第51話 雛森朱夏(ひなもりしゅか)
その後、無事に後続の先生と合流した俺は、事情を説明。雛森さんは数名の引率の先生たちに連れられてペンションの救護施設まで運ばれた。
俺は彼女の無事を見届けて山頂を目指そうとしたのだが、彼女の手当をしたという理由から同行する事となった。
「悪いな雅日。せっかくの林間学校だってのに大変な思いをさせてしちまって」
「あはは。逆に山登りサボれてラッキーでしたよ」
「言うじゃんかこの~」
とにもかくにも先生に感謝され、今は一人ペンションの休憩室でボーっとしていた。
とりあえず柚葉と神楽にはメールで雛森さんの無事を伝えたし、担任の佐野先生にも他の先生から連絡が既に届いているはずだ。
今頃は皆、山頂で手配された弁当を食べているんだろうなー、などと少し惜しく思っていると、
「あ、いたいた」
「……雛森さん」
休憩室の出入り口から声がして視線を向ければ、そこにいたのは手当を終えて同じく
まだムカデに噛まれた左足を
「大丈夫?」
「あはは。まだちょっと歩きづらいし、それに痒い。あと、先生にめっちゃ怒られた」
「まぁ、指示には軽装じゃなく長袖長ズボン着用ってあったからね」
「うぅ。反省してます」
「反省してるならそれでいいと思うよ。失敗や失態は次に繋がる大事な経験だから。それを胸に仕舞って、大事にしていけばいいさ」
「……かっこいい」
「? おーい。雛森さん? なんで呆けてんの?」
何か聞き慣れない単語が雛森さんの口から聞こえた気がして眉根を寄せる。
俺はそれに「そう」とぎこちなく返事して、包帯が巻かれている彼女の足に視線を落として言った。
「しばらくは痒み続いて掻きたいと思うかもしれないけど我慢して。悪化するから」
「それ、救護の人にも言われたよ」
全く同じだ、と苦笑する雛森さん。
無理をさせるわけにもいかないので、雛森を一番近くの椅子に座らせてから俺は給湯器が設置されているこの部屋の最奥に向かった。用意されている紙コップを俺と雛森さん、二つ分を取り、温かい緑茶を注ぐ。それから両手に紙コップを持って、そわそわしている雛森さんの下へ戻った。
「はい。お茶。喉乾いてるでしょ?」
「う、うん。わざわざありがとう。っと、雅日くんで合ってるよね?」
「そう。雅日柊真」
仲良くもない男子なんて名前すら覚えてないわな。ちょっとガッカリして苦笑いともに肯定すれば、雛森さんは何故か頬を少し赤くして「雅日柊真くん」と俺の名前を復唱した。
「その、さっきは本当にありがとう。おかげで、助かりました」
「できることをしたまでだよ。でもお礼は素直に受け取っておく」
「あはは。救護の人が雅日くんのことめっちゃ褒めてたよ。完璧な処置だったって」
「なにそれ恥ず」
照れる俺を見て、雛森さんはころころと笑う。
俺は苦笑交じりにお茶を啜ると、雛森さんが「ねぇ」と眉尻を下げて訊ねてきた。
「雅日くんに手当されてる時も言ったと思うけどさ、なんであんなに毒抜きに詳しかったの?」
「詳しいってほどじゃないよ。ちょっと森の中の危険生物について調べただけ。まぁ、調べなくてもムカデとかダニはその中じゃ代表みたいな生き物だけど」
「そうなんだ」
わざわざ驚くほどの知識でもない気がするけど、という感想は胸中に留めておこう。
「じゃあじゃあ」と雛森さんは好奇心を瞳に
「あの手当の仕方は? それも調べたの?」
「まぁ」
「すご⁉ 雅日くんて天才?」
「大袈裟だよ。それにアドリブも多かった。反省点も多い。なるべくスムーズにできたのが及第点だよ」
「言い方が天才っぽい」
雛森さんが感心したような瞳で俺を見つめてくる。なんだか妙に背中がむず痒かった。
「そういえば雅日くんて頭よかったよね。たしか中間テストの上位の方にいた気がする」
横断幕見たのか。まぁ、一年生の廊下に貼られたから自然と目にするか。
「ちょっと頑張ったらあれくらい余裕だよ」
