第48・5話  外堀を埋めよう・友達編

 心寧と鈴蘭と教室へ戻る、その道中。


「ところでさ、藍李」

「ん? どうかした?」


 腰を折って私を見上げるようにのぞいてきた鈴蘭が、何やら知りたいことがある素振りをみせていた。


 眉尻を下げる私に、鈴蘭は「それ」と首に指さしながらジト目を向けて、


「体育の授業前に着替えてる時、私と心寧、気付いちゃったんだけどさ、藍李さん、思いっ切り見えちゃってますよ」

「何が?」

「……何って、だから、え? い、言っていいんすか?」


 私が放つ無言の圧に鈴蘭が気圧される。助けを求めるように心寧に視線を送るも、心寧は口笛を吹いてそっぽを向いた。


 親友の裏切りにショックを隠し切れない鈴蘭は、頬をひきつらせながら私の顔色をうかがうように言った。


「だからその、首にさ、赤い痕があんの」

「…………」

「それ、ひょっとしなくても、キスマーク、だよね?」


 おずおずと訊ねてくるくる鈴蘭に、私は無言のまま、意味深な笑みだけ浮かべ続ける。


「助けて心寧! 超怖い⁉」

「私に振るなし⁉」

「ムリムリムリムリ超怖い! なんで藍李が黙ってるのか意味不明なんだもん!」


 もしかしてやらかした⁉ と戦々恐々とする鈴蘭。そんな彼女に、私はなおも意味深な笑みを浮かべ続けながら、


「やっぱ気付くよねぇ」

「「……ひょえ?」」


 声音を弾ませる私に、二人は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。


「え? もしかしてそれ、わざとやってる感じ?」


 そう確認してきた鈴蘭に、私はにこっと笑みを浮かべ、


「他の人たちも気付いたかな?」

「「確信犯じゃん!」」


 私の言葉を自首していると捉えた鈴蘭が脱力する。


「触れちゃいけないものなのかと思ってマジで焦ったわぁ」

「本当に触れて欲しくなかったらちゃんと隠すわよ」


 首に付いた――正確には付かせたキスマーそ れクを愛し気に触れながら苦笑する。


「ちなみに、どれくらいの人が気付いたかな?」

「えぇ。どれくらいと聞かれても。女子の方は然程気付いてないと思うけど。たぶん、男子は誰も気付いてないんじゃない?」

「うんうん。藍李って背高いし、髪も長いからそれを自然には見れないんじゃないかな」

「たぶん、藍李より背が低い私たちで……」

「あと藍李の近くにいなきゃ気付かないと思うよ」


 心寧も鈴蘭も、私より身長は頭半子分ほど低い。つまり、並ぶとちょうど首辺りに視線がいくのだ。

 さらに二人の見解から、このキスマークに気付いたのは極僅ごくわずかということが分かった。

 どうやら、概ね私の思惑通りの結果らしい。


「つか、やっぱわざとなんすね」

「うん。べつに気付かれて困るようなものでもないしね」

「つかまだ答えもらってないんだけど。それ、本当にキスマークで合ってる?」

「それはご想像にお任せするわ」

「ここではぐらかすのずるくない⁉」


 ふふ、と笑って誤魔化す私に二人が悶々とする。

 それから心寧がため息を落として、


「じゃあもうその体で話進めるけどさ、それ付けたのって、やっぱ弟くんだよね?」

「どうかな?」

「「いや弟くんしかいないでしょ」」


 心寧の質問を肯定すればルールに抵触することになるので、私は答えずにはぐらかした。


「やっぱ二人って付き合ってるん?」

「どうだと思う?」

「さっきからはぐかしてばっかじゃん」


 二人が呆れて嘆息をこぼす。私だって本当は二人に明かしたいけれど、あのルールが活きている以上開示できる情報は少ない。


 私が今二人に教えることができるのは、私に想い人がいることと、そしてキスマークを付けているという事実だけ。過程は明かせない。


「まぁ、言えない事情は無理に言わなくていいし聞かないけどさぁ、でもそうなると藍李の行動って矛盾してるよね?」

「そうだね。矛盾してる」

「「ひょえ?」」


 その肯定は予想していなかったのか、二人が目を見張る。


 私の行動はたしかに奇行だ。しゅうくんとの関係を口外することはできない。けれど、それをほのめかすような行動をしている。


 その矛盾こそ、今の私には必要だった。


「二人が疑問に思うのも当然だよね。何も言えない。彼との関係を誰にも悟られたくない。それなのに、一歩間違えば周囲に気付かれてしまうような事をしている」

「藍李ってひょっとして、スリルを楽しむ変わった趣向の持ち主?」

「そんな訳ないでしょう」


 ドン引きする鈴蘭に私は手刀を入れて否定した。

 イテッ、とうめく彼女に、私は片目を閉じ、もう片目だけ開けて続ける。


「これはね、言わば地盤固めなの」

「はて?」


