手当した人間でしょ! 責任取りなさいよ!」
「暴論だろ⁉」
なんで手当したことを感謝されたのにその次に責任取らされなきゃいけないんだよ。怪我させたわけでもあるまいし。
頑なに俺を雛森さんのお世話係をやらせようとする八重さんにため息を落としつつ、俺は半ば諦観を悟るかたちで頷いた。
「分かったよ。俺も見学で残ればいいんだろ。事情は、佐野先生に言えば承認してくれるか」
「大丈夫。そこは全面的に私も協力するから」
「面倒見ろっていったり協力するとか言い出したり訳分からん」
しかし承諾してしまった手前約束を反故するわけにはいかない。
俺は八重さんから一度視線を切ると、背後に立っている神楽と柚葉に振り返り、
「というわけで、次の予定も俺欠席することになりました」
「う、うん。それは、私も聞いた」
「え? 柊真が見学? じゃあ僕はどうやって虫が出た時に対処すればいいの?」
柚葉は茫然と、神楽は次の予定に俺がいないことに
困ったら柚葉に抱きついとけ、と神楽に適当な助言を残して、俺は視線を八重さんと雛森さんの二人に戻した。
「二人からの了承も得られたし、一度先生に伝えてくるよ。でも、雛森さん。本当に俺なんかでいいの? たぶん、絶対退屈すると思うけど?」
「い、いい! 退屈してもいいから、み、雅日くんと一緒にいたい」
「……そうっすか」
たった数時間話しただけでえらい気に入られようだな。なんかこう、親戚の子どもに懐かれた気分だった。
小動物のようにこくこくと頷く雛森さんに呆気取らながら――俺はふと、彼女の態度に先ほど神楽とした会話を思い出した。
『……いや。そんなまさかな』
それはあり得ないと、俺は胸裏に生じた疑惑を己の手で否定し、それを認めなかった。
たった数時間の間で、それまで会話すらしたことがなかった男に好意を寄せる女なんているはずがない。と。
そうして必死に生じた疑惑を否定していると、そんな俺を愛らしい顔が小首を傾げながらじぃー、と見つめていることに気付いた。
「? 雅日くん?」
「あぁ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「あはは。めっちゃ気になる。何考えたの? ひょっとして私のこと」
「それは秘密」
「むぅ。けちぃ」
既視感のある悪戯顔にわざとらしく唇に一指し指を当ててそう誤魔化せば、雛森さんは不服そうに頬を膨らませた。
答えをはぐらかした俺をどう吐かせてやるかと雛森さんが思案している隙に、俺は逃げるように担任の教師を探しに向かう。
「じゃ、皆ここで待っててくれ。すぐ戻って来るわ」
「あ、うん! またあとでね、雅日くん!」
「ん。ちゃんと安静にしてるんだぞ?」
「いえっさー!」
敬礼する雛森さんに俺は思わず苦笑い。そして、歩き出すと俺の隣をやたらと上機嫌な八重さんがついてきた。
「私も言って進ぜよう」
「ちゃんと協力してよ?」
まかせろ、と親指を立てる八重さん。まだ彼女のことをよく知らない俺は辟易とため息を落としながら一度この場から離席した。
「よしっ!」
「……しゅう」
――その俺の背後で、一人の少女はガッツポーズして見届けていて、もう一人の少女は
【あとがき】
昨日は3名の読者様に☆レビュー評価を付けていただけました。
盛り上がっていくと同時に暗雲立ち込める2章2幕。
さぁどうなる53話⁉
Ps:あんまり『ながら』って使いたくないけどついつい多用しちゃうんだよなぁ。でもそうなると文章的にあんまり綺麗にならないからそこが悶々とさせられる。
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