「うわー。いかにも勉強できる人がいいそうな台詞~」
「言っておくけど勉強はできるけどガリ勉じゃないからな? 中学の頃はいつも100位圏内にすら入ってなかったし」
「じゃああれ? 高校デビュー……ってわけでもないか」
「おい。今人の容姿見て意見変えただろ。悪かったな陰キャの見た目で」
「そ、そんなこと一言も言ってないし!」
少しずつあったぎこちなさが解けていき、会話も弾んでいく。初めは丁寧語だった俺だが、いつの間にか神楽や柊真と接す時の口調に変わっていた。そして、それを俺は気付いていない。
「でも手当された時はびっくりしたなー。医者かと思った」
「医者だったらもっとスムーズにやってるよ。俺のは所詮、
「でもそのかげで私はすごく安心したんだけど?」
「全く仲良くない男に体触られて不快じゃなかった?」
「それは……まぁ、最初は嫌っていうか抵抗あったけど、でも雅日くんの真剣な顔みたらそんなことどうでもよくなった」
「ならよかった。女子の裏アカで『雅日のヤツマジきめぇ』って書き込みされなくて済んだわ」
「助けてもらった恩人の悪口なんて言うはずないじゃん!」
心外、とでも言いたげに頬を膨らませる雛森さんに、俺は「ごめん」と苦笑を浮かべる
それから雛森さんは頬をしぼませると、小さな声で、けれど俺の耳にはちゃんと聞こえる声で呟いた。
「……あの時の雅日くん。ちょーかっこよかった、よ?」
「そ、そう……」
照れながらそんなことを言われてしまえば、俺も反応に困ってしまって言葉を失う。
お互いに甘酸っぱいというか微妙な空気を感じ取り、その空気を誤魔化すようにお茶を飲み込んだ。それはもう、勢いよく。
「い、育美たちまだ帰ってこないね!」
「だ、だな。まだ山頂でメシ食ってる頃かも」
微妙な空気を無理矢理変えるように声を上げた雛森さんに、俺もやや遅れて応じた。
「あー、そういえば私たちお昼ご飯まだ食べてないねー。お腹空いたー」
「待ってれば先生が
「私もー」
ということは最悪一時間くらい雛森さんと二人きりか。それはしんどいというか、間が持つか心配だった。
けれど、そんな憂いは雛森さんが容易く取っ払ってくれて。
彼女は机の下であしをぱたぱたさせながら俺と楽しそうに会話を弾ませてくれた。
「お昼ご飯の後ってなんだっけ?」
「スケジュール通りなら下山して一時間休憩。そこから周辺散策だった気がする」
「じゃあ、私たち次の予定には合流できるのかな」
「雛森さんは今日一日安静だろ?」
「そうです。あ、でも夕飯のカレー作りは参加していいって!」
「動くの大変じゃないの?」
「そのころには痛みも完全になくなってるはず!」
「どうしても参加したいみたいだな」
「当たり前じゃん! 育美と柚葉ともっと思い出作りたいもん!」
「でも足は?」
「そ、そりゃ心配だけど」
「ふっ。気にすんな。俺が神楽に伝えておくし、雛森さんに何かあった時は俺がサポートするから」
「――っ! ……い、いいの?」
「? 当たり前じゃん」
真顔で頷けば、雛森さんはぱっと明るくさせた顔を次の瞬間袖で隠して、
「……うわやば。雅日くん、超優しい」
「? 雛森さん」
何か、隠した顔から小さな唸り声が聞こえた気がして眉根を寄せれば、顔を見せた雛森さんが「なんでもない!」と嬉しそうに笑った。
よく分からん、と小首を傾げる俺に、雛森さんは朱色の双眸を細めると、
「――なら、お言葉に超甘えちゃおうかなっ」
「怪我人に冷たくはできないからな、いいよ」
「えへへ。やった」
あざとい笑みを浮かべながら俺を見つめたのだった。
【あとがき】
雛森朱夏: 柊真のクラスメイト。朱髪のサイドテールが特徴的な女の子。小動物のような見た目とあどけない態度から男子たちの人気者。林間学校で柊真に助けられたことをきっかけに彼に興味を持ち始める。
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