 私の言葉に二人が揃って首を捻った。

 そしてその言葉の意味を求める二人に、私はいずれ必ず訪れる未来に想いをせながら、


「外堀を埋めることって……すごく重要だと思わない」

「「あー……」」


 神妙な顔で呟いた私に、二人はその言葉の意味を理解すると頬を引きつらせた。


「つまりあれですか、藍李様は、今はまだ誰にも何も言えない状況だけど、でも弟くんが自分から逃げられないよう、しっかり周囲の外堀を埋めておこうということですか」

「そういうこと」


 こくりと頷いた私に、心寧と鈴蘭はお互いの顔を見合わせて、


「「やってることエゲツねぇ」」


 と本気でドン引きした。


「もしかしてだけど、そのキスマークも、弟くんが付けたんじゃなくて、藍李が付けさせたってこと? ……いや、それは流石にない……」

「――――」

「そうなの⁉」

「藍李パイセンマジっすか⁉」


 二人が愕然がくぜんとする。私は何も言ってない。ただ、イエス、と捉えてもらっていい笑みを浮かべただけ。何も言ってないからルールには抵触しない。


「……弟くんが若干不憫に思えてきたわ」

「なんでよ!」


 心外だと言わんばかりに頬を膨らませれば、心寧は目にハイライトを消しながら、


「だって、自分の知らない間に外堀埋められて、挙句にキスマーク付けろって脅迫されたんでしょ」

「でも私にキスマーク付けるの喜んでたもん!」


 あの時のしゅうくん可愛かったなぁ。顔を真っ赤にして、赤ん坊のように私を求めてきて。必死にキスマークを残そうとして。

 あの日の光景を想起して身をもだえさせていると、心寧と鈴蘭が本気でさげすんだ視線を送っていることに気付く。


「そりゃ、藍李にキスマーク付けられるってなったら、喜ばない男はいないっしょ」

「コイツは俺のものって他の男どもに見せつけられるんだもんねぇ」

「背徳感たまらんでしょうなぁ」

「ねっ。興奮せずにはいられないよね!」

「藍李パイセンの暴走が止まらねぇ⁉」


 私はしゅうくんのものなんだって、それを実感せずにはいられなくなる。しゅうくんに刻んでもらったキスマークを見る度に、触れる度に、体の奥が疼いて仕方がない。なんて特にだ。


 興奮して鼻息を荒くする私に、心寧と鈴蘭は異常者でも見るかのような視線を向けてきて。


「……藍李。ほんと変わったね。主にヤバい方向にだけど」

「お姫様と崇められる藍李をこんなメンヘラ女にしてしまうとは。これはたしかに、弟くんは責任取った方がよさそうだ」

「きっとめちゃくちゃ愛情注がれたんだろうなぁ」


 少しだけ、私のことを羨ましそうに眺めてくる心寧と鈴蘭。

 その顔は依然として引きつっていながらも、けれど柔和でもあって。


「まぁ、藍李が弟くんに本気なのは伝わったけどさ、でもあんまり迷惑はかけちゃダメだよ」

「それは、うん。あの一件で思い知ったから分かってる。なるべく、彼には迷惑の掛からない範疇でやろうと決めたから」


 あの一件で、私はしゅうくんだけでなく大勢の人たちに迷惑を掛けた。実害はなくとも、あんな苦しい思いは二度とごめんだ。


 私の存在価値は、私の想像以上に付加価値がついてしまっている。


 それを少しずつ、落としていかなければ。


 やることは多い。


 でも、頑張れる。


 しゅうくんに付けてもらったキスマークに触れれば、愛しさと、やる気が賦活きりょくする。


「彼と結ばれる為だったら、私は何でもやるって決めたの」


 しゅうくんが、私に覚悟をみせてくれたように。

 私もまた、覚悟を決めなければならない。

 そんな私の覚悟に、親友である心寧と鈴蘭はやれやれと嘆息をついて。


「藍李のきもわった顔、マジで怖いから止めて?」

「おしっこちびるわ」

「もう! せっかくいい雰囲気だったのに茶化さないでよ!」


 いつも通りな二人に、私はせっかくの魅せ場が台無しになったと泣き喚く。


 けれど、それでいいと思った。


 二人がいつも通りに接してくれるからこそ、私は無理に気張らず自分と向き合うことができる。


「早く会いたいな、しゅうくん」


 これから四日会えない恋人との時間を恋しく思いながらも、私は彼と結ばれる為の行動を密かに続けるのだった――。

 





【あとがき】

次回からついに第2章ー2【林間学校編】へと突入します。

ここから15話ほど緋奈さんお休みです。なのでインパクト多めに残しておきました。今話の中盤くらいにそれを仄めかす地の文が入ってます。

それでは明日午前から投稿される第二章2幕。一波乱も二波乱も三波乱もある林間学校編を超お楽しみにください。